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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 4段
参考1
墅大貳=野大貳・やだいに、小野好古、884〜968、平安中期の武人・歌人。道風の兄。
すみともかさはきの時=939年(天慶2年)天慶の乱・藤原純友の乱、小野好古が追捕使として鎮定。
うての使=討手(うって)の使い、小野好古は追捕山陽南海両道凶賊使長官
四位にもなるへきとし=順調にいけば四位に叙任される年
むつきのかゝい=睦月の加階、正月7日に位階を上げること
いとゆかしうおほえけれと=たいへん興味を覚えていたけれど
近江守公忠=源公忠、光孝天皇の孫、大鏡・宇治拾遺物語などに登場
玉くしけ・・=二年の間お逢いしませんが、
五位の緋色の袍のお姿のままで逢おうとは思いませんでした。
玉くしげ=櫛を入れる箱、二とせ=2年と蓋、あけ=開けると赤(緋色)、他に縁語あり
四位にならぬよし=五位の袍の色・赤(緋色)ままで、昇進はしていないことを暗示
参考2
後撰集 1123
小野好古朝臣、にしのくにのうてのつかひにまかりて二年といふとし、四位にはかならすまかりなるへかりけるを、さもあらすなりにけれは、かかる事にしもさされにける事のやすからぬよしをうれへおくりて侍りけるふみの、返事のうらにかきつけてつかはしける
公忠 源公忠朝臣
玉匣 ふたとせあはぬ 君かみを あけなからやは あらむと思ひし
1124 返し 小野好古朝臣
あけなから 年ふることは 玉匣 身のいたつらに なれはなりけり
私の人生、昇進とは無関係に生きてきました。
昇進できず越されていくのは、気持ちの上では大変でしょうね。
小野好古は、1月7日の加階にはもれましたが、5月に昇進しましたよ。
官位は従三位まで登り詰めました。
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大和物語
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「大和物語」を始めて、群書類従本の1冊しか無かったので、
2冊の影印本を仕入れました。
秋成校正本と勝命本です。
秋成校正本は、装幀がいいですね〜。布貼りエンボス箔押しです。
文字はあまり好きな書体ではありませんが、読みやすいです。
でも、スラスラではありませんよ。
勝命本は、書体がキレイですね。見ていてリズムが感じられます。
でも、読みにくいですね。馴れるまで時間がかかりそうです。
これで、元からあった群書類従本と合わせて、読み比べが出来ます。
「大和物語」は、写本により、欠落や違いが有りますので、
読み比べで、役立てるつもりです。
あと二類系統の影印本が、手にはいるといいなーと、思っています。
「大和物語」秋成校正本 桜楓社 一類 定家本系
「大和物語」勝命本 汲古書院 三類 勝命本系
「大和物語」群書類従本 一類 定家本系 ←この本でyoshyはブログやってます。
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 3段
参考1
故源大納言=故・源清蔭、陽成天皇の第1皇子、後撰和歌集に8首
宰相=参議の唐名、太政官に置かれ、大・中納言に次ぐ要職
京極のみやすところ=京極御息所、藤原褒子、宇多上皇の寵妃、元良親王に懸想される
亭子院の御賀=宇多上皇の60歳の賀、60歳のお祝い
さゝけもの一えた二えた=献上品を枝に付けたもの一枝、二枝
ひけこ=ひげこ・髭籠、竹を編んで、編み残しの端をひげのように延ばしたかご、
贈り物などを入れるのに用いた
としこ=源清蔭の義弟藤原千兼の妻、承香殿俊子、後撰和歌集に7首
しきもの=髭籠の敷物
より くみ=縒り・組み、糸を縒ったり組んだりして飾り付ける
いそきたまひける人=急がせた人、源清蔭
千々の・・=色々な色に染めるのが忙しかった秋は過ぎて時雨の季節、何を染めましょうか?
時雨=しぐれ、時雨の季節は十月、秋は九月
かたかけの・・=片帆の横風を受けて進む小舟は白波が立つと乗っている人とは、
騒ぐ時だけ(忙しいときだけ)私を思い出すのでしょうか、軽い嫌み・なじりがあります。
きさらき=如月、2月
やなきのしなひ=柳のしなやかな
けに なかきなん=異(け)に長きなん、とくに長いのが
青柳の・・=早春の青柳がしなやかに延びてなびく長閑な春の日にも思い出してますよ
はへて=延(は)へて、月日が経る事を掛ける
春日しも社=春日(はるひ)しも社(こそ)、春の日こそ
参考2
としこさん、かる〜い皮肉を言ってしまったけど、
月日を経ての哥の遣り取りで心がなごみ、
後々まで、この事を語ったとさ。
「やまとうたは、・・をとこ をむなの なかをもやはらげ・・」
普通だったら、都合の良いときだけ「こき使って!」と、
怒ってしまうところ、和歌一つで、なごんでしまいました。
賀について
賀は40歳のお祝いから始まって、十年ごとに行います。
この段の「亭子院の御賀」は、60歳のお祝いの時のお話になります。
こうしたお祝いの席では、たいてい和歌が詠進され言祝(ことほ)ぎます。
古今和歌集 巻七に「賀哥」の部が設けられて、以後の歌集にも「賀哥」の部があります。
「賀哥」の中で一番有名なのが、日本国国歌「君が代」です。
「古今和歌集」の賀哥の「君」は広くもちいる言葉であって、天皇をさすとは限りませんし、
