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鷲に赤ちゃんが・・・
2012/12/18に、こんな衝撃的な動画がアップされました。
Golden Eagle Snatches Kid
イヌワシが子供を、連れ去ろうとするところ。カナダ・モントリオールにおいて。
恐ろしい、チョット目を離した隙に持って行かれるところでした。
もう少し子供が軽かったら、エサになるところでした。
良かったね。
さて、ここは古典のサイト。
かつて日本でも、同じように鷲にさらわれた事件が有りました。
近江国の百済氏の出身で野良仕事中の母が、目を離した隙に赤ちゃんが鷲にさらわれて、
奈良の二月堂前の杉の木に、引っかかっているのを、僧・義淵が見つけ助けました。
以後、僧として育てられた「良弁(ろうべん)」の話です。
良弁は、689年-774年奈良時代の華厳宗の僧で、東大寺の開山。金鐘行者とも。
東大寺の前身、金鐘寺に住み、後に全国を探し歩き、30年後母と再会した。
華厳経を授かり聖武天皇より、東大寺大仏建立の功績により東大寺の初代別当となりました。
鑑真とともに大僧都に任じられる。
また、近江志賀の石山寺の建立に関わった。
東大寺執金剛神縁起絵巻(良弁僧正絵)/奈良教育大学附属図書館)から、
この話も、鷲が金色、Golden Eagle・イヌワシです。
イヌワシは、羽を広げると2メートルにもなります。
カナダにも、日本にもいます。
子羊なども獲物として掠(さら)うようです。
良弁僧正の話は、以前から知っていましたが、
眉唾だなと思っていましたが、
「百聞は一見にしかず」、一つの動画で考えを改めました。
モントリオ−ルの赤ちゃん、偉くなりなよ!
古典は、面白い!
東大寺執金剛神縁起(良弁僧正絵)↓こちらで、見られます。
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古典文学
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昨日(11.28)、凄いニュースがありました。
「平仮名:9世紀後半の土器から発見 最古のものか」
藤原良相(よしみ)の邸宅跡から大量の土器が見つかり「最古級の仮名」が書かれていました。また、約10点の木簡や檜扇(ひおうぎ)の断片も見つかった。
当ブログで、藤原良相は何度も登場していた人物です。
また、檜扇類には、「奈※波都(なにはつ)」など当時の手習いに使われた和歌の冒頭などが万葉仮名で記されていた。
源氏物語の「若紫」の巻には、
若紫の手習いの様子が書かれています。
まだ なにはづをだに はか/\゛
しう つゞけ侍らざめれば かひなくなむ。
古今集仮名序には、
なにはづに さくやこの花 ふゆごもり
いまははるべと さくやこのはな
私には、ビックニュースです。\(^O^)/
10世紀といわれていた仮名の確立が
約50年さかのぼる。
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毎日が古典の日だから
古典の日とは、
日本の古典文学を顕彰する記念日で、
11月1日だそうです。
yoshyは、毎日古典をやってるので、
今日は休みにします。
その代わり、
赤白のキレイな赤カブを、お見せします。
梅酒の瓶にいっぱい作りましたが、
長男夫婦にお裾分けした後の写真です。
厚く切ってあるので、
パリパリ。
甘酢が酸っぱくて美味しいですよ。
古典漬けではなく、
赤カブ漬けでした。
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志を学ぶ「塙保己一を手本にしろ!」
昨日コメント欄で、貴重な会話ができました。
ぜひ皆さんにも知って貰いたいので、記事にします。
コメント欄で、
『「番町で めあきめくらに 道を聞き」という川柳を思い出しました』と、
書き込まれ、
「この川柳、塙保己一のことを詠った川柳ですね」と返りコメをしました。
塙保己一(はなわ ほきいち)は、江戸時代の盲目の国学者です。
保己一は、和学講談所の開設を幕府に願い出て許されました。
その場所が「番町」なんです。
現在の千代田区三番町(江戸の表六番町)で、
国学の講義、『群書類従』の編纂・刊行などを行っていました。
「番町で めあきめくらに 道を聞き」。
多くの学問を志す「目開き」人々が、
「めくら」の塙保己一の講義を受け、塙保己一の出版した書籍から、
「学問の道」「人生の道」の教えを学んだのです。
「各地に散らばっている貴重な一巻、二巻といった書を取り集め、
後の世の国学びする人のよき助けとなるよう」にと、
各地に散らばっている書物を目が見えないため「頭」に暗記し、
原本・写本の綿密な吟味、厳正な校訂を続け、
版木に彫っては、木版本にして頒布しました。
例えば『群書類従』の収録文件数は総冊数665冊、目録1冊の合計666冊。
版木枚数は17,224枚、両面刻であるから約34,000ページ分。
壮大な仕事です。
666冊が完成したのは、74歳。34歳に決心してから41年後。
「志」は、受け継がれ『続群書類従』1885冊を編纂し、
死後100年後、続群書類従完成会により出版事業が始まった。
当ブログも、『群書類従』から、益を受けていますよ。
「大和物語」は、群書類従本から翻刻しています。
私が本物を持っているのは、
とてつもなく「塙保己一」を尊敬しているからなんです。
保己一によって、日本の古典・国史が守られました。
ばらばらに各地に眠っていた貴重な本を、収集し、
印刷までして本を守ってくれたのです。
日本文化の偉大な恩人です。
戦前は、教科書にも載りました。
尋常小學國語讀本 巻八 (昭和三年)
第十七 塙保己一
目は見ゆれども、字のよめざる人をあきめくらといふ。昔はあきめくらも多かりしに、まことのめくらにして、大学者となりし人あり。
塙保己一(はなわほきいち)これなり。
保己一は五歳の時めくらとなりしが、人に書物をよませて、一心に之を聞き、後には名高き学者となりて、多くの書物をあらはせり。
保己一の家は今の東京、其の頃の江戸の番町にありて、
多くの弟子保己一につきて学びたれば、時の人
番町で 目あきめくらに 道をきゝ。
と言ひたりといふ。
或夜 弟子をあつめて、書物を教へし時、風にはかに吹きて、ともし火きえたり。保己一はそれとも知らず、話をつゞけたれば、弟子どもは「先生、少しお待ち下さいませ。今 風であかりがきえました。」と言ひしに、保己一は笑ひて、「さてさて、目あきといふものは不自由なものだ。」と言ひたりとぞ。
『群書類従』は、さらに私たちに益を与えています。
作文を書いたとき、「原稿用紙」を使いましたね。
『群書類従』の版木を作る際に、400字詰めの版木で統一したんです。
「原稿用紙」の元を作った人でもあるんですね。
江戸時代、盲目の人が検校(けんぎょう・座頭の最高位)となり、
人々に学問を教える立場になるまでは、血の滲むような苦労がありました。
詳しくはウイキや保己一のサイトを参照してください。
彼は「按摩・鍼・音曲」などの修業は、へたくそで上達しなかったそうで、
一度挫折し、死のうとしましたが、救ったのは学問への「志」でした。
彼の努力は、「志」の高さが、何より重要だと私たちに教えてくれます。
ハンデがあっても、不遇であっても、「志」を持って努力です。
ヘレン・ケラーは幼少時より「塙保己一を手本にしろ」と
両親より教育されたそうで、
来日した際、保己一記念館を訪れています。
『群書類従』の版木は、国の重要文化財に指定されています。
※古典ゆえ、現代では不適切となる言葉が含まれています
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