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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 二十八段
参考1
おなし人=同じ人、戒仙。前段参照
ちゝの兵衛佐=父のひやうゑのすけ、在原棟梁(ありわら の むねやな)
いますからぬことの=いらっしゃらないことの
まらうと=客人
こひけり=恋しがった
朝霧の・・・=朝霧の中に亡くなった父君がいらっしゃるなら、
霧が晴れるに従って(お姿が見えるので)うれしいことでしょう。
ことならは・・・=出来ることならば、晴れないでほしい、秋霧の
中に(亡き父が)紛れて、見えないと思っていたい物です。
貫之=紀貫之、古今和歌集の選者のひとり。三十六歌仙の一人
友則=紀友則、貫之の従兄弟、古今和歌集の選者のひとり。三十六歌仙の一人
参考2
二つの哥は、
霧が晴れて欲しいと、
霧が晴れないで欲しいとの対比ですね。
故人の思い出とともに、偲びながらの贈答歌です。
それに在原棟梁と戒仙の、人間関係が興味深いですね。
現代で言えば、有名人の葬儀に、誰それが来たとか来ないとか。
そんな中でも、故人を偲ぶ二つの洒落た和歌が光っています。
無粋なリポーターは、いませんから。
夜通し故人を偲びながら、
酒を呑んでいたんだ。
さぞ賑やかな葬儀だったのかな??
悲しいときでも哥を作る。
哥は「人の心をたねとして、
よろづの言の葉とぞなれりける。」
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大和物語
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 二十七段
参考1
かいせうといふ人=戒仙法師、次の28段で紀貫之や紀友則と親交が見える
山にすむ=比叡山に住む
あらはひ=側註:洗濯
むつかりて=親が機嫌を損ねて
今は我・・・=今は私は何所へ行ったら良いのだろうか。比叡の山に来ても、
世の憂さはなおも絶えないものだなぁー。
参考2
親や兄妹からしてみれば、
勝手に僧になって、その上、洗濯物なんかを押しつけてくるなんて!
戒仙法師さんは、
僧になっても世の憂さはついて回るもんだなぁー!
こんな遣り取りですね。
良い生まれの人だったので、
自分で洗濯などしたことが無かったんですね。
現代でも、親の忠告も聞かず、
勝手をして面倒なことは親に押しつけるなんて有りますね。
今も昔も変わりません。心当たりは有りませんか?
私?学生時代、八王子に一人で住んでいた頃、
洗濯物を持って実家に帰った記憶が有りますよ。
挙げ句の果ては、大学中退。
勝手ばかりしていました。
親は有難いですね。
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 二十六段
参考1
桂のみこ=宇多天皇皇女・孚子(たかこ)内親王、式部卿宮とは異母妹 20段既出
いとみそかに=たいそう密かに
あふましき人=逢ってはいけない人、禁断のお方
おとこのもとに読て をこせ給へりける=男の元へ桂のみこが詠んで送られた
それをたに・・・=せめてそれだけでも、私のことを思ってくださるのでしたら、
私の住まいを見たなどと口外しないで下さいね、人が聞いて噂しますから。
参考2
禁断の恋、燃えるんでしょうね。絶対に人に知られたく無いんです。
耐え忍ぶ恋なんです。
でも、こうした人は、一人では出歩かないので、
良く喋る下人や、女房がいるんで、漏れ伝わるんですね〜〜。
さて、お相手はだれ??
哥の側注には、「古今 恋五」。しかし「よみ人しらず」で、手がかり無し。
この時代、多くの妻や恋人は普通であったので、「禁断」という側面や、
大和物語20段、そしてこれから先の40段がらみで、
故式部卿宮・敦慶(あつよし)親王なんでしょう!
