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幼学綱要 巻之一
忠節第二
和氣 清麻呂
○和氣清麻呂は。備前の人なり。孝謙天皇の時。因幡員外介と為る。人と為り抗直なり。天皇
素より宇佐の神を敬し。生に事るが如くす。其憑語する所。事として從はざること無し。寵
僧道鏡。法王と為るに及て。太宰主神中臣阿曾麻呂。旨を希ひ。嬌奏して曰く。八幡神教へ言
ふ。道鏡をして皇位に即しめば。天下太平ならむと。是に於て。天皇親を清麻呂に命じて。宇
佐に詣り。神教を承けしむ。發するに臨み。道鏡目を瞋らし劍を按じ。清麻呂に謂て曰く。大
神我れをして位に即しめむと欲す。今使者を請ふ所以の者は。蓋し此れが為ならむ。汝宇
佐に詣り神教を奉じ。我れをして欲する所を得せしめば。則汝に太政大臣を授け。委する
に國政を以てせむ。如し我が言に違はば。重刑に處せむと。清麻呂宇佐の神宮に詣り。還
り神教を奏して曰く。我が國家。開闢以来君臣の分定れり。臣を以て君と為すこと。未之有
らざるなり。天津日嗣は。必皇胤を立つ。無道の人は。宜く迅に掃蕩すべしと。道鏡大に怒り。
清麻呂の官を解き。名を穢麻呂と改めて。大隅に流し。人をして道に殺さしむ。俄に雷雨晦
冥し。命を受る者。猶豫して發せず。曾々勅使来り赦す。孝謙天皇崩じ。光仁天皇祚を践むに及
び。道鏡を下野に竄し。清麻呂を召還して本位に復す。後累進して従三位に至り。功田二十
町を賜ひ。子孫に傳ふ。薨ずる時年六十七。正三位を贈る。嘉永中。詔して正一位を贈り。護王
大明神の號を賜ふ。明治七年。護王神社を以て。別格官幣社に列す。
拾圓札-和氣清麻呂
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幼学綱要
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幼学綱要 巻之一
孝 行 第一
孝子彌(弥)作
○常陸の国行方(なめかた)郡玉造村の農民に。彌作と云者あり。家貧して田産無し。人に依て耕作す。父
早く死し。母老て足痿す。彌作性魯鈍。而して母に事へて至孝。妻と與に心を合せて生を営
み。母を養ふ。既にして妻疾に罹り。操作すること能はず。彌作謂(おもへ)らく。此の如くなれば。則必
母の養を缺(欠)くに至らむ。遂に妻を去り。母と共に居る。其田に往くや。母を獨處せしむ
るに忍びず。母を負ひ。農具を挟み。又母の飲食を携えて往き。夏は凉く冬は暖かなる地を
擇(えら)みて。母を處き。且耕し且候し。且飲食を薦めて之を慰む。母酒を好む。彌作日に酒を沽(か)ひ
貯へて乏しからざらしむ。延寶の初め。領主徳川光圀之を聞き。路次彌作が家に入り。両手
に金を掬(きく)して。彌作が頭上に?薦(さゝ)げ。其孝を褒賞し。之を與へて曰く。此れを以て著く母を養
へ。此れ我が與へる所に非ず。天の賜ふ所なり。又村吏を召て曰く。聞く彌作は性魯鈍なり
と。此金或は人に奪はれむ。汝等之を計り。田圃(でんぽ)を購はしめ。常に善く之を視よと。後儒臣に
命じて。彌作が傳を作らしむ。
魯鈍=愚かで頭の働きが鈍いこと。
延寳=延宝(えんぽう)1673年から1681年までの期間を指す。
徳川光圀=水戸黄門さま
路次=道の途中。みちすがら。
孝子弥作顕彰の碑
孝子・弥作のお話です。
水戸黄門さまが、弥作のことを聞き、
顕彰し、弥作伝が作られました。
黄門さま、まさに民百姓の味方。
弥作、少し頭が弱くても、
親孝行の手本と成りました。
「茨城県行方市立玉造西小学校ホームページ」に、
こんなに素晴らしいサイトが出来ていました。
合わせて読んでいただけたら、嬉しいです。
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幼学綱要 巻之一
孝 行 第一
養老の滝
美濃国當耆郡(たぎ・多芸郡)の樵夫(せうふ・きこり)某、父に事へて至孝なり・家貧にして財無し。薪を鬻(ひさぎ)て自(み)供す。其の父酒を嗜む。樵夫常に瓠(ひさご)を提げ市に過(よぎ)り。酒を賖(あきな・おぎの)ひて以て進む。一日山に採樵(さいせう)し。石を践み誤て仆れ。傍に酒気有るを覚ゆ。心に之を怪みて。左右を回顧す。石間水湧き。其色酒に似たり。試に之を嘗(なむ)れば。則馨烈(けいれつ)甘美なり。樵夫大に喜び。日に汲みて父に供す。霊亀三年元正天皇美濃に幸し。其泉を名けて養老の瀑(たき)とし。元を改て養老と曰ふ。
養老の滝と養老の年号の語源譚です。
続日本紀なども参照のこと。
我が家の、親の脛齧(すねかじ)りよ!
