伊勢物語と仁勢物語

パロディーと諧謔の、仮名草子。

熱田の縁采女

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熱田の縁采女
むかし尾張の国あつたといふ所に。名たかき人のゆかりの
すゑ。あるかなきかの体にてすみ給ひしが。一人のむすめ
を持給ふ。名をばえんねめといへり。此姫みめすがた心ざ
ま人にすぐれて見えければ。父母かきりなくいとおしみ
けるに。うゐ無常の世のならひ。今にはじめぬことな
れば。父母ほどなくむなしくなりければ。えんねめは
おばにやしなはれ年月をおくりけるが。はや十五歳に
ぞ成にける。其とし父は七年 母は第三年にあたれり。
然る間此えんねめ。いかにもして孝養をなさばやとは
思へ共。我さへかく。おばにあふし立られし身なれば。いとな
むへきやうもなかりけるに。其ころ駿河の国葭原とき

大倭廿四孝
元禄十一年板複製
見出しでは、「えんうねめ」。
本文では、「えんねめ」になってます。

國芳の「熱田縁采女」

國芳の「熱田縁采女」

熱田の縁采女は、江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人、歌川国芳によって、浮世絵に描かれています。
その絵のサイトと絵に書かれていた文字を掲載します。

・國芳の「熱田縁采女」
イメージ 1

http://nla.gov.au/nla.pic-vn4773750

・絵の中の文字、刻したモノは下記です。

本朝廿四孝
熱田縁采女

名ある者の女にて父母にはやく
わかれおばに養いくせられ十五才
の時駿河の芦原といふ所の池に
大蛇住て毎年十五才の女をいけ
にえにそなふ今年有徳の人の女
いけにえに當りしゆへ金銭にて身
がはりをもとめける采女此よしを
きゝ我世にありてもせんなしと鳥目
三千疋に身をうりいけにえにたつ
孝心の徳をもつて神仏守護し
大蛇を亡し其身はとうり天
へのぼられけるこれまことに
孝行のいとくなり

一勇斎
國芳

訂正:
熱田の縁采女-1で、本文中で「計銭三千疋」と書いてしまいました。原文では「けいせん三千疋」でしたので、誤って漢字にしてしまいましたが、「鶏銭」に訂正いたします。國芳の絵の中に「鳥目三千疋」とあり、これは江戸時代までの銭貨は中心に穴があり、その形が鳥の目に似ていたところから出た言葉。現在は多く「お鳥目」の形で用いられてます。ということで「鶏銭」に訂正いたします。すみませんでした。

熱田の縁采女-2

特別企画 熱田の縁采女-1より続き          現代文です(一部会話など文語)

 程なく葭原の在所に着いてあるじの夫婦、縁采女(えんねめ)を得て喜ぶこと限り無しであった。まずは、その祭りの日までは、いたわり、色々な珍しい物を与え縁采女をもてなしました。縁采女は心に思うことは、「我はほどなく消えなん身なれば」と、返事の間も惜しいと、昼はずっとお経(仏さまの教え)を読み、夜はずっと念仏(仏さまを念ずること)を申しあげて、二親に回向(死者の成仏を祈って供養を行うこと)し、又自身の後世も祈り続けました。

 あるじの夫婦も、親の追善のため身を売った人と聞いて、その志を感じて哀れんで、常々、慰めの言葉を掛けるのであった。そうしてはいても、羊の歩み(死が近づいてくることの例え)の如く月日はかさなり、はや六月十四日になりました。明日は例の所のお祭りだと、あっちこっちで賑わい騒ぎながら、夫婦の家にも「牲(にえ)のご用意をしてください」と、里々より使いが来て確認する。女房も涙を流しながら、縁采女に向かいその由を伝えれば、縁采女は思い切り身ながら、さすがに胸が塞がれる思いして、心ならずも泣き崩れた。

 今宵一夜の露の如くの命の儚さに、思いをはせる。なお父母を思い出すのは、あの折りもホトトギスが啼いていた、

 〽時鳥(ほととぎす) なれも冥土の 鳥ならば 我がかぞいろ(父母)の ありか教えよ

短い夜の月も、たいへん明るく、つくづくと眺めながら、

 〽あふぎなれし この世のみかげ 後の世の 闇をも照らせ 有明の月

と詠じて涙を流してうつ伏せる。あるじの女房も心ある人で、この哥を聞きながら「さても哀れな哥や、いたはしの心や、このほど馴れ参らせ、心のほどをもひき見せしに、ただ人の姫とも覚えず。何事に付けても、愚かなる事も負わせぬ人を、かゝる憂き目にあわせ、失はん事の哀れさよ」と、言って共に涙を流した。

