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「今日は今津か、長浜か」と歌われる「琵琶湖周航の歌」。琵琶湖の美しい自然と、周航のロマンを情緒豊かに歌い上げたこの歌は、大正6年に高島市今津町で生まれました。
時代を越えて歌い継がれる名曲です。
第三高等学校(現・京都大学)水上部(ボート部)の歌で、1919年(T.7)に発表されました。
琵琶湖周航の歌
作詞 小口 太郎
原曲 吉田 千秋
1 われは湖の子 さすらいの
旅にしあれば しみじみと
のぼる狭霧や さざなみの
志賀の都よ いざさらば
2 松は緑に 砂白き
雄松が里の 乙女子は
赤い椿の 森蔭に
はかない恋に 泣くとかや
3 浪のまにまに 漂えば
赤い泊火 なつかしみ
行方定めぬ 浪枕
今日は今津か 長浜か
4 瑠璃の花園 珊瑚の宮
古い伝えの 竹生島
仏の御手に いだかれて
ねむれ乙女子 やすらけく
5 矢の根は 深く埋もれて
夏草しげき 堀のあと
古城にひとり 佇めば
比良も伊吹も 夢のごと
6 西国十番 長命寺
汚れ(けがれ)の現世(うつしよ)遠く去りて
黄金の波に いざ漕がん
語れ我が友 熱き心
●歌の誕生
大正6年6月、第三高等学校(現京都大学)二部クルーは学年末(当時7月卒業)の慣例によって琵琶湖周航に出ていました。小口太郎ら一行は大津の三保ケ崎を漕ぎ出て、1日目は雄松(志賀町近江舞子)に泊まり、2日目の6月28日は、今津の湖岸の宿で、疲れをとっていました。
その夜、クルーのひとりが「小口がこんな歌をつくった」と同行の漕友に披露し、彼らはその詞を、当時彼らの間で流行していた歌の節に乗せるとよく合ったので、喜んで合唱したということです。「琵琶湖周航の歌」誕生の瞬間でした。
●琵琶湖周航について
三高では明治26年に初めて琵琶湖周航が行われ、以後学生たちによる恒例行事になっていました。
昭和15年ころまで行われていました。三保ケ崎から西岸を北上する時計回りのコースで、4泊5日、もしくは3泊4日の日程。使われたボートは、フィックス艇といい、固定座席で、漕手6人、舵手1人、他1〜2人でチームを組みました。
●作曲者はだれだ
歌詞はその後、補完され、翌大正7年に6番までの全歌詞が完成しました。
そして三高の寮歌として、学生たちの愛唱歌として広まっていきました。
また幾多の歌手がレコードに吹き込み、昭和46年夏、加藤登紀子の大ヒットへとつながっていきました。
このころの歌集には、作詞作曲小口太郎、または三高ボート部となっていましたが、小口太郎の人物像すら不詳で、熱心な研究者の手で究明が始まります。
そして冒頭のような事実が判明していきました。曲は「ひつじぐさ」のメロディを借りたものとわかり、昭和54年には「作曲者は吉田千秋」と名前まで特定できましたが、身元は不明のまま。
平成5年6月に、今津文化会館で開催された「琵琶湖周航の歌開示75周年記念イベント」の準備のさなか、実行委員会は「吉田千秋は大正4年に東京から新潟県に転居している」との手がかりで、新潟県の地元新聞に消息探しを依頼したところ、偶然にも関係者の目に止まり、ついに作曲者の詳細な人物像が判明したのです。
大海から針を探すにも等しい吉田千秋探しは、急転直下の展開をみせたのでした。
●小口太郎
明治30年生まれ。長野県岡谷市出身。第三高等学校(現京都大学)に学び、のち東京帝国大学(現東京大学)に進む。三高在学中の大正6年6月28日、ボートで琵琶湖周航の途次、今津の宿で周航の歌の詞を仲間に披露した。「有線および無線多重電信電話法」の特許を取るなど、多才であった。26歳で永眠。
●吉田千秋
明治28年生まれ。新潟県新津市出身。若くして肺結核を患う。
現東京農業大学に学びながら、音楽やローマ字関係の雑誌に投稿を始め、大正4年、雑誌「音楽界」8月号に「琵琶湖周航の歌」の原曲とされる「ひつじぐさ」を発表した。
24歳で永眠。
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詳しい情報ですね。いろいろ分かりました。 この楽譜はF調ですね。そのほかG,D,Bbといろいろな調でうたっていますが、当時の学生はどんな調でうたっていたのでしょうか。
2007/1/11(木) 午後 1:01
yosid様、素晴らしい記事を教えてくださいまして有難うございます。マップに投稿させていただきますね〜♪
2007/5/30(水) 午前 1:27