伊勢物語と仁勢物語

パロディーと諧謔の、仮名草子。

小倉百人一首

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

29番 凡河内躬恒

小倉百人一首 二九番 凡河内躬恒(おおしこうち の みつね)

寒くなりましたね。初雪の便りも聞こえてきました。
今回は初冬に相応しく、菊と初霜が題材です。
まず源資晴の書です。
イメージ 1

心あてに おらはや 
おらん 初霜の
おきまとはせる しらきく
のはな

当てずっぽうに、手折るしか仕方ないな〜、
初霜が真白に積もって、
どれが白菊の花やら
さっぱり見分けがつかないから。
イメージ 2


出典は、古今集です。これも見てみましょう。

   しらきくのはなをよめる
             凡河内みつね
心あてに おらはやおらん はつ霜の 置まとはせる 白菊の花

詞書に、「しらきくのはなをよめる」とありますね。
急に冷え込んで霜が厚く積もって、
花の色が分からなくなっちゃたんですね。
少し大袈裟な哥で、雪だったらそう思うけど、
菊の季節なので霜になり、それなりに納得。
情景は、ピリリッと寒い朝、
真っ白な霜が降り菊がとても清楚に咲いているようですね。
今の季節にピッタリとした秀歌ですね。

イメージ 3 イメージ 4 イメージ 5

躬恒さん、地位は低いけど三十六歌仙の1人、
古今集の撰者と歌の世界では一流です。
でも、地方官ばかりを歴任しています。
それから当ブログ「大和物語」にも将来登場予定ですよ。(132段)
無名抄」と言う本では、
紀貫之と凡河内躬恒の優劣を問われた源俊頼は、
「躬恒をばなあなづらせ給ひそ(躬恒をばかにしてはいけませぬぞ)」と
2度ほど言ったよ!相当な実力派なんだね。
この優劣を言い争って負けた側は、本気で怒っていますよ。
酒の上での、G党と虎党の争いみたいです。(笑い)

イメージ 6

菊の花を見たら思い出してくださいね。


43番 権中納言敦忠

小倉百人一首 四十三番 権中納言敦忠(あつただ)

久しぶりの百人一首です。今回は権中納言敦忠です。
「百人一首」という名称が出来る前は、
「小倉色紙」なんて呼ばれていました。
「小倉色紙」から見ていきましょう。

イメージ 1
あひみての ゝちの
こゝろに くらふれは
むかしはものも お
もはさりけり

「小倉色紙」、あまりにも貴重だったので、
持っている人には宝物でした。
秀吉は欲しくて、所有者を亡したとも、
そんな逸話があります。
定家直筆で、100枚しか無いモノだから、
欲しくなりますよね。

イメージ 2
出典は、「拾遺和歌集」。恋の部。

                 権中納言敦忠

会見ての ゝちの心に くらふれは むかしは物も 思はさりけり

恋しい人に逢って見てから後は、
昔 その人を恋い慕っていた頃が、
いわば、物思いをしなかったようなものだ。

「逢い見て」は、逢って契りを結んでから・・・。
もう、逢いたくて、逢いたくて、
気が狂わんばかりに恋しさが増してしまったんですね。
皆さんもそのような経験が何度か有るでしょう?

イメージ 3
尚、「拾遺和歌集」の前に
「拾遺抄」と言う歌集があり、
「拾遺和歌集」の母体になったんだけど、
そこには、詞書があります。

  初めて 女のもとに まかりて 又の
  あしたに 遣わしける

要するに、「後朝・きぬぎぬ」の哥なんです。
衣を重ねて掛けて共寝をした男女が、
翌朝に哥の贈答歌の遣り取りするんですね。
この哥には、いとおしさや愛する故の心配、
次の機会は??等々、
もう、気が狂っちゃいます〜〜。
恋って疲れますね。若いうちにしようね!

