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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
赤 染 衛 門
・・・・衛門
か 子に しげのり朝臣といふ人あり ある時 病にふして侍るを ちかく
いたわりけれど 月日をかさねて いとゞおもくなりゆけば 衛門 なのめな
らずかなしくて 住よしの社(やしろ)にまふでつゝ しげのりがいのちにかはり
侍らんと 神に申て
かはらむと いのる命は おしからで
扨(さて)もわかれん ことぞかなしき
とよみて 其夜 御やしろのまへに 通夜(つや)しけるが 夢にまさしく
御神あらはれさせ給ひ 此哥を御てづから 宮の中へいれ給ふと覚えて
夢さめぬ 衛門いと忝(かたじけな)く思ひつゝ それより都にのぼりたるに しげのり
が なやみも心かろく 日にそひて よろしう覚えけるが 程なく なを
りて つねのごとし 是ひとへに明神の御たすけといひ 和哥の徳也
むかしより 哥にきどくあるは ためしもおほき事に侍れど かゝる
ふしぎの 御りしやうは わきてめでたき事なり 是のみならす
仏神に まふでゝ さま/\の御あはれみに あづかりし事 あげて
いふべからず
しげのり朝臣=不明?息子の大江挙周(たかちか)朝臣を指しているものらしい??
なのめならず=斜めならず、普通でない。格別である。
住よしの社=住吉大社
かはらむと・・・=身代わりにと祈る私の命が惜しいのではありません。
そうであっても親子が死に別れることが悲しいのです。詞花集362
「今昔物語集」巻24、「十訓抄」巻10参照
和哥の徳・哥にきどく=和歌によって、神仏や人々の心を動かし利益を得る事。歌徳説話
御りしやう=御利生、神仏が衆生に利益を与えること。御利益。
「しげのり朝臣」という息子が不明です。
たいていは二人の間の息子、
「大江挙周(たかちか)朝臣」と、
書いてありますが、この話は名前が違っていますね。
この話では「歌徳説話」という部分に、
焦点が合わされています。
神仏も真心を込めた「秀歌」を、
受け入れて嘉(よみ)してくれるんですよ。
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本朝美人鑑
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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
赤 染 衛 門
赤染衛門は 大隅守時用(ときもち)が娘にて 大江匡衡の妻也 かたち心ばえ
人にすぐれ 詩哥の道くらからず およそ諸藝を心に得たり 此
人 栄花物語といふさうしを作りて 世の人のうへを いとやさしけ
(脱字?)かきなせり いまの世にいたるまで 貴賤これをもてなす事 限
なし はじめ たゞひらに なれそめてより かた時もわすれず たがいに
いひかはせしに いつの折なるにや 匡衡のもとより いま参り侍らん
が いさゝか さはる事あれば 夜になりてこそ まからめといひて
其夜も こさりければ よみてつかはしける
ありてやは 音せざるべき つの国の いまぞいく田の 杜といひしは
と うらみきこえ侍しに 心やましくて 猶(なを)むつましかりけり・・・
赤染衛門=平安中期の女流歌人。中古三十六歌仙の一人。父は赤染時用、実は平兼盛かも?
大江匡衡に嫁し、藤原道長の妻倫子に仕える。
「後拾遺和歌集」などに多く歌が見え、和泉式部と並び称される。
大江匡衡(たゞひら)=平安中期の漢学者、歌人。維時の孫。赤染衛門の夫。
文章(もんじょう)博士。一条・三条天皇に侍読として仕える。
栄花物語=平安時代の歴史物語。40巻(正編30巻、続編10巻)。
作者については正編が赤染衛門。続編については出羽弁といわれるが未詳。
もてなす=ここでは、大事に扱うの意。
なれそめ=馴れ初め、恋仲の者が知り合ったはじめ。恋のきっかけ。
いひかはし=言ひ交し、言葉の遣り取りをする。ここでは仲良く会話していた。
さはる事=さしつかえる事、障り。
まかる=罷る、まいります。「まからめ」は「行かれません。」
ありてやは・・=そちらに在るのなら、どうして音信をしてくれないことがあるのですか?
