伊勢物語と仁勢物語

パロディーと諧謔の、仮名草子。

小倉百人一首

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56番「和泉式部」

小倉百人一首 56番「和泉式部」

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前回が小式部内侍、
だとしたら母の「和泉式部」に行きますか。
良い感じの出典、後拾遺和歌集を見付けました。
美しい字です。拡大して見てください。

後拾遺和歌集 763

   心ちれいならす 侍けるころ 人のもとにつか
   はしける     和泉式部

あらさらむ この世のほかの おもひてに 
今一度の 逢事もかな

(あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 
 今ひとたびの 逢ふこともがな)

小倉百人一首には、詞書(ことばがき)はありません。
でも出典の後拾遺集には詞書が付いています。
詞書に「心(ここ)ちれいならず」とあります。
和泉式部は、病気の時この哥を詠んだのです。

病床の和泉式部は、この世の思い出に、
あの方にもう一度逢いたいという気持ちを、和歌に託しましました。
この世の「恋の思い出」を持って、あの世に・・・。
逢えたらな〜、逢いたい!

「あらざらむ」は、「いなくなってしまう」という意味です。
「この世のほか」は、「あの世」です。
恋する和泉式部、死にそうな時、本音で詠ったすばらしい哥です。

しかし、本音で生きた人・和泉式部は、批判があったようです。
紫式部は「紫式部日記」で、和泉式部の悪口をこのように書いています。
「和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。
されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。
うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、
はかないことばの、にほひも見えはべるめり。・・・」

「和泉式部という人は、趣深く文のやり取りをする人である。
されど、和泉、けしからん・感心できない面があります。
うちとけて恋文を走り書きしたときに、文章の才能が見えたり、
ちょっとした言葉に、匂やかな魅力が見られますが。・・・」

まあ、日記なので何を書いても良いんだけど、紫式部は、和泉式部や清少納言のことを、ボロクソに書いていますね。紫式部を擁護すると、これは理由として、各サロンやサロン内の派閥がらみの批判で有ったのかも知れない。藤原道長は、和泉式部のことを「浮かれ女」と評したそうです。

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でも、恋に生きた和泉式部。
何と言われようが素敵な生き方です。
帥宮・敦道親王との恋の日々を書き記した、
和泉式部日記から一首。
伸びやかで美しい字です。拡大して見てください。

一夜見し 月ぞと思へば ながむれど
    心もゆかず めはそらにして

あの夜、一緒に見た月と同じ月、
しみじみ眺めても心も晴れず、
貴男のお出でがないので、
目は空に向いていても、
貴男(帥宮・敦道親王)を思うと上の空です。

晩年、娘の小式部内侍に先立たれて寂しい思いをしました。
当ブログ「女郎花物語 下-20段」参照してください。

恋多き和泉式部、伝説や説話も沢山あるようで、
根も葉もない話なども伝わっています。
例えば、和泉式部は遊女だったとか?? 
「御伽草子 和泉式部」

小倉百人一首に詞書が無い理由
「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙和歌」「小倉色紙」などと、
呼ばれたように「色紙」にしたためられたからですよ。
読み手には、詞書の知識が有るのを常識として考えていました。
下の写真は権中納言敦忠の時、もう一度「色紙」の字は説明します。
多分、忘れてるかな??

イメージ 3
「小倉色紙」

60番「小式部内侍」

小倉百人一首 60番「小式部内侍

お母さんは、有名な「和泉式部」ですよ〜。
小式部内侍も母に似て、哥が上手ですが陰口で、
「母が代作してるのでは?」と、噂されます。
元哥は、金葉和歌集にも収録されてるから、
そこから「詞書と哥」を、見ていきましょう。
達筆ですよ。拡大して鑑賞してね!

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和泉式部 やすまさにく(具)して 丹後國に侍ける
ころ 宮こ(都)に哥合のありけるは 小式部内侍
哥よみにとられ侍けるを 定頼卿 つほね(局)
のかたにまうてきて 哥はいかゝせさせ給ふ 丹後
へは 人はつかはしてけんや つかひは またきて
こすや いと こゝろもとなく おほすらんなと たは
ふれて たちけるを ひきとゝめてよめる
       小式部

おほえ山 いくのゝ道の とをけれは またふみもみす 海橋立

(大江山 生野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立)

和泉式部が丹後國に夫と共に下ってしまったので、
哥合わせの場所に母がいないので、
四条中納言(藤原定頼)は、
「代作は頼んだのでしょうか?」と、からかいました。
すぐさま小式部内侍は、定頼卿を引き留めて哥を詠います。

大江山を越え、生野(行く野)を通る丹後への道は遠すぎて、
まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、
母からの文(ふみ)も見てはいません。

「行く野・生野」「文・踏みもみず」など、
巧みな掛詞を使用した見事な哥でした。

痛快ですね、女子の誉れ、小倉百人一首にその名を留めました。
なお、この話は「十訓抄」第三にも載せられています。
そしてその有様を「・・(定頼卿は)返哥にも及ばず、袖をひきはなちてにげられにけり。小式部これより、哥よみの世に覚え出できにけり。・・・」。
哥を読みかけられれば、返哥を返すべきでしたが、恥をかいた定頼卿は、あわてて帰ってしまいました。小式部内侍は哥人として世に認められました。

十訓抄の結論は、「人をあなづる事は、・・・思はざるほかの恥がましき事にあひ・・・」としています。どんな人でも、へりくだり自分より上の師と思いましょう。どんな人でも学べることが有りますよ!人を侮(あなど)ることは止めましょう。


