伊勢物語と仁勢物語

パロディーと諧謔の、仮名草子。

古典文学

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崇徳院、十訓抄から

大河ドラマ「清盛」。保元の乱でしたね。
崇徳院は、保元の乱で負けました。
その崇徳院の話の続きです。十訓抄(じっきんしょう)から・・・

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流された崇徳院の住まい(十訓抄・第一・3)

崇徳院、讃岐にうつろはせ給ひて後、旅の御住居、あ
はれに悲しき事限りなし。いひつくすべからず。蓮妙と
いふすき聖のありけるが、妹の彼の院に侍ひけるを思ひ
出でて、たゞ独りかの国にくだりて、御所の内へ入らん
とすれども、武士どもとがめてかなはざりけり。いかに
せんと思ふほどに、やゝ暁になりて、くろばみたる水干
きたる人の、内より出でたりけるたよりにつけて、入り
て見れば、草しげり露深うして、人音もせず、いみじう
物がなし。陵園の配妾が、月に徘徊せし松の扉(とぼそ)の中も、
かくやありけんとぞ覚えける。とばかり立煩ひて、板の
はしにかきて、「見参に入れよ」とて、ありつる人になん
とらせける。

  あさくらや 木の丸どのに いりながら
  君にしられで かへるかなしさ

此の男ほどなく帰りて、「これ奉れと侍りつ」といふ。と
りてみれば、

  朝くらや たゞいたづらに かへすにも
  釣する海士の ねをのみぞなく

いみじう哀れにて、おひにいれて持ちありきけるとなん。

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保元の乱で、讃岐に流された崇徳院。旅の住まいはひどいものでした。
「すき聖」と呼ばれる風流を解する僧・蓮妙は、妹がお仕えしていたのを思い出して、
崇徳院を慰めようとやって来ました。
しかし、仮の御所は警備が厳重で中に入れません。
あかつき頃、垢染みて黒くなっている水干を着た人が出て来たので、
一緒に紛れて中に入りました。すると、そこはあたかも、
晋の武帝の宮人が、お墓の番人におとしめられて、
月の下でさまよったような寂しい所でした。
どうしたものかと思案して、板の切れ端に哥を書き、
「お上に見参に入れよ」と、その場所に丁度来た人に渡しました。

  あさくらや・・・かへるかなしさ

この哥の本歌は、「あさくらや木の丸殿に我居れば名のりをしつつ行くは誰が子ぞ(新古今集・天智天皇)」です。中大兄皇子(天智天皇)は、斉明天皇に従って百済を救う為、筑紫に赴いた時、詠ったものです。「木の丸殿」は粗末な御所を表していますが、蓮妙も崇徳院のお住まいに当てはめ、お会いできず帰る悲しさをお伝えしました。

崇徳院の御返歌は、流人に対する警備ゆえ、逢うことも出来ずに帰す残念さを「ねをのみぞなく」、声をあげて泣くほどの悲しさと、望みも無いという悔しさを掛けてのものでした。すき聖は、記念にその御製を「笈・おい」に入れていつも持ち歩いていました。

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崇徳院はこの後、五部の大乗経を三年ほどかけて自筆して、都へ、「御ゆるしあらば、鳥羽の安楽寿院故院(父)の御墓に供えたい」と、申しましたが、主上(帝)は、許さず、御経を突き返します。崇徳院は此よし聞かれて、「口おしき事かな。悪心懺悔のために此経をかき奉る所也。此経を魔道に廻向して、魔縁と成って、遺恨を散ぜん。」と怒り狂いました。崇徳院は、柿の御衣のすすけものを着て、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になりました。
 流刑八年、長寛二年八月廿六日、御年四十六歳。志戸という所で崩御。白峯にて火葬。「此君、怨念によって、いきながら天狗のすがたにならせ給ける・・・(保元物語・部分要約)

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崇徳院の怨霊は、現代でも生きています。明治天皇は明治元年、即位の折、勅使を讃岐に遣わし、崇徳天皇の御霊を京都へ帰還させて白峯神宮を創建しました。また、昭和天皇は、崇徳天皇陵に勅使を遣わして式年祭を行いました。こうしたことは、日本の神の概念をよく現しています。怨霊は神になります。菅原道真や平将門なども怨霊として、祟(たた)りましたが、「怒りを鎮める」という意味で神として祭り、天神様、神田明神として崇(あが)められ、信者にその恩恵と加護を与えます。一神教の神の概念と大きく違います。

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「十訓抄」「保元物語」、よい本です。
機会がありました是非読んでください。