貴男は津の国の生田の森に行くと言ったのに・・・、早く来てください。
「やは」は反語。
津の国=摂津(せっつ)国の古称。
生田の森=神戸市中央区にある生田神社社殿背後の森。「行く」と掛かる。
話としては、
「来るって言ったじゃない!いくら待っても来ないんだから。
京都から摂津(大阪・兵庫東)の生田の森まではそんなに遠いの。」
喧嘩腰よりも、和哥はやさしいね。
でも、この話、創作なんですよ。
この哥は、赤染衛門が他の人のために作った「代作」なんだ。
後拾遺和歌集の詞書に注目。
おまけ:
後拾遺和歌集 1140
摂津國にかよふ人の 今なん くたるといひて後に
も 又京にありけるをきゝて 人にかはりてよめる
赤染衛門
ありてやは をとせさるへき 津の国の 今そいく田の 杜といひしは
後拾遺集では、詞書に「人に代わりて読める」と有りますから、
赤染衛門が、他の女性のために「代作」をしたものですね。
津の国の女性の元へ、「今京から下るよと言ったのに、
どうして来てくれないの?」と、
なじった哥です。しかしこの「本朝美人鑑」の話では、
赤染衛門が夫の大江匡衡を、なじった哥になっています。
今は、携帯があるから、逃げられません。
「はい、直ぐに行きます」って言いましょう。
「圏外」では、いつまでも逃げられません。
どうしても辛い時は、携帯を変えましょう。
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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
小 式 部
・・・頭中将 このよしをきゝて こはいかなる事
にや いまだあひみぬ中ながら 互になつかしくいひかよはせし事なる
にと 心くれまどひ 日比望し 司位もいまは何ならずと思ひきり
終に墨染の袖に やつれはて 明し暮しつゝ 爰かしこ行めぐりけり
ある時山中を とをりけるに 思よらずに日くれければ いつこによるべ
き宿りもなし 行べき先にも 見えねば そこともなく まどい行に
かたおり戸したる所あり さすがに人の住めばなるべしと あはれにて
立より あないするに いやしからぬ下女出て 何事にといへは 是
は 定まれる住家もなくて まどいありく す行者なり にはかに行
暮て宿もなし 一夜を明させ給へといひ 入たるに 女主の聲にて
こなたへと いひければ うれしくて立入たるに けたかき女性一人 灯の本
に 文をよみゐたるを つく/\みれば小式部也 こはいかなる御事ぞや 御身は
はかなくなり給ひし人の かく爰にましますよ とて なみだをながし
ければ 内侍ちと打わらい いぶかしく思召れんはことはりなれど もろかた
が とかく申たりしに事出来たるを かくてあらましかば 君にみえ
奉る事もかなはじと 思ひとかくして 親のもとをまどひ出 かゝる山中
に こもりゐ侍るも ひとへに君に逢奉らんの心なり と いへば 中将も
いとうれしながらも 夢の心ちして 来しかたの事など かたりあふ給ふ
中将の僧にかゝるすがたに やつれぬるも 御身 はかなきよしを 傳え
きゝしゆへ也 かく世におはする物と かねてしりなば さばかりは
なけかじ物をなど うらなきふし/\をかたりつくして 少まどろみ
たるに 高ねより 吹くる嵐 いとはしたなく 古寺のかねの聲(の)ひびき
かさなるに はたと 目さめて 其あたりをみれば 有し内侍もなし
家のなくて たゞ草むらの物すごく 人ばなれたる所に かねのおと 松
風のみ はう/\として 残りつゝ 日もいまだ暮ざりけり 中将こはいか
なる事ぞと あきれはて 立にもたゝれず ゐるもいられぬ風情也 つら/\
物を案ずるに とかく浮身ひとつ世にながらへ侍ても 何かはせん また
何をか外に侍へき 唯同じ墅もせの土ともなりはてんと 思ひ
きり やかて 其所を立さらず 自(ら)守刀をぬいて 貫れつゝ 夕
の露と 消られけり むかしよりいまにいたるまで かゝる情なく 恨
き事こそ なけれといひて 世々の人も袖をしぼりけり
あらすじ:
中将と小式部、互いに想いを伝えあった仲なのに、思いを遂げることなく小式部は亡くなってしまいました。中将は出家し墨染めの服を着ることに。ここかしこ行き惑い日暮れになり、困っていると家が。修行の僧として一夜の宿を請います。しかし、なんとそこには、死んだはずの小式部の姿が!二人は積もる話をし、懐かしみます。その後、少し微睡み、起きてみると・・・夢幻の後。草むす場所に風がビュービューと・・・僧となった中将、あまりの悲しさに世を儚んで・・・小式部の御魂のもとへと旅だったのです。
