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見ぬ世の友 仮名草子 明暦版(古典文庫)
見ぬ世の友 一
50段 死は則(すなはち)天命なる事 事文
李勣。病にふす。家人醫(くすし)を。よばんと云に李勣ゆる
さず。諸子をはりて薬をすゝむ。李勣諸子に向
ていひけるは。我昔山東の田夫たりしが。位今
三公に至り。年八十に餘れり。死す共くゆへから
す。何の残り多き事有てか。命を惜んやとぞ云けり
参考1
李勣=りせき・徐世勣、国姓の李を賜る 594年-669年、
唐代の軍人、高句麗を滅ぼす
諸子=ここでは代名詞、
春秋から戦国時代にかけて一家の説をたてた人々。→諸子百家
山東の田夫=中国、山東半島と黄河下流域の平野を占める場所の農夫、
粗野ないなかくさい人
三公=中国の官制で、臣下として最高位にある三つの官職、
唐代は太尉・司徒・司空
年八十に餘れり=享年76歳
くゆへからす=悔ゆべからず、悔いても仕方ないので悔いるな
皇帝の姓、李姓を賜り、高い地位を保証され、病気の際に薬を下賜されたほどに、唐の皇帝李淵・李世民親子は李勣を高く評価していた。しかし李世民は、李勣の能力を恐れ、忠誠を試めそうとして左遷、そして復帰。世の中に嫌気が差していたのかも知れない。その後、中国三大悪女の一人「武則天」の立后問題で、同僚の長孫無忌と褚遂良は辺境の任地で自殺に追い込まれたり、病死したりする中で、「武則天」の世の中で、長く生きることを望まなかった(天命)のかも知れない。
明の国姓(朱)を賜った人で、日本人に馴染みが深い人に「国姓爺」鄭成功(和藤内)がいますね。
母は日本人で幼名を福松と言ったそうです。台湾の英雄です。
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見ぬ世の友
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見ぬ世の友 仮名草子 明暦版(古典文庫)
見ぬ世の友 一
参考
《戰國策.秦策三》:"梁人有東門吳者,其子死而不憂。其相室曰:'公之愛子也,天下無有,今子死不憂,何也?'東門吳曰:'吾嘗無子,無子之時不憂;今子死,乃即與無子時同也,臣奚憂焉?'"事亦見《列子.力命》。後因以"東門吳"為喪失親人而胸懷曠達者的典型。
参考2
魏人・梁人?どっちか良く分からない?
すごい合理主義ですね。子が死んで「いない時に戻ったのと同じだ」とは・・。
「吳・吴(こう)」の字も、どっちか良く分からない?
「いつまでもクヨクヨするな」と言う教訓なのかな???
昔の人は、こういう話しでも感心したのか?
ところで親を永久保存する子供もいますね。
親の威光に頼らなくてはいけない2・3代目。
永遠なんてありゃしないよ。
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見ぬ世の友 仮名草子 明暦版(古典文庫)
見ぬ世の友 一
48段 子水にをほるゝ事 事文
澹臺滅明が子。水に溺て死す。弟子是を葬ら
んと云。滅明留て云。其まゝ水に置て魚鼈に
食しめたるも。土に埋て。螻蟻に。食しめたるも同
事なり。何そ。あなた。こなたと。葬らんやと。弟子の
云。父の子に慈悲有事つねのならひなり。今滅
明の如は。慈ありとは云べからす。いかゝと滅明が云。生
る時は我子なり死せる時は。吾鬼にあらず何を
以てか。ほうむらんとそ云ける
参考1
をほるゝ=溺るる
澹臺滅明=たんだい めつめい、中国・春秋時代の儒学者、孔子の弟子
魚鼈=ぎょべつ、魚類とスッポン、水産動物の総称
螻蟻=ろうぎ、ケラとアリ、虫けら、小さくて取るに足りないもののたとえ
あなた。こなた=彼方此方、あっちこっち
参考2
澹臺滅明は、容貌は醜く、孔子に学ぼうとしたとき、顔で判断して彼を愚鈍で才能に乏しいものと思った。しかし学問を始めてからは地道に学び、 後に弟子300人を従え、南方に遊んで長江にいたり、名が諸侯の間に伝わるまでになる。孔子は「私は言論で人を判断して、実行の伴わない宰予を買いかぶり、容貌で人を判断して、醜い子羽を見誤った」と述懐している。