篁物語 紹介

(たかむら)物語 紹介

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おやの いとよくかしつきける 人のむすめ あ
りけり 女のするさえの かきりしつくして
いまは ふみよません とて はかせには むつましか
らん人をせん とて ことはらのこの 大學のしうに
てありけり ことはら成けれは うとくて あひ
見す なと ありけれと しらぬ人よりは とて すた
れこしに 几帳たてゝそ よませける このおとこ


親がとても大切に育てていた娘がいました。
女が身につけるべき芸事のかぎりを学ばせたので
今は漢籍を読ませよう、ということなり、
博士には縁のある人をつけるのがよい、と思い、
娘のことはら・異腹の男が大学の衆であったので、
それをつけることにした。
異腹なので親しくもなかったため、
娘は、顔を見たくない、と言ったけれど、知らない人よりは、
ということで、簾ごしに几帳を立てて書を読ませた。
この男・・・
¥¤¥᡼¥¸ 26
篁物語
作者・成立年ともに未詳。平安後期に成立か。
前半は小野篁と異母妹との悲恋物語、
後半は右大臣の三の君との結婚至福譚。
完全なフィクションとのこと。


小野篁は、遣隋使を務めた「小野妹子の子孫」、
孫に三蹟の一人「小野道風」がいる。

百人一首-11
  わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
  人には告げよ 海人の釣舟 

篁物語では、男女の仲は、垣根も御簾も役に立ちません。
あっと言う間に深い仲に成ってしまいました。(^_^)
面白いので、是非機会がありましたら、読んで下さい。




桜川

桜川

かやうに候ものは。東国方の人商人にて候。我久しく京に候ひしが。此度は筑紫日向に罷り下りて候。又昨日の暮程に幼き人を買ひ取りて候。彼の人申され候ふは。此文と身の代とを。桜の馬場の西にて桜子の母と尋ねて。確に届けよと仰せ候程に。唯今桜子の母の方へと急ぎ候。此あたりにてにてありけに候。先々案内を申さばやと存じ候。いかに案内申し候。桜子の母の渡り候ふか。

誰にて渡り候ふぞ

さん候。桜子の御方より御文の候。又此代物をたしかに届け申せと仰せ候ふ程に。是まで持ちて参りて候。かまひてたしかに届け申すにて候。

あら思ひよらずや。先々文を見うずるにて候。

さても/\この年月の御有様。見るも余りの悲しさに。人商人に身を売りて東の方へ下り候。

なう其子は売るまじき子にて候ふものを。や。あら悲しや。早今の人も行方知らずなりて候ふはいかに。これを出離の縁として。御様をも変へ給ふべし。唯返す/\も御名残こそ惜しう候へ。

名残をしくは何しにか添はで母には別るらん。

独り伏屋の草の戸の。/\。明かし暮らして。憂き時も子を見ればこそ慰むに。さりとては我が頼む。神も木花咲耶姫の。御氏子なるものを桜子留めてたび給へ。さなぎだに住みうかれたる故郷の。今は何にか明暮を。堪へて住むべき身ならねば。我が子の行くへ尋ねんと。泣く/\迷ひ出でて行く/\。

頃待ち得たる桜狩/\山路の春に急がん。

これは常陸の国磯部寺の住僧にて候。又これに渡り候ふ幼き人は。何くとも知らず愚僧を頼む由仰せ候ふ程に。師弟の契約をなし申して候ふ。又此辺に桜川とて花の名所の候。今を盛のよし申し候ふ程に。幼き人を伴ひ。たゞ今桜川へと急ぎ候ふ。

筑波山。此面彼面の花盛。/\。雲の林の影茂き。緑の空もうつろうふや松の葉色も春めきて。嵐も浮ぶ花の波。桜川にも着きにけり/\。

いかに申し候ふ。何とて遅く御出で候ふぞ待ち申して候。

さん候皆々御伴申し候ふ程に。さて遅なはりて候。あら見事や候。花は今を盛と見えて候。

なか/\のこと花は今が盛にて候。又こゝに面白き事の候。女物狂の候ふが。美しきすくひ網を持ちて。桜川に流るゝ花をすくひ候ふが。けしからず面白う狂ひ候。これに暫く御座候ひて。此物狂を幼き人にも見せ参らせられ候へ。

さらば其物狂を此方へ召され候へ。

心得申し候。やあ/\かの物狂に。いつもの如くすくひ網を持ちて。此方へ来れと申し候へ。

いかにあれなる道行人。桜川には花の散り候ふか。

何散方になりたるとや。悲しやなさなきだに。行く事やすき春の水の。流るゝ花をや誘ふらん。花散れる水のまに/\とめくれば。山にも春はなくなりにけりと聞く時は。少しなりとも休らはゞ。花にや疎く雪の色。桜花。桜花。