雨月物語の「浅茅が宿」を彷彿とする展開になりました。
日本版ロミオとジュリエットだな〜〜
すべての愛し合っている男女、
みんな、みんな幸せになってください。
懐かしく、可愛かったオリビア・ハッセー
うっとりと見てください。
Romeo and Juliet (What Is A Youth)
もっと浸りたい方は、
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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
小 式 部
・・・扨(さて) 此哥 天下の口にひろまり 有美男 世にすぐれ才学人にこえたり
けるが ある時に 小しきぶの有様を 物の隙より伺てより 心そらに
なりて いとせんかたなく覚えければ 然るべき媒(なかだち)してしめやかに
いひやりしに 内侍かく朝夕 御門につかうまつる身の いかでかまみえ
奉るべき 唯思召やみ給へなど 返事ありけるを しゐてたび/\
いひつかはしたまへば 内侍も力なくて さらばいかゞはせん ともかくも
御心にしたがひ侍らん さりながら かやうの事は たがいに親などにも
しらせずしては あしかりぬべく覚え侍り よろしき便を もとめつゝ
みづからが親にもつげ給へ おやだにゆるし侍らば 心ながくかたらひ奉
るべきといふほどに 中将もうれしくて丹後への便りを もとめられけり
又その比 少納言師堅(もろかた)といふ人 有けるが 同じく此内侍を こひて
あはれ わが物にもなど なげきくらされける 文していひよりけれど
内侍は いらへもせで つれなくのみもてなしければ とかく保昌申て ほゐ
とげんと思ひ 父がもとへいひつかはしけり 保昌も いかゞとは思ひながら
まだぬし定まらぬ事なれば さやうにおほせられんには のがれがたし
内侍に申てこそと返事しけり 扨いづみ式部をもつて 内侍に此よしを
いはせたりければ 小式部 心の外に思ひわづらいて とかうのいらへもせで有
ける 母もせちにしゐ給はねば かなたこなたと日数ふるまゝに もろかたよ
り たび/\いひをこせけるに 心ぐるしくて 又々内侍に かくとつげたれと
いさゝか心ゆるまず侍れば 後は もろかたも保昌を恨みて中(ママ)あしくなり
けり 内侍もいはん方なく むねふくるゝわざなれば いつとなく物やみに
なりて おもくわつらいけり 親はらから 心をつくしてとりまかない侍る
に いさゝか心ちよげには見えながら 次第におもく ふしまろびける程
に 内侍
いかにせん 行べきかたも おもほえず 親にさきだつ 道をしらねば
と よみて侍るに 天神もかんじさせ給ふにや 空よりけたかき御聲
聞えけるに すこしはかるく心ちよけなれど 終にのがれぬ世のならひ
なれば いつしはかなくなりけり・・・
物の隙より伺て=いわゆる「垣間見」です。「のぞき」は日本の文化です。
御門につかうまつる身の いかでかまみえ=御門に仕えている身なので、どうして会えましょうか?
中将=従四位下、この美男子、身分がけっこう高い。
少納言師堅=恋敵の師堅は少納言、従五位下。
むねふくるゝわざ=胸膨る、不満が積もる、心配や悲しみで胸が一杯になる。
おもくわつらい=重く患い
ふしまろび=臥転ぶ、悲しみや喜びをおさえきれずにころげ回る。
いかにせん・・・=どうしましょう、行くべき方法も、思い当たりません。
母に先立って死んでいく私は、死出の道を知りません。
天神もかんじさせ=哥によって天神も感動して、しばし命を延ばした、「哥徳」
いつしはかなくなりけり=とうとう亡くなってしまいました。
恋の板挟みで、とうとう小式部は、
苦しみ、悲しんで死んでしまいました。
ガラスの心を持っていたんだね。
和泉式部とは、ちょっと違った繊細さ。
恋の板挟みで苦しむ美女って、
けっこう様になります。
でも、死んでしまったら寂しいね。
次回、3回目、「小式部」最終回です。
おもしろい話が展開します。
おまけ:小式部内侍の死後の悲しみを、和泉式部はこのように詠いました。金葉集から。
小式部内侍 うせて後 上東門院より としころ
給けるきぬを なをなきあとにも つかはしけるに
小式部と かきつけゝれたるを みてよめる
和泉式部
もろともに 苔のしたにも くちすして うつもれぬ名を みるそかなしき
(もろともに 苔の下にも 朽ちずして 埋もれぬ名を 見るぞ悲しき)
意味:
小式部内侍の死後、二人の主君の上東門院様から、
毎年 衣を給わるのですが、
その被け物(かずけもの)には「小式部」と書いてありました。