 縁采女は女房に言うには「このほどの御心ざし返す/\も有難ふ侍る也。我むなしくなるならば、一遍の御念仏の回向にもあづかり候はゞ、後の世までのご芳志にて候べし。この身、命は父母のためすてをき候へば、大蛇の餌食とならん事、露、塵ほども惜しからず。ただ後生こそ悲しく侍る」など、細々と言い語れば、漸う/\月も入りがたになって、鶏の声(八声の鳥)が聞こえる。

 東雲の雲も心細く引き別れる折りし時、野寺の鐘の音、すごく生滅々(生ずると滅びること)と告げ知らせる。「あれ!聞き給へ。こや(此れや)(祇園精舎の)無常院の鐘の音の、我を誘える声ならん」と言って、縁采女、

 〽響きくる 無常の鐘の 声聞けば 露の命の 程ぞ悲しき

あるじの女も泣きながら

 〽誰とても 遁れやはせん わたり川 遅れ先立 道ぞ悲しき

大変しみじみと言い交わしながらしていると、郷人多く来て「牲の娘を、疾く出したて給へ」と言う声を、遠くから聞けば、あるじの女房も胸打ち騒がれ、よろ/\と立ち上がり、祭りの儀式の支度をするのであった。

 縁采女もこの声を聞き「此れやゑんわう(閻魔大王)の使ひに獄卒共の来たれるにこそ」と思い、心も心ならず。しかしながら、思い決めたことなので、今更驚くこともないだろうと心を変えて、最後の旅立ちの支度をして庭にでてみれば、里人、立ち寄り四方輿に縁采女を乗せ、あの淵の際に連れてきた。祭りのおりであるので、人々あまた御幣を持って、姫を床の上に据え置いて、供物を供え苞(つと・土地の産物、贈り物)をあげ、神事をなして日が暮れれば、皆、里々へ帰って行った。

 さて縁采女は、ただ夢のように生きた心地もないのだけれども、気持ちを取り直して、肌の守りよりお経を取り出し左に持ち、右の手には水晶の数珠をつまぐり、西に向かい目を閉じ、「南無帰命頂礼(仏神の名の前に置いていう言葉)三世の諸仏、十方の菩薩(じっぽう・四方、四隅、上下の菩薩)、梵天帝釈(仏法護持の神)、四大天王(天に住む仏教における4人の守護神、東方持国天・南方増長天・西方広目天・北方多聞天)、とくには氏神熱田の大明神、三十番神(交替で国や民などを守護する30柱の神々)、十羅刹女(天における10人の女性の鬼神)も我をあはれみまし/\て浄土へ導きおはしませ」と、一心に渇仰しながら待っていた。

 そうしながらその夜の子の刻じぶんに、川波、にわかに振動してしきりに逆巻く水の底より、とても恐ろしい大蛇の姿が現れた。長さは百丈(300m)もあり、両目は日月のように光り輝き、皮膚のひれは剣の刃を植え列べたように見え、頭には枯れ木のような角を振り立てて、縁采女がいる床の上に頭をさし上げ、真っ赤な舌を振り立てて飲まんとする時、これが最後と念仏し、あのお経を額に押し当てて「わくぐあくらせつ どくりうしよきとう ねんひくはんをんりき(或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力・観音経)」と、唱えれば、お経から光が出て縁采女を照らし始めた。その光は大蛇から見れば、八尺の剣を振るように見えた。それゆえ縁采女を飲み込むことが出来ず、あたりから去ると見えたが、しかし、大蛇は大いに腹を立て、怒りを為して雲霧を起こし、大風を吹かし、尾で水面を叩けば淵の波は震動して、上へ下へと波打つ。

 その時、黒雲舞狂い、月の光も埋づもれ、大雨しきりに降りくだり、長夜(じょうや・夜じゅう)の闇になったけれども、「あら!ありがたや」。お経の光はなおも輝き増し、辺りを払って明るく照らし出した。輝ける所に喜見城にいらっしゃる帝釈天大王が、ご叡覧あって「それ下界広しと雖も、かく心ざしの切なる女は無し。いざや諸天、下界に降り大蛇を平らげ縁采女を助くべし」との算段にて、四天王諸共に、刹那(瞬間)が程に天下りまし/\て、かの大蛇を八つ裂きに裂いて投げ捨てた。

 そうしてから帝釈天は、縁采女の頭を「善き哉/\」と三度撫でてくださり、「いざや縁采女、かく浅ましきこの下界に住みて何の要や有る。我が都へ具すべし」とて、紫雲に乗せて諸天とともに、囲繞渇仰(ゐねうかつがう・3度仏の周りを巡って礼拝すること)して、喜見城にお帰りになった。孝行深い縁采女は、死ぬことなく生きたまま、とう利天(六欲天の下から二番目の天)の喜見城に昇って、楽しみを極めたとか・・・。