権中納言敦忠について。
藤原敦忠と言います。三十六歌仙の一人。
美貌で、哥がうまくて琵琶も上手。
大和物語でも登場予定ですよ。(81・92・93段)

チョットだけ大和物語93段の予告の「さわり」を!
別のお姫様とのお話です。
好きになって、やっと愛おしい姫様(雅子内親王)の元へ
通えるはずだったのに、
なんと姫様は斎王(神様にお仕えする未婚の内親王)に選ばれちゃった!
あ〜〜、あの子は神様に取られちゃった。
とうとう思いは遂げられなかったそうです。

7番 安倍仲麿

小倉百人一首 七番 安倍仲麿

お爺さんとお婆さんの「天の羽衣」の話で、
天女が泣きながら「天の原 ふりさけ見れば・・・」と、
詠っていたので、今回は安倍仲麿です。

        安倍仲麿

  あまのはら ふりさけみれは かすかなる
  みかさの山に いてし月かも

大空をはるかに望むと、月が美しく昇っている。
あの月こそ自分がかつて故郷にいて眺めた、
奈良の春日の三笠山に出た月であろうか、故郷のことが思われる。

出典は、古今和歌集・羇旅(きりょ)です。詞書と後書きに注目です。

イメージ 1

もろこしにて月を見てよみける
       安倍仲麿

あまの原 ふりさけみれは 春日なる みかさの山に 出し月かも 

  このうたは むかし なかまろを もろこしに 物なら
  はしに つかはしたりけるに あまたの年をへて
  えかへりまうてこさりけるを このくにより 又つかひ
  まかりいたりけるに たくひて まうてきなむと
  て いてたちけるに めいしうといふ所の
  うみへにて かのくにの人 むまのはなむけし
  けり よるになりて 月の いとおもしろく
  さし出たりけるを みて よめるとなむ かたり
  つたふる

後書きを読むと、めいしう・明州(寧波・ニンポー)で、送別の宴(馬のはなむけ)が催された時に詠まれたのが、この歌なので「これで故郷日本へ帰れるんだ」という気持ちが込められています。ですからこの哥に帰れない気持ちを、見て取ってはいけないでしょう。

しかし、帰国の船は難破して、帰国が適わず唐で54年間暮らし、72歳で没します。玄宗皇帝に可愛がられ、中国名「晁衡(ちょうこう)」と呼ばれていました。友人の李白が難破した仲麿の死を悼んで「晁卿衡を哭す」を作りました。死んではいませんでしたが。

イメージ 2
日本晁卿辞帝都
征帆一片遶蓬壺
明月不帰沈碧海
白雲愁色満蒼梧

日本の晁卿(ちょうけい)帝都を辞し。
征帆(せいはん)一片、蓬壺(ほうこ)を遶(めぐ)る。
明月帰らず、碧海に沈み。
白雲愁色、蒼梧(そうご)に満つ。

日本の晁卿は、長安の都を辞した。
我が友が乗った船の帆影は、仙人が住む蓬壺の島をめぐって行ったのだ。
しかし、明月のように輝いていた君は帰らずして、碧海に沈んだという。
ああ、白い雲とともに悲しみの色が、蒼梧の空に満ちている。



イメージ 3
【北京=大木聖馬】中国陝西省西安市にある遣唐使・阿倍仲麻呂の記念碑が、何者かに黒色や赤色のペンキをかけられて汚されていたことが8日、わかった。

 中国版ツイッター「微博」の書き込みなどによると、5日夜から6日朝にかけて汚されたとみられる。「取り除け」を意味する「拆」などの字も書かれていた。日本政府の尖閣諸島国有化後、西安では大規模な抗議デモが先月15日に発生しており、反日感情を抱く人物による犯行の可能性が高い。

 阿倍仲麻呂は、奈良時代に遣唐使として唐に渡り、日本に帰国できずに客死。記念碑は、高さ約6メートルの石碑で、1979年に奈良市との友好都市提携5周年を記念して、当時の西安市革命委員会が建てた。阿倍仲麻呂が詠み、古今和歌集に収められた「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の漢訳なども刻まれている。
(2012年10月9日07時13分  読売新聞)

9番 小野小町

小倉百人一首 9番 小野小町

前回は僧正遍昭、「百代通いの深草少将」のモデルの一人と紹介しました。
今回は、通われた「小野小町」です。
六歌仙。絶世の美女。有名ですね。まず「書」を鑑賞しましょう。
イメージ 1

        小野小町

はなの色は うつりにけりな いたつらに
我身よにふる なかめせしまに

つまらない物思いをしているうちに、
盛りを眺めようと楽しみにしていた桜花も、
長雨のために知らぬ間に色褪せてしまった。
たゞなんとなく我身も、花のような姿は、
むなしく年を取って過ぎさってしまったなぁー。