金葉和歌集は第五番目の勅撰和歌集
金葉という名は、最もすぐれた言の葉を意味する歌集です。
二条為忠の筆。

99番「後鳥羽院」

小倉百人一首、なんとなく3話目になりました。
小倉百人一首という書庫まで作ってしまいました。

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今日は、99番「後鳥羽院」。
前回の順徳院で書いたから説明がダブるから・・・。
だって、父親は後鳥羽院、子供は順徳院。
順徳院は、前回やったね。
ということで、主に「小倉百人一首」について。

小倉百人一首は、藤原定家が撰んだ私撰和歌集で、
勅撰和歌集とは違うわけです。
定家は「新勅撰和歌集」という、
勅命による和歌集も撰びましたが、
「承久の乱」の罪人で、島流しになった後鳥羽院と順徳院は、
公の命によって出される新勅撰和歌集には、
撰べない事情が有ったわけですよ。

だから定家が私撰とはいえ、小倉百人一首に、後鳥羽院と順徳院の哥を、
入れるには武家社会に対して、それなりに勇気がいったことでしょう。
でも定家の心意気も感じられますね。
定家、カッコイイね!!

それから小倉百人一首には、双子の兄弟の歌集があります。
同じく定家が撰んだ「百人秀歌」です。
百人秀歌も百人一首の形式で、
百人の歌人から一首ずつ百首を選んで編まれた私撰集。
違いは、そうです、
後鳥羽院と順徳院の哥が、「入っているか」or「入っていないか」です。
その外、構成も違いますが、98人・97首の哥が一致しているんです。

定家の政治的配慮がこめられていた小倉百人一首の、
別バージョンが百人秀歌です。
小倉百人一首が百人秀歌より、後世親しまれるには、
こんな所の奥深さもあるのかな??


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さて、99番「後鳥羽院」の哥。

  人もおし 人もうらめし あちきなく
  世を思ふゆへに ものおもふ身は

人をいとおしく感じるときもある、
人を恨めしく感じるときもある。
世の中を面白くないと考える私にとっては・・・。

貴族社会が終わり、
武家が世を治める時代の「後鳥羽院」の立場。
院の憂鬱さがヒシヒシと伝わります。
「新古今和歌集」を作るように命じ、
自らも撰者として参加した後鳥羽院。
島根県の隠岐島へ流され、19年後に島で崩御。
たいへん素晴らしい「宮廷文化の擁護者」でした。

後鳥羽院に最後まで付き添い隠岐島へ同行した、
「亀菊(伊賀局)」という白拍子。
大河ドラマ「清盛」にも、白拍子が登場しますね。
この時代、
「亀菊、常盤御前、祇王、仏御前、静御前」と、
魅力的な白拍子達にも注目です。


百人一首 宮内庁書陵部
文安二年(1445)冬堯孝法印筆

日蝕、寝過ごして見損なうのが嫌だったから、寝なかったんだ。
だから、翻刻して記事アップはキツイ。
ごめんちゃい!
昨日の記事、百人一首「崇徳院」で新しい友達が出来たんよ!!
だから、似たような話の百人一首100番「順徳院」で、逃げるつもり。

承久の乱は、公家政権から武家政権へ移行を止めようとした乱。
天皇家のご謀反という前代未聞の事態でした。
結束を固めた鎌倉武士・19万という大軍で都へ襲いかかりました。
乱に破れた、父・後鳥羽上皇は隠岐島へ。
順徳院は佐渡へ流され、在島21年佐渡で、都を忍びつつ崩御しました。
今も真野御陵に眠っています。

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皆さんは「ミヤコワスレ」という花をご存知ですね。
紫青、青、白、ピンクなどの清楚な美しい花です。
由来は順徳院が、
都への思いを忘れられるとの話によるとされています。

 いかにして
   契りおきけん
        白菊を 
  都忘れと 
     名付くるも憂し

この花には、こんな悲しい由来がありました。


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さて、順徳院(順徳天皇)は藤原定家に師事し、
定家は「新勅撰和歌集」に、
順徳天皇の御製を採ることは憚りましたが、
「小倉百人一首」には採録しました。
百人一首の最後100番の哥で有名ですね。

  もゝしきや ふるき軒はの しのふにも
    なをあまりある むかしなりけり

天皇と公家政治に権威があった過去の時代、
今は武家政治の時代となっていく、
時の流れを噛みしめながら・・・

皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけ、
昔がなつかしく、
いくら偲んでも偲びきれないことだ。



百人一首 宮内庁書陵部
文安二年(1445)冬堯孝法印筆

77番「崇徳院」

讃岐に流された崇徳院一勇斎・歌川国芳画)

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百人一首之内 崇徳院(77番)

  瀬をはやみ 岩にせかるゝ たき川の
  われてもすゑに あはむとそおもふ

詞花集 恋の部に入 こゝろは瀬のはやき川の水の
岩にせかれて左右へわかれても 末にはまたあふ
ものなれど つらき人に別れては 後にあひがたき
習ひなるを わりなくても末に逢んと思ふは はかなき
事ぞと うち嘆きたるは 実に意味ふかき御哥なり


雨月物語「白峯」

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 西行が讃岐にある崇徳院の陵墓、白峯陵に参拝し崇徳院の亡霊と対面する。

NHK「清盛」、崇徳院が・・・
雨月物語「白峯」、面白いので是非読みましょう。
雨月物語は、古典の文学全集には入っていますので、
たいていの図書館で読めます。

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