胸にグッと来るモノが有り、
詠んだ哥 和泉式部
もろともに同じ墓石の苔の下に、朽ちてしまうことを願っていたのに、
まだ生きていて、まだ埋もれていない娘の名、
「小式部」と書かれているのを見るのは、親として悲しいことです。
母・和泉式部は、娘の小式部亡き後、小式部宛の被け物を見て、
感激と、母としての悲しみに、涙を流したのでしょう。
上東門院様のやさしいお心も、すばらしいですね。
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絵入 本 朝 美 人 鑑
本朝美人鑑 巻第二
小 式 部
小しきぶ内侍は 藤原保昌が娘にて 母は いづみ式部也 おさなき
比より 才智人に勝れ 文の道たくみにして 心ざまやさし 殊更(ことさら)和哥
は天性の徳そなはりて 其世に かたをならぶる人なし 常に内に
のみ侍りて 御門につかうまつる事おこたらず 此ゆへに上にも もて
なし 恵ませ給ふ事 こと人に こえたり 其比いかなる人の いひなし侍
るにや 小しきぶは 哥よむ事かなはで 母いづみ式部によませて 哥
合(あわせ)などにも出(いだ)すと いひあへり 内侍 此事を傳へ聞て 日比 口
おしうは やましく思へど せんかたなし 一とせ いつみ式部 夫保昌
に従て 丹後の国に侍けるが 其比しも 都に哥合ありて こしきぶ
も 哥の人数(にんじゆ)たるに 中納言定頼卿 内侍のつぼねのかたに まふでゝ
哥はいかゞ せさせ給ふ 丹後へは御人つかはし給はずや 使いはまふで来ら
ずや さぞ心もとなう おぼされん はやく哥もまいれかし など たはふ
れて 立出らるゝを 小式部 定頼の袖をひかへて
大江山 いくのゝ道 遠ければ まだふみもみず あまのはしだて
とよみけれは 定頼 大きに驚給ひ さて/\かゝる 当意即妙の哥
よみなるに 口のさがなきいひなしなる物よとて これより心を置給ひ
けり・・・
小式部内侍=父は橘道貞、母は和泉式部。母とともに上東門院彰子に仕えた。26、7歳で死去。
歌は後拾遺集・金葉集などに載る。
いひなし=言ひ成し、有りもしないことを言う、もっともらしいことを言う。
哥よむ事かなはで 母いづみ式部によませて=小式部は哥を詠むことが出来ず、
母の和泉式部に読ませて・・・
やましく=気にやまれる
中納言定頼卿=四条中納言、藤原公任の長男。中古三十六歌仙の一人。
大江山・・・=大江山を越え、生野(行く野)を通る丹後への道は遠すぎて、
まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの文(ふみ)も見てはいません。
「行く野・生野」「文・踏みもみず」など、巧みな掛詞を使用した見事な哥でした。
当意即妙=すばやくその場面に適応して機転をきかすこと。
母が代読しているという「言いがかり」に対して、
見事な哥で返した小式部内侍。
この哥は百人一首にも撰ばれ「女子の誉れ、これに勝るもの無し」
定頼卿は、グーの音も出ません。藤原定頼だってヘボではありません。
中古三十六歌仙の一人でも有るんですが、
返歌が出来ないほど恥ずかしい思いをして逃げ出してしまいました。
この部分は、以前の小倉百人一首 60番「小式部内侍」で扱いました。
他のサイトでも、だいたい同じような事が書かれています。
そこでyoshyらしさとして、「十訓抄」を翻刻しました。
原文は片仮名ですが、読みやすいように仮名に、また濁点を補いました。
十訓抄には、このように書かれています。
和泉式部 保昌が妻にて 丹後に下ける程に、京に哥
合のありけるに 小式部内侍 哥読にとられてよみけるを、
定頼中納言戯れて 小式部内侍のつぼねにありけるに、丹後へ
遣しける人は参りたりや、いかに心もとなくおぼすらむ と
云て、局の前を過られけるを、御すより半らばかり出
て、わづかに直衣の袖をひかへて、
大江山 いくのゝ道の 遠ければ まだふみもみず あまのはし立
とよみかけゝり、思はずに浅ましくて、こはいかに かゝるやうや
はあるとばかり云て、返哥にも及ばず、袖をひきはなちて
逃られけり、小式部 是より哥よみの世におぼえ出できに
けり、是はうち任ての理運の事なれども、彼卿の心には
是程の哥 只今よみ出すべしとは しらざりけるにや、
金葉和歌集にも同様の記述が詞書に有りますが、既出ですので、
金葉集での記述は、以下から見てくださいね。
小倉百人一首 60番「小式部内侍」
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