散りにし風の名残には。

水なき空に。波ぞ立つ。

おもひも深き花の雪。

散るは涙の。川やらん。

これに出でたる物狂の。故郷は筑紫日向の者。さも思子を失ひて。思ひ乱るゝ心筑紫の。海山越えて箱崎の。波立ち出でて須磨の浦。又は駿河の海過ぎて常陸とかやまで下り来ぬ。実にや親子の道ならずは。はるけき旅を。如何にせん。

こゝに又名に流れたる桜川とて。さも面白き名所あり。別れし子の名も桜子なれば。形見といひ折柄といひ。名もなつかしき桜川に。

散り浮く花の雪を汲みて。自ら。花衣の春の。形見残さん。

花鳥の。立ちわかれつゝ親と子の。/\。行くへも知らで天ざかる。鄙の長路に衰へば。たとひ逢ふとも親と子の面忘れせば如何ならん。うたてや暫しこそ。冬ごもりして見えずとも。今は春べなるものを我が子の花はなど咲かぬ我が子の花など咲かぬ。

此物狂の事にて有りげに候。立ち寄りて尋ねばやと思ひ候。いかにこれなる狂女。おことの国里は何くの人ぞ。

これは遥の筑紫の者にて候。

それは何とてかやうに狂乱とはなりたるぞ。

さん候唯一人ある忘形見の緑子に生きて離れて候ふ程に。思が乱れて候。

あら痛はしや候。又見申せば美しきすくひ網を持ち。流るゝ花をすくひ。あまつさへ渇仰の気色見え給ひて候ふは。何と申したる事にて候ふぞ。

さん候我が故郷の御神をば。木花咲耶姫と申して。御神体は桜木にて御入り候。されば別れし我が子も其御氏子なれば。桜子と名づけ育てしかば。神の御名も咲耶姫。尋ぬる子の名も桜子にて。又此川も桜川の。名も懐しき。花の塵を。あだにもせじと思ふなり。

謂を聞けば面白や。実に何事も縁は有りけり。さばかり遠き筑紫より。此東路の桜川まで。下り給ふも縁よなう。

先此川の名におふ事。遠きにつきての名誉あり。彼の貫之が歌はいかに。

実に/\昔の貫之も。遥けき花の都より。

いまだ見もせぬ常陸の国に。

名も桜川。有りと聞きて。

常よりも。春べになれば桜川。/\。波の花こそ。間もなく寄すらめとよみたれば花の雪も貫之もふるき名のみ残る世の。桜川。瀬々の白波しけければ。霞うながす信太の浮島の浮かべ/\水の花げにおもしろき。河瀬かなげに面白き河瀬かな。

いかに申し候。此物狂は面白う狂ふと仰せ候ふが。今日は何とて狂い候はぬぞ。

さん候狂はする様が候。桜川に花の散ると申し候へば狂い候ふ程に。狂はせて御目にかけうするにて候。

急いで。御狂はせ候へ。

心得申し候。あら笑止や。俄かに山颪のして桜川に花の散り候ふよ。

よしなき事を夕山風の。奥なる花を誘ふごさめれ。流れぬさきに花すくはん。

実に/\見れば山おろしの。木々の梢に吹き落ちて。

花のみかさは白妙の。

波かと見れば上より散る。

桜か。

雪か。

波か。

花かと。

浮き立つ雲の。

河風に。

散ればぞ波も桜川。/\。流るゝ花をすくはん。

花の下に。帰らんことを忘れ水の。

雪を受けたる。花の袖。

それ水流花落ちて春。とこしなへにあり。

月すさましく風高うして鶴かへらず。

岸花紅に水を照らし。洞樹緑に風を含む。

山花開けて錦に似たり。澗水たゝへて藍の如し。

面白や思はずこゝに浮れ来て。

名もなつかしみ桜川の。一樹の陰一河の流。汲みて知る名も所から。合ひにあひなば桜子の。これ又他生の縁なるべし。

実にや年を経て。花の鏡となる水は。散りかゝるをや。曇るといふらん。まこと散りぬれば。後は芥になる花と。思ひ知る身もさていかに。われも夢なるを花のみと見るぞはかなき。されば梢より。あだに散りぬる花なれば。落ちても水のあはれとはいさ白波の花にのみ。馴れしも今は先だたぬ悔の八千度百千鳥。花に馴れ行くあだし身は。はかなき程に羨まれて。霞を憐れみ露を悲しめる心なり。

