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リヒテルとヤマハ

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●リヒテルというのは、これまた、歴史に名を残す世紀の大ピアニストであり、楽器選びには大変神経質な人であるが、あるときから、ピアノ界の王者、スタインウェイやベーゼンドルファーよりも、ヤマハに注文して作ってもらったピアノを非常に気に入り、それ以来、ずっと、演奏会ではヤマハのピアノを弾いている。
 リヒテルは世界的大家なのだが、あるとき、「私のピアノを作ってくれている人たちにお礼がしたい」といって、わざわざ、浜松のヤマハのピアノ工場にやってきて、リサイタルを開いた。このエピソードはNHKの「プロジェクトX」でも採り上げていたから、知っている人もいるだろう。
 ヤマハのピアノ製作者たちは、大変驚いた。リヒテルといえば、世界中の超一流オーケストラと超一流のホールで演奏する人である。その本人が、要するに工場の中の会議室を会場として演奏してくれるというのである。しかも、リヒテルは、演奏に先立ち、作業服姿で集まったピアノ職人たちに向かってこういった。
 「私は、今日ほど、緊張する演奏会はありません。なぜなら、ここにいる人々は最もピアノを愛する人たちばかりなのですから」
 だめだ。この話を書くと、泣けてくる。


●ヤマハのピアノとの関係は有名だが、それは長いキャリアのほんの一時期に過ぎず主に晩年で使用されている(しかも晩年もちょくちょくスタインウェイなどヤマハ以外のメーカーのピアノを使用している)。彼がヤマハを選んだことを聞いて、グールドもまた晩年ヤマハを使用した。グールドの二度目のバッハ《ゴルトベルク変奏曲》やブラームス《4つのバラード》はヤマハのピアノによって録音された。


●ヤマハは大量生産によって普及品をつくる一方、コンサートグランドへの挑戦も続けていきました。その努力の結晶ともいうべきCFが発表されたのは昭和42年のことでした。巨匠リヒテルはヤマハを好み、こんな言葉を残しています。
「世界には素晴らしいピアノが5つある。スタインウエイ、ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、ペトロフ、およびヤマハである。このうちスタインウエイは誰が弾いても素晴らしい音が出るが、その音色のきらびやかさを、特に若い奏者の場合、頼りすぎる場合が多い。しかし音楽はそういうものではなく心の感度を示すものだから、自分としてはこれをうまく表せるものでないと気に入らない。ベーゼンドルファーはもっとも好きなもので心の表現のためには最高だが音量が不足で、ベヒシュタインは戦前のものは素晴らしかったが、戦後は品質が変わった。ペトロフはたとえばプラハの音楽堂にある楽器は申し分ないが、ほかのものには品質のムラが多い。ヤマハは、完全なものではないが、私の理想に近づいた音の力強さと表現力を共に備え持っている」

西洋音楽が日本に根付き始めたのは明治の頃。たかだか100年ちょっとぐらいの歴史しかない日本から、世界のトップピアニストにこのように評価してもらえる西洋楽器ができたというのは、同じ日本人として嬉しいですね。


●リヒテルが愛用したピアノはヤマハだった。彼は、「柔軟で感受性が鋭く、特にピアニシモが非常に美しい。私の表現したい心の感度を歌ってくれる」と語っている。(このコメントは本当にリヒテルの本心から生まれた発言なのかは今でも外資ピアノ関係者の間で意見が分かれている。)NHKのドキュメンタリー番組プロジェクトXでも以前取り上げられた。

このいきさつには彼の演奏メソッドにも関っている。彼のピアノ奏法に上部雑音が多く(全盛期の演奏では録音ですら確認できる)、それを軽減してくれる最良のメーカーがヤマハだったからと言われる。彼は通常の鍵盤から離れて打つロシアン・メソッドの他に、腕力で鍵盤を強く圧する独特の癖があり、この癖にヤマハのピアノが良く耐えたからとも言われている。実際、当時の演奏写真でも手首をかなり下げて圧力をかけている様が確認できる。


●素晴らしい技術者たちがいる。だから私はヤマハを選ぶ
スヴャトスラフ・リヒテル氏
「素晴らしい技術者たちがいることも、私がヤマハにひきつけられる理由です。彼らは調律の技量もさることながら、調律だけでなくすべての面で細やかに配慮してくれる。照明の具合、ピアノが水平かどうか、椅子の高さはどうか、すべてに責任を持ってやってくれるので、私は事前に何一つ心配せず本番直前に行くだけでいい。そうしたすべてを含めて信頼できるので、私はヤマハを弾いている。」


●ロシアの名ピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテル誕生(1914〜1997) あらゆる芸術に深い造詣を持つ、巨人的スケールのピアニスト

 20世紀最後の「巨匠」ピアニストと呼ばれた、リヒテル。97年8月に突然の訃報が伝えられた時には、マスコミも「今世紀最大のピアニスト、死去」「ピアノの巨匠時代が終わった」等と大々的に取り上げ、その死を惜しみました。

 ウクライナで生まれたリヒテルは、両親もピアニストでしたが、独学でピアノを習得。オデッサ歌劇場で練習時の伴奏ピアニストとして働き、モスクワ音楽院で本格的に勉強し始めたのは22歳になってからでした。そのとき名教師・ネイガウスは「何も教えることがなかった」との言葉を残しています。

 そして、30代に入ってからの遅いデビューは、“鉄のカーテンの向こうに恐ろしいほどのピアニストがいる”とすぐ西側に伝わったほど強烈なものでした。特に、作曲家本人と親交のあったプロコフィエフの作品をはじめ、ラフマニノフ、ムソルグスキーなどのロシア音楽、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどのドイツ音楽から、リヒテルは哲学的なものと抒情的なものを導き出し、それを多彩な音色で描き分けて、圧倒的な感銘を与えたのです。

 リヒテルは、演劇、映画、絵画、文学などにも深い造詣を持っており、特に絵画の腕前は、演奏旅行の途中で印象に残った風景を、後で寸分の狂いもなくキャンバスに再現できるほど、と言われています。彼のピアノを聴いていると、時として目に見えるように鮮やかなイメージが浮かび上がるのは、彼の「確かな目」のなせる技かも知れません。

 そんなリヒテルの愛用したピアノは、ヤマハでした。1969年のマントン音楽祭での出会い以来、数々の名演奏、名録音を残しています。彼は、「柔軟で感受性が鋭く、特にピアニシモが非常に美しい。私の表現したい心の感度を歌ってくれる」とヤマハを愛する理由を語り、その技術陣にも全幅の信頼を寄せていました。

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2006/9/28(木) 午後 0:17 [ ヤマチョイ ]

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