光源氏のモデルになっていると噂される皇子です。
そして「桂のみこ」とは、異母ながら「兄」と「妹」。
まさに禁断の恋ですね。
「愛しているなら、絶対に人には言わないでね!」って念を押してるんですね。
禁断の恋、ドキドキしたいけど、
山の神も怖い・・・・。
根性無しの______
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 二十五段
参考1
ひえの山=比叡の山、延暦寺
念かく=念覚、写本により明覚
しとく=宿徳、僧などが修行して、人徳のあること。至徳=この上なく立派な徳、最高の徳
大とく=大徳、仏のこと、高徳の僧
しにけるかむろに=死にけるが室に、「むろ」=僧の住居、僧房
松の木のかれたるをみて=日本では長寿を表す縁起のよい木が枯れるのを見て
主もなき・・・=今は主がいない宿坊の枯れた松を見ると、
千年も過ぎたような心地がします。
としこかせうと=「としこ」の兄、「としこ」は、3, 9, 13段既出
参考2 荒筋
亡くなった人の思い出の品や場所で、ふと過ぎ去った年月を思うことがあります。
そうすると故人とのいろんな思い出が次から次へと出て来て、涙が止まりません。
この段では、無人となった宿坊と、近くにあった松が枯れてしまって、
過ぎ去った年月を、弟子達がしみじみと思いに耽りました。
参考3
土佐日記の最後にこうした場面があり、千年後の読む私たちも涙を流します。
生まれしも かへらぬものを わが宿に 小松のあるを 見るがかなしさ
この家で生まれた女の子が、帰らないのに、我が家の松(待つ)のあるのを見るのは、なんと悲しいのだろう。
見し人の 松の千とせに 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや
いつも見ていたあの子が、松の千年もの寿命があの子にあったなら、遠く土佐の地で悲しき永遠の別れをしなかったろうに。
大和物語の作者、土佐日記のこの部分を多分に意識しているのかも知れません。
紀貫之は、京から連れて行った娘を、任地の土佐で亡くし、埋葬し、
任期後、娘の墓を残して帰京して、池の畔の松を見て詠んだ哥です。
ぜひ、日本文学史上、初めての日記文学、傑作「土佐日記」、読んで下さいね。
永遠の別れは辛い。
その思い出の品や場所、
見ると涙が出る。
でも、きっと見ていてくれる。
思い出したら、きっと喜んでいる。
そう、思いたい。
土佐日記の最後を読み直して、
やっぱり素晴らし古典です。
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 二十四段
参考1
先帝=せんてい、先代の天子、醍醐天皇説と清和天皇説がある、
先帝を「せんだい」と読むのは呉音。
右大臣殿の女御=藤原定方の娘・能子説と、藤原良相の娘の多美子説がある。
定方・良相、ともに三条右大臣
うへの御つほね=天皇の近くに伺候したときの控えの部屋
したまち給ひける=ひたすら心待ちしていた
日くらしに・・・=終日、帝のお出でを上の局でお待ちしておりましたが、
来てくださらなかった。松山(待つ)のホトトギスのように、
鳴き声を惜しまないで泣いています。
日暮・蜩、時鳥・時・待つ・縁語、松山・待つ山、君は天皇、時鳥は女御
参考2
せっかく覚悟を決めて上の局に登って終日待っていたのに、
帝は来てくださらなかった。
切なくて声を惜しまず泣いています。
さて、帝と女御は誰なのか??
醍醐天皇説と清和天皇説。
藤原能子説と藤原多美子説がある。
この「群書類従」本の補注によると、醍醐天皇と定方の娘・能子の方だ。
写真クリックで拡大、確認できます。↑
でも、悩ましい!?
持っている他の写本(秋成校正本と勝命本・影印)では、その様な補注は無い。
大方の説は、醍醐天皇と藤原能子(よしこ・のうし)ですが、
少数派の清和天皇と藤原多美子(たみこ)説を採用します。(^_^;)
理由??
簡単です。その方がおもしろい。
伊勢物語と関係が出来る。\(^O^)/
藤原良房の押す姪「高子・二条后」への気兼ねで、
清和天皇は、藤原多美子の待つ局に行けなかったと理解したい。
藤原良房の外戚としての力、侮れませんから??
高子(たかいこ)は、伊勢物語の主人公・在原業平と恋愛関係がありましたね。
後に高子は陽成天皇の母になります。
高子は血筋も容姿も良かったし、この方がおもしろいでしょう!
多美子の悔しさ、切なさが伝わる哥になります。
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素人の都合の良い解釈です。
学問的には証明できませんから!
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