ビールの滝でも、見つけてくれよ。
ビールだけに、泡沫(うたかた)の夢かな。
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幼学綱要 巻之一
孝 行 第一
天地の間。父母無きの人無し。其初め胎を受けて生誕するより。
成長の後に至り。其恩愛教養の深き。父母に若(し)く者莫(な)し。能く其
成長の後に至り。其身を慎み。其力を竭(つく)して。以て之に事(つか)へ。其愛敬を盡
すは。子たるの道なり。故に孝行を以て。人倫の最大義とす。
身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受くあえて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり
人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが孝行の始めである。「孝経」
魯の閔損。早く母を喪(うしな)ふ。父後妻を娶り。二子を生む。二子に衣(き)するに綿絮(じょ)を以てし。損に衣するに蘆花絮を以てす。父冬月損をして車を御せしむ。体寒(こゞ)えて鞅(むながひ)を失ふ。父之を責む。損自(み)理(ことはり)せず。父察して故を知り。妻を去らむと欲す。損曰く。母在(おは)せば一子寒く。母去らば三子単(ひとり)ならんと。父其言を善(よみ)し。母亦(また)悔い改め。三子を待つこと均平なり。遂に慈母となる。
閔損・閔子騫(びん しけん)、春秋時代魯国の人で、孔子の十五歳年下の弟子
論語 先進第十一 4
子曰。孝哉閔子騫。人不間於其父母昆弟之言。
子曰く、孝なるかな閔子騫。人、その父母昆弟を間するの言あらず。
昆弟=「昆」は兄の意、兄弟。 間するの言あらず=そしるようなことは言わない
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神武天皇。元年春正月庚辰朔。天皇橿原宮に即位し。正妃を立てて皇后とし。神籬(ひもろぎ)を建て八神を祭り。国家を鎮護す。天富命(あまとみのみこと)。諸(もろもろ)の齊部(いんべ)を率い。天璽鏡剣を捧げて。儀衛を厳にす。道臣命(みちのおみのみこと)来目部(くめべ)を率いて。宮門を護衛す。群臣朝賀す。天種子命(あまのたねこのみこと)。天富命に命じて。祭祀を主り。朝政を掌らしむ。四年春甲申。詔して曰く。我が皇祖の霊や。天より降鑑し。朕が身を光助す。今諸虜已(すで)に平ぎ。海内無事なり。以て天神を郊祀(こうし)し。用て大孝を申ぶ可しと。乃(すなはち)畤(ゆには)を鳥見山に作り皇祖天神を祭る。
幼学綱要・上巻 宮内省蔵版から
『幼学綱要』(ようがくこうよう)とは、明治天皇の勅命を受けた侍講元田永孚によって編纂され、1882年(明治15年)12月2日に宮内省より頒布された勅撰修身書。同書に見られる儒教主義に基づく皇国思想は教育勅語の発布に発展したといわれている。(ウイキ)
以降この章は、親孝行を勧める内容になっています。
全体として、倫理道徳を教える内容で、
たいへん素晴らしい本です。
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