 このような奇瑞は上古も今も末代も、例しの無いことのように覚えます。であるから、此の縁采女は熱田の大明神が、あの大蛇を退治し、衆生を助けるためのご方便として、仮の女に姿を替え、孝行深い輩の威徳(威厳と徳望)を現したものであった。その有様の有難さは言葉に尽くせないほどです。

 熱田縁采女 終わり

仮名草子・大倭二十四孝 第十三・熱田縁采女事、元禄十一年
古典文庫からyoshyが、現代文にしました。
仏教用語が多く、間違った使い方など気がつきましたら、そっと教えてください。
原文はこちらで見られます。

熱田の縁采女-1

特別企画                 現代文です(一部会話など文語)

熱田の縁采女(あつた の えんねめ) (仮名草子・大倭二十四孝 第十三)

 昔、尾張の国、熱田と言う所に、名高い人の縁の末裔が、細々と住んでいましたが、その夫婦に一人の娘がいました。名前は縁采女(えんねめ)と言います。この娘は容姿・心映え人に優れているようで、両親は限りなくいとおしみ育てゝいましたが、有為無常の倣い、今に始まったことでは無いが、程なく相次いで父母は亡くなってしまいました。

 縁采女は、叔母に養われ年月を送っていましたが、早くも十五歳に成りました。その年は父は七回忌、母は三回忌にあたっていました。その間、縁采女は、どうしても孝養のため供養をしたいと思ってはいましたが、自分自身も叔母に養われてる身分、法要を営むすべもありません。

 その頃、駿河の国、葭原と言う所に、不思議なお祭りが有りました。その由来を尋ねると、彼の在所のあたりに、大きな淵があり、この淵に大蛇が住んでいて、年毎に卯月・皐月の頃には、洪水を起こし田畑を損ない、人の命を奪い取ること限りなしであったそうです。里人はこれを、悲しんでいました。その頃、冨士の裾野に貴い上人がいて、時々あの淵の辺りに出かけることがあり、お経を読んで、大蛇を宥めていてくださっていた。

 ある時かの大蛇、女の姿となって上人の元へ参って申するに、「我はこの川に住む大蛇なるが、御僧の尊くいませば結縁(けちえん)のために参りたり。又我、年毎に大水を出し人々を悩ますこと限りなし。我が心をなだめんと思はゞ、毎年六月十五日に神事をなして我を慰め、みめ良き娘の十五歳におよぶを生贄にそなふるものならば、洪水を出すこと有るまじ。上人この事を郷人に告げ知らせ給へや」と、言い捨てゝ、また大蛇になって淵に入っていきました。

 この事は隠れのないことなので、大蛇の言った言葉の通り、それ以来、毎年あの淵の上に床を敷き、供物を供え幣帛を立て、生贄を供え神事をすることが久しく続いていました。それで、この人身御供になる女子は、葭原あたりの里々にては、いかなる人の娘であろうとも、十五歳になれば牲(にえ)の役をしなければなりませんでした。

 そのような在所に大変有徳な人がいましたが、一人娘を持っていました。もうじき十五歳になるとき、やがて牲の役に差し出す番が回ってきて恐れおののき「いかがすべき」と、悲しんでいたが、ふと思いつき「代物はいかほどにてもあれかし、十五歳の女子を買い取りて、我が娘の身代わりに立たせばや」と、言って多くの人に数限りない宝を持たせ国中を探しに行かせました。しかし十五歳の女は沢山いましたが「牲の為」と、聞けば売ろうという者はいませんでした。

 仕方なく他国にも足を伸ばし尋ね行き、熱田に至ってここかしこ、密かに問い巡っていたとき、縁采女(えんねめ)は、是を聴き「我かくて憂き世にありとても、二親の御為に孝養すべき力もなし。あはれこの身を売りて父母の孝養せばや」と、思う。しかし、または「このまゝ姿を替え、尼僧となり食を乞いながら野宿などして、各地を巡り歩いて修行(頭陀)を行い、諸国を巡り、霊仏霊社をお詣りして両親の菩提を弔いをしようか」と、心を一つに定められず、寂しく窓際の脇息(おしまづき)に寄りかかり、むなしく空をながめ、しばらく目を閉じ、仇なる浮世に思いをめぐらせば、梢の露、元の雫の儚い見本。嘆いてもなお、余りある愛する者との別れの苦しみ(愛別離苦)と悲しさで満ち溢れるのであった。