「花の色」は自身の容色を兼ねる。
「いたづらに」は、むなしく。
世にふる」は、経ると雨が降る。
「ながめし」は、眺めと長雨。出典は古今集・春です。

素晴らしいの限りですね。
風景から自身の「心の風景」に移っていく広がりは何とも言えませんね。
男性が業平なら、女性は小町。そんな歌人と思っていますよ。
ここで紀貫之の「小町評」も見ておきましょう。
古今集・仮名序から。→
イメージ 2

 をののこまちは いにしへの そとほり姫の 流なり
あはれなるやうにて つよからす いはゝ よき をほ
なの なやめる所あるに にたり つよからぬは をう
なの うたなれはなるへし

テクニックもすごいけど、
女性の「たおやかな情感」があふれ、
多くの哥で恋を詠い、
その恋を「夢」のうちに理想化して
情緒を歌い上げる哥が沢山ありますね。
今回の哥には、「に」の字が何度も繰り返されて、
色あせていく自身の焦りともつかない
心模様が強調されてます。

イメージ 3

最後に「いけずなyoshy」、
多くの男性を振った小町の晩年の姿をアップ。
場面は能・卒塔婆小町から、
「卒塔婆の月」月岡芳年『月百姿』。
あなめ、あなめ。
女性のみなさん、つれなさすぎるのは罪です。
男性には優しくしてくださいね。

12番 僧正遍昭

小倉百人一首 12番 僧正遍昭

前回の素性法師の父親です。遍昭のお祖父さんは桓武天皇。

イメージ 2
イメージ 1
         僧正遍昭

天つかせ 雲のかよひち 吹きとちよ
をとめのすかた しはしとゝめん

  この哥の出典は、古今集→

    五節のまひ姫を みてよめる
         よしみね の むねさた

   天津風 雲のかよひち 吹きとちよ
   をとめのすかた しはしとゝめむ

天吹く風よ、今天女が舞ひを終って帰えろうとしているが、どうか通い路の雲を吹きよせて、その帰り道を閉じてくれ、美しい天女の姿を今暫しこゝに止めて眺めていたいから。

古今集の詞書では、「五節の舞」の場面ですね。さらに作者は良岑宗貞(よしみね の むねさだ)と、なっています。

イメージ 3
五節の舞は毎年十一月、禁中で行ふ豊明の節会に行われる舞で、公卿の少女を選んで舞はせる舞です。良岑宗貞が宮中に仕えていた頃、この舞女の美しさを称し、別れ惜しんで詠んだ哥です。

良岑宗貞と名前があるとおり、まだ「出家」する前の時の哥です。
天津風、何かお相撲さんみたいですが、「つ」は格助詞、「の」に当たります。つまり天の風。をとめのすかた(乙女の姿)は、五節の舞を踊った姫達と天女を掛けています。

良岑宗貞という人について。良岑(よしみね)の姓は、源氏や平氏と同じように、平安時代に創設された姓で、桓武天皇の子、良岑安世を始祖としています。この安世の子が良岑宗貞で、お祖父さんは桓武天皇ですね。

そして良岑宗貞は、別名・深草少将のモデルの一人です。そう、小野小町のもとへ九十九夜、通いつめながら、あと1日足りず思いかなわず死んだとされる悲恋の少将です。
当ブログでは、「女郎花物語 上-15段」に、登場しています。

イメージ 4
古今集仮名序には、遍昭の評がこのように有ります。

               ちかき世に その名
きこえたる人は すなはち 僧正遍昭は うたのさま
はえたれども まことすくなし たとへば ゑにかけ
る をうなを見て いたづらに心をうごかすがごとし

紀貫之さん、キツイですね〜〜。でも古今集に17首も遍昭の哥が入っているので、嫌いでは無かったようですね。この哥で、優美で華麗な舞を見て、天女を垣間見る遍昭さん、yoshyは好きですよ。遍昭さん、美しい女性が好きだったんですよ。女性崇拝者でなければ、小町さんの所へ百夜通いのモデルにはなりません。


僧正さんの俗なお話でした。
yoshyも女性崇拝者です。♪〜(-。-;)



全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
yoshy
yoshy
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

検索 検索
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

友だち(13)
  • sofashiroihana
  • アメーバブログ移行になりました。
  • ニキタマの万葉集
  • ろあべ
  • 桂 黒猫
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事