こうした区切りの「御賀」の席で詠われたものです。
「君が代」は、1000年以上の歴史を持つ哥です。大事にしましょう。
古今和歌集 巻七 賀哥 343 よみ人しらず 題しらず
わが君は 千世にやちよに さざれいしの
いはほとなりて こけのむすまで
「君が代」を戦争の哥だと言う人がいる。
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群書類従巻第三百八上
大和物語 上 2段
参考1
みかとおりゐ給ひて=亭子のみかと・宇多帝が譲位なさり
御くしおろしたまひて=剃髪をなさって
山ふみ=霊山を歩くこと
をこなひ=行い、修行する
備前=岡山県の南東部にあたる、古くは吉備の国の一部
せう=掾・じょう、日本の律令制四等官のうち三等官を指す
たちはなのよしとし=橘 良利
内=内裏、宇多帝が宮中に居られたとき
やかて御ともにかしらおろしてけり=すぐさま一緒に髪を下ろした
人にもしられ給はてありきたまひける御ともに=他の人に知られず山歩きをなさっているお供に
あしき事なり=子の醍醐天皇と側近は、そのような忍び歩きは感心しないと忠告する
さふらへ=さぶらへ、お供せよ
たかひつゝありき給=逢わないようにして山歩きをしてしまう
いつみの国=和泉国、大阪府の南部にあたる旧国名、略称泉州
ひね=日根、大阪府泉佐野市日根野
よしとし大とく=(橘)良利大徳、大徳は高徳の僧
故郷の・・=新古今集 巻第十 羇旅哥 912 橘良利
日根での旅寝の夢にふるさとの家族を見たのは、
家族が恨んでいるからなのか、私が一度も訪ねていないからなー。
旅ね=たびね→たひね→ひね→日根、掛詞
えよますなりにけり=後続の哥を詠むことが出来なくなってしまった
寛蓮大とく=橘良利の僧名、寛蓮大徳
参考2
似た話に伊勢物語85段があります。読み比べましょう。
文の構成など、大和物語は、伊勢物語85段の影響を感じることができますね。
「大鏡」では、宇多帝がまだ源氏であった頃、在原業平と相撲を取りました。
さて、どちらが勝ったでしょうか?(^O^)/
また出家後、橘良利だけが、宇多帝に奉仕したことが書かれています。
「大鏡」では、備前の掾ではなく、肥前の掾となっています。大鏡-帝紀59代
「今昔物語」では、「碁打ち寛蓮、碁打ちの女にあへる語」に、
出家後の橘良利が、碁の名人として出てきます。
誰か読んで補足してください。m(__)m
宇多帝と橘良利(寛蓮大徳)の出家してからの忍び歩き。
日根で寂しくなっているところに、大徳の哥でますます故郷が恋しくなりました。
2人の友情は途切れることなく続いていきます。
「掾」という身分は、天皇近くにいる身分では無いと思うので、
よほど宇多帝は橘良利をかわいがって、お側に伺候させていたんでしょう。
橘良利は、哥が上手く、碁も名人だったそうです。
そして出家後も、変わりなく仕えたそうです。
素晴らしい主従の友情が続いて、現代の私たちをも和ませます。
藤原北家からの政治的自由を確保するため、突然の譲位をしたのかも知れない。
宇多帝と菅原道真(天神様)の関係も面白そうです。
誰か補足してください。m(__)m
宇多帝は、一度臣籍降下してから天皇になっている。
GHQによって、無理矢理臣籍降下させられた旧皇族の復権を!
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群書類従巻第三百八上
検校 保己一集
物語部二
大和物語 上 1段
参考1
群書類従=古書の散逸を危惧し、塙保己一が編纂した古代から江戸時代初期までの史書や文学作品、
計1273種を収めた叢書。保己一によって、日本の古典・国史が守られた。偉大な恩人です。
検校=けんぎょう、中世・近世の盲官の最高位の名称、座頭の親分。
保己一=塙保己一(はなわ・ほきいち)江戸時代の盲目の国学者。
「群書類従・続群書類従」の編纂者、日本のホメロスです(yoshy曰く)。
大和物語=平安時代に成立した中古哥物語、「大和」の名は「伊勢」に対する命名。
亭子のみかと=宇多帝、寛平9年(897年)に突然皇太子敦仁親王を元服させ、譲位し醍醐天皇とする。
いまはおりゐ給ひなんとするころ=譲位しようとする時、譲位する帝に関係する女性たちも退去する。
弘徽殿のかへ=弘徽殿(こきでん)の壁、清涼殿に近く、後宮で最も格の高い殿舎。
伊勢のこ=伊勢の御(ご)、御は敬称、伊勢の御息所、宇多天皇の后藤原温子に仕える。
伊勢物語の作者とも?。
別るれと・・=別れてゆく、惜しんでくれる者のいない宮中ですけど、
見ることができなくなるので何故か悲しい。
百敷=ももしき、宮中、内裏、皇居、大宮などの枕詞
身一つに・・=別れを惜しむのはあなた一人だけではありません。
行き巡って、またいつか再び宮仕えして見なさい。
をしなへて=押し並べて、大体の傾向として、概して
参考2
亭子の帝が譲位すると、帝に関係する女性たちも宮廷から退去しなければいけません。
住み慣れた宮廷から退去して、ひっそりと埋もれて朽ちていく寂しさ。
伊勢の御は、湧き上がる思いを、和歌に託して壁に書き付けました。
それを見た宇多帝は、優しく伊勢の御を励まします。
どんな時も、悲しみに沈んでばかりいないで、前向きに行きましょう。
沈んでいる人に、励ましを掛ける人でありましょう!
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