さるにても。名にのみ聞きて遥々と。

思ひ渡りし桜川の。波かけて常陸帯の。かごとばかりに散る花を。あだになさじと水をせき雪をたゝへて浮波の。花の柵かけまくも。かたじけなしやこれとでも。木花耶姫の御神木の花なれば。風もよぎて吹き水も影を濁すなと。袂を浸し裳裾をしをらかして。花によるべの。水せきとめて。桜川になさうよ。

あたら桜の。

あたら桜の。とがは散るぞ恨みなる。花も憂し風もつらし。散れば誘ふ。

誘へば散る花かづら。

かけてのみ眺めしは。

なほ青柳の糸桜。

霞の間には。

樺桜。

雲と見しは。

みよし野の。

みよし野の。/\。川淀滝つ波の。花をすくはゞ若し。国栖魚やかからまし。又は桜魚と。聞くもなつかしや。いづれも白妙の。花も桜も。雪も波もみながらに。すくひ集め持ちたれども。これは木々の花誠は我が尋ぬる。桜子ぞ恋しき我が桜子ぞこひしき。

いかにやいかに狂人の。言の葉聞けば不思議やな。若しも筑紫の人やらん。

今までは。誰ともいさや知らぬ火の。筑紫人かと宣ふは何の御為に問ひ給ふ。

何をか今は包むべき。親子の契朽ちもせぬ。花桜子ぞ御覧ぜよ。

桜子と。/\。聞けば夢かと見もわかず。いづれ我が子なるらん。

三年の日数程ふりて。別も遠き親と子の。

もとの姿はかはれども。

さすが見馴れし面だてを。

よく/\見れば

桜子の。花の顔ばせの。子は子なりけり鶯の。逢ふ時も泣く音こそうれしき涙なりにけれ。

かくて伴ひ立ちかへり。/\。母をも助け様変へて。仏果の縁となりにけり。二世安楽の縁深き。親子の道ぞありがたき/\。


拉致被害者のご家族が、拉致被害者と再会できますように。
願いを込めて、「桜川」を、お届けします。

山家集 紹介

あぶさんが、西行上人終焉の地の弘川寺の記事をアップしてくれました。
ありがとうございます。感激です。皆さん見てください。

河南町 弘川寺 西行上人終焉の地 1
河南町 弘川寺 西行上人終焉の地 2


和歌を学ぶ人へ
西行上人歌集「山家集類題」
和泉書院 影印本

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堀河局 仁和寺に住侍けるに まいるへきよし申たりけれとも まきる
ことありて 程へにけり 月の比 まへを過けるを聞て いひ送られける

      西へ行 しるへとたのむ 月かけの
      空たのめこそ かひなかりけれ

かへし   さしいらて 雲らをよきし 月影は
      またぬ心や 空に見えけん

昨日の「女郎花物語」の続きになります。
微妙に、語句など違っていますよ。
「西へ行」が、漢字ですと「西行」に直ぐ結びつきますね。
意味など説明は、こちらから


十帖源氏 紹介

源氏物語の梗概書
十帖源氏
古典文庫 上下 野々口立圃自筆版下本複製
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いつれの御時にか 女御かうゐ あまたさふらひ給ける
中に いとやんことなきゝはにはあらぬか すくれてとき
めき給ふありけり(いつれの御時とは 醍醐天皇をさしていへり 時めき給ふとは きりつほの更衣の事也)

  梨壺 照陽舎  桐壺 淑景舎  藤壺 飛香舎
  梅壺 凝花舎  雷鳴壺 襲芳舎

此きりつほにすみ給ふかうゐを 御てうあひあれは
きりつほのみかとゝも申也 あまたの女御かうゐそね
みて あさゆふの御みやつかへにつけても 心をのみうこ
かし うらみををふつもりにや あつしく成ゆき(をもき病也)
物心ほそけに 里かちなるを みかといよ/\あはれに・・・

参考:五舎
飛香舎(ひぎょうしゃ)=藤壺 弘徽殿と共に身分の高い人が住む
凝花舎(ぎょうかしゃ)=梅壷 六条御息所の娘が住み、梅壷女御と呼ばれる
昭陽舎(しょうようしゃ)=梨壷 女官の詰所、東宮の御在所
淑景舎(しげいしゃ)=桐壺 清涼殿からもっとも遠く、他の殿舎を通る
襲芳舎(しほうしゃ)=雷鳴壷 落雷を受けた木があった 東宮御所や女房の曹司になった

七殿については(弘徽殿など)、またの機会に。

十帖源氏は、絵入りの源氏物語の梗概書。梗概書と言っても上下合わせて800頁超の大作です。
17世紀半ば(万冶4年)に世に出ました。姉妹編に「おさな源氏」も有ります。
江戸時代も源氏の人気ありますね。東京駅八重洲地下街の八重洲古書店で購入。



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