この人の教訓は、容貌で判断しない。地道に努力すること。知識に基づいて自分で判断する等。
「螻蟻」という字が読めず苦労しました。
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見ぬ世の友 仮名草子 明暦版(古典文庫)
見ぬ世の友 一
47段 范蠡(はんれい)文を大夫種(たいふ せう)に贈(をくる)事 史記
参考1
勾践(こうせん)=中国春秋時代の越の王。会稽山の戦いで呉王夫差に敗れたが、復讐を誓い、
范蠡と備えること20年、呉を滅ぼした。→会稽の恥 →臥薪嘗胆
范蠡(はんれい)=越王勾践に仕えて富国強兵を図り、呉を滅ぼして会稽の恥をそそいだ。
のち野に下り、陶朱公と称して巨万の富を築いた
大夫種(たいふ せう)=文種、越の政治家、范蠡は「軍事なら種(文種)は臣に及びませんが、
政治にかけては臣は種に及びません」と応え、文種を推薦した
扁舟(へんしう)=小さな舟、小舟
飛鳥盡・・=狡兔死、走狗烹;飛鳥盡、良弓藏;敵國 破、謀臣亡。
狡兔(こうと)死して走狗烹(に)られ、飛鳥尽きて良弓蔵し、敵国破れて謀臣亡ぶ
参考2
「天、勾践を空(むな)しゅうする莫(なか)れ 時に范蠡無きにしも非ず」
天は勾践を見捨ず、時がくれば范蠡のような忠臣が出てくれる。南北朝時代、児島高徳が捕らわれの後醍醐天皇に、志を示すため桜の幹に書いた言葉、「太平記」巻4から。
・・天顔を拝し志を述んとすれども、兵士駕を取囲みて事成ず。因て夜桜の木を削りて、二句の詩を書して曰く、「天莫空勾践。時非無范蠡」。兵士等、其詩を讀こと能(あた)はず。天皇、讀み給ひて、其意を悟り㐂給ふ。其後、天皇・・・(南朝太平忠臣往来から)
忠の志無くんば侍には非ず 軽鴨の介http://trinixy.ru/engine/data/emoticons/mr47_04.gif
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見ぬ世の友 仮名草子 明暦版(古典文庫)
見ぬ世の友 一
46段 風を以て鵲(しやく)を知(る)事 西京雑記
漢の武帝。未央殿にまします。俄に雨ふりかぜふく
東方朔。指を折て占ふ。氣色あり。武帝とふ。朔
答て云。此殿の。後の栢樹の上に。鵲あり。立て桂の
枝にのぼりて。東に向てなかん。帝、則見るに少し
もたがはず。ふしんに思召て云。何を以てか知やと
答云。唯眼前の理を以て知たり。いま風東方より
ふき出たり。鵲は尾ながし。風にむかへはやすく。風に
そむけばくるし。故にむかうて。桂の枝になくと
ぞ申ける
参考1
鵲(しやく)=かささぎ、約45センチ、尾が長く、肩と腹が白く、ほかは緑色光沢のある黒色、
七月七日の七夕の夜、天の川に「鵲橋」をつくる
漢の武帝=中国史上空前の大帝国を樹立した帝
未央殿=未央宮、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦が長安の竜首山上に造営したもの
東方朔=前漢・武帝時代の政治家、神格化され仙人のように描かれた
栢樹=榧(かや)、児手柏(このてがしわ)
桂=カツラ科の落葉高木
参考2
鵲橋(かささぎばし)
七夕の日に天の川にできる橋の名前。この橋は織姫と彦星が出会うためにできることから、男女が良縁で結ばれる事を意味する。「烏鵲河を填(しず)めて橋を成し、織女を渡らしむ」という白孔六帖の文章が出典とされる。日本には古くから伝わり、菅原道真は「彦星の行あいをまつかささぎの 渡せる橋をわれにかさなむ」の歌があり、日本では牽牛星が橋を渡る。宮中の階(きざはし)を「かささぎのはし」と呼ぶ。大阪府枚方市に「かささぎ橋」という名の橋があるそうです。
♪かささぎ橋♪
http://www.yaplakal.com/uploads/av-29459.gif話が飛びすぎたかな??
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