 誰か会う者は、必ず離れる運命にある(会者定離)ことを、免れるだろうか。恐れても恐るべきは、この世(娑婆)の妄執。苦しみの絶えない人間界の煩悩は、火に焼かれる家(三界無安猶如火宅)のようだ、と法華経は説いているように、栄耀栄華も身の仇になるでしょう。たまたま一時の栄えを楽しむ人であっても、稲妻の光や朝の露(電光朝露)のように夢の戯ぶれ、または命は蜉蝣(ふゆう・カゲロウ)の如く、朝に生まれ夕べに死ぬ運命にあります。身体は、芭蕉が風になびいて破れやすいのと少しも違いが無い。松の木の千年の緑も、最後は朝顔(槿花)の、一日の影を待つのに似ている。それは朝には紅顔であっても、世渡りの道(世路)に誇ることがあっても、夕べには白骨になって野原に朽ちてしまう。宵には澄みわたった月(朗月)を愛でても、暁には別れの雲に隠されてしまう。

 このように拙い露のような身でありながら、諸国を巡って永らえて行くならば、人間の心は花の色の移ろいにならい、押すに押されぬ仇びとの思わぬ事に出会って、来世に悟りをひらく(後生菩提)妨げとなるのも、浮世の業であろうから、そのような心変わりに至って後悔するとも構わないと、成り行きに任せて生きて、何処かの里へ一人留まるべきであろうか。でも、しかし、生を代え極楽世界に生まれて、父母一族諸共に、一つの蓮の縁になるのが一番であろうと思いを定めて、縁采女(えんねめ)は、密かに人買い人の宿に行きました。人買い人と話をする姿は、傍目から見て誠に哀れに見えました。

 縁采女は、人買い人に向かって「今年十五になり侍るが、幼少にて父母に死に遅れ、みなし子となりて、叔母御の御憐れみにより、今まではかくて過ごす也。しかれば親たちの御跡を弔い申したく候へども、この身貧なれば力なし。今御方々のお尋ねある年にあいまいらせ候こそ、身の幸いにて侍れば、妾が身を売り申すべし。去りながら、父母の孝養のほどは身の暇(いとま)を給わり候へ」とお願いする。

 人買い人この由を聞いて、「さても不憫なる事仰せ候や、志のほどの哀れさよ」と、言って涙を流したが、そうは言っても申しとどめる理由もないので、「さて代物はいかほどまいらすべき」と言う。「三千疋(一疋=10〜30文、一文=10円位)や給らん」と言えば、「安いものだな」と言って、鶏銭三千疋を縁采女に与えました。縁采女、これを頂いて親しき人々を頼んで、御僧達を招き一日中経を書き、塔婆に供えました。

 父母精霊、並びに一門の人々が、速やかに極楽往生すること(頓証菩提)と、回向をお祈り申して、それからさらに、お宮に行き「南無大明神、この年月歩みを運びし御利生(ご利益)に、父母諸共、同じ蓮の縁となしてたび給へ」と、懇ろに祈誓しました。そして、我が家に帰り日頃住み慣れた所を見渡せば、蓬生も、庭(?・えん)の呉竹も一しお懐かしく眺めて、泣きながら哥を詠みました。

 〽今はとて わかれ行く共 袖ふれし 軒のしのぶも 我をわするな

と眺めながら、叔母御の御方へ、ふみを細々と書きしたゝめました。その言葉も、これまでの年月の御情けはなかなか書き尽くすことが出来きません。もう一度、お会いして暇乞いをしたいけれど、思い切って決めたこの身なので、もし叔母様が嘆きの色を見せられたなら、中々後の世の障りになって決心が鈍ってしまうので、お知らせもできませんでした。

 「喩(たと)ひ空しくなりたりとも来世にては必ず参り逢い、ご恩を報じ申すべし。只とにかく御ゆくゑをも見とどけ申さで、かくはかなく成りゆき候へば、さこそゆい甲斐無きものとおぼさるべし。これのみ心にもかかりまいらせ候へ。此の文を我なりと思しめせ」など書きつらねて、

 〽露の身の 消えむ命は 惜しからず 君が心の ほどぞ悲しき

と書いて、唐の鏡に鬢(びん)の髪を少し切って文に添え、涙を拭いながら置きました。又日頃なじみ深い人々にも、とりわけ書きたいと思うのだけれども、自分の心の悲嘆によりうまく書くことが出来ないので、只「御名残り惜しや」とのみ書きました。

 夜が明ければ必ず人買人の手に渡るこの身、今夜一夜のなごりに浸って、夜もすがら泣き明かしていると、初音を告げるホトトギス(時鳥)が、我は顔に「不如帰(帰るにしかず)」と啼くのを聞いて、これは冥土の使いだろうと思って、

 〽あたら夜の 死出の田長の 一声も 我夜道をや 誘いきぬらん

と空を眺めると、まだ東雲の明け切れていないうちに、人買人が来て、「早く支度しろ、早く」と責めたてました。

 縁采女(えんねめ)は、父親から貰った守り仏の観世音を首に掛け、金泥で書かれたお経一巻、水晶で出来た数珠を持って、人買人の男達と連れだって駿河の国へ急ぐのであった。心の内は本当に哀れでした。

続く

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