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七人の刑事

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菅原謙二がカッコよく好きだった。
ハミングのテーマ音楽が、とても印象的であった。
詳細は覚えていない。


●Web検索情報
『七人の刑事』(しちにんのけいじ)は、1961年10月4日から1969年4月28日までTBSテレビで放送された連続テレビドラマ。放映中に映画版が2本、終了後も1975年に特別編が3本が、1978年4月14日から1979年10月19日まで新シリーズが、1998年に『七人の刑事 最後の捜査線』(月曜ドラマスペシャル)がそれぞれ製作されている。

第1作はVTR収録で、第1話放送の日は『特別機動捜査隊』の前夜祭と同じ日だった。当時はVTR収録の番組を保存する体制が整っていなかったため、第1作の映像は「乾いた土地」(第100回)と唯一フィルムで撮影されたエピソード「二人だけの銀座」(第256回、脚本:佐々木守、監督:今野勉)を除いて放送終了後に消去され、現存しない。

七人の刑事
赤木係長:堀雄二
沢田部長刑事:芦田伸介
小西刑事:美川洋一郎
南刑事:佐藤英夫
中島刑事:城所英夫
杉山刑事:菅原謙二
久保田刑事:天田俊明


 「この物語はフィクションであり、登場する人物、団体などの名称はすべて架空のものです」と断るのが、ドラマでは当り前なのに、「このドラマは事実に基づいて構成され、資料はすべて警視庁、警察庁、全国警察から寄せられたものです」という、驚くべきナレーションではじまるのが『ダイヤル110番』だった。
   
 『ダイヤル110番』は、1957年9月にスタートした本格的な“捜査もの”の草分け的番組で、現実の事件をリアルに再現していた。生放送の時代に、ドラマの半分近くをフィルムで撮っている。フィルムによるロケのリアリティーと生放送という構成が、ドキュメンタリータッチのドラマとしての緊迫感をうみ、人気があったのだ。
 刑事役には、松村達雄、中谷一郎、鈴木瑞穂、加藤武といった、今でこそ名前が
知られているが、当時はまったく無名だった俳優が起用されたことも、ドキュメンタ
リータッチとマッチしていた。
 57年といえば、緊急電話が110番に統一されたばかりの頃。その告知に功労があったということで、58年6月には、警察庁長官の感謝状が、スポンサーの三菱重工に贈られたとのこと。警察の全面協力番組だったんですね。

 日本で最初の本格的刑事ドラマとなると、警視庁捜査一課の七人の刑事の捜査活動を描いた『七人の刑事』だろうね。
 赤木主任の堀雄二、沢田部長刑事の芦田伸介、杉山刑事の菅原謙二、南刑事の佐藤英夫、中島刑事の城所英夫、小西刑
事の美川陽一郎、久保田刑事の天田敏明の七人だ。
 61年から1話完結の1時間番組として開始されたのだが、その前は菅原謙二と城所英夫を除く5人のレギュラーで『刑事物語』として、2回完結の30分番組として放送されていた。
 七人の刑事の中で、最も存在感があったのが、芦田伸介の沢田部長刑事だった。
 よれよれのレインコートにハンチング。レインコートの前のボタンをはずして、コートのすそを風になびかせて歩く。ドスのきいたボソボソと押しつぶしたような声に、傷痕を残す面構えは、まさしくこれぞ刑事といった感じだった。
 よれよれのレインコートがトレードマークの刑事コロンボより、芦田伸介が10年も前にスタイルを確立してるんだよ。

 『七人の刑事』は、たんに犯人を捕まえるだけのドラマでなく、日本復帰前の沖縄問題とか、在日朝鮮人問題とかいった社会的背景や、犯人に対する刑事の人間性、社会的矛盾から発生する犯罪に対する刑事の葛藤など、シリアスな内容となっていた。
 桜田門界隈の遠景から、旧警視庁の建物がアップになるタイトルバックに流れるZ・デチネの哀愁を帯びたハミング。ドラマと相まって、今でも耳に残っているよ。


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