|
●●● ベルリン・フィルの歴代フルート奏者たち ●●●
■ハンス・ペーター・シュミッツ/ドイツ/ベルリンフィル
フルトヴェングラー時代の、つまり黄金時代のベルリンフィルの首席フルート奏者(1943〜1950)。しかし、それ以上にベルリン音楽大学における教師として有名。僕にとっては、師匠の師匠という関係になる。そうした意味でも思い入れがあるフルーティスト。音色が暗く、情念が渦巻くような演奏ぶりはいかにもドイツという感じ。
■オーレル・ニコレ/スイス・ベルリンフィル
シュミッツに続くベルリンフィルのフルートパートの黄金時代を築いた名奏者。スイスの奏者で、フレンチスクールの奏者だが、ドイツ的、フランス的といったカテゴリーを越えて、ニコレ的という極めて独特の色を持っている奏者。オーレル・ニコレはスイス生まれで、マルセル・モイーズに師事し、24歳でフルトヴェングラーのベルリン・フィルの首席を務めた。その後、ソロ活動に専念し20世紀後半へかけて世界的な活躍をし、新しい感覚を呼び込んだ名手。
■カール・ハインツ・ツェラー/ドイツ/ベルリンフィル
全盛期のカラヤン時代を支えた名奏者。この人の演奏は本当にドイツ的だと僕は思う。彼の吹くヘンデルのソナタを聞いてもらいたい。素朴で銀の笛を吹いているとは思えないほど木質な音色がする。
1928年、ワイマール共和国ヴェスターヴァルト州ヘール=グレンツハウゼン生まれ。フランクフルト音楽大学で学び、1945年に17歳でフランクフルト・ミュージアム・オーケストラおよび歌劇場管弦楽団の奏者となった。その後、デトモルト音楽アカデミーでクルト・レーデルに学んだ。1950年に北西ドイツ・フィルハーモニー、1952年西ドイツ放送交響楽団フルート奏者となる。
オーレル・ニコレの後任として、1960年から1969年までと1975年から1993年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席フルート奏者を務めた。中断していた期間の首席奏者はジェームズ・ゴールウェイである。1967年、ベルリンフィルの南アメリカ演奏旅行中交通事故にあい肋骨を折る重傷を負うが、教育・演奏活動に復帰した。
オーケストラ以外でも、オーボエのローター・コッホらとアンサンブル活動を行った。
教育者としては、1961年から1968年までベルリン音楽大学の講師および助教授、1968年から1985年までハンブルク音楽大学の教授、1985年から1998年までベルリン芸術大学教授を務めた。ハンブルク音楽大学では名教師といわれた妻ゲルトルートと共に教鞭をとった。門下にはアンドレアス・ブラウなどがいる。
■ジェームズ・ゴールウェイ/イギリス/ベルリンフィル
ジェイムズ・ゴールウェイ(Sir James Galway, 1939年8月12日 - )は、アイルランド系イギリス人のフルート奏者・指揮者。
ベルファスト出身。愛称ジミー、通称「黄金のフルートをもつ男」。ソリストとして名声を得たフルート奏者のひとり。2001年6月にエリザベス2世より叙勲された。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受け、1969年から1975年まで首席フルート奏者を務める。一時期の不和の末に、退団しソリストとして活動することを決断し、カラヤンを驚かせ途惑わせた。その後も独奏者として成功を収め、現在も定期的に演奏活動を続けている。クラシック音楽のフルート奏者の中で指導的立場にある一人である。モーツァルトなどの定番のレパートリーのほかに、カール・ライネッケの協奏曲やソナタのように忘れられたレパートリーも録音、さらには民族音楽のアルバムも数点制作した。映画「ロード・オブ・ザ・リング」のサウンドトラックでも演奏を披露している。
人気の割には私ははあまり聞いていない。持っているCDはモーツァルトのコンチェルトぐらいです。
■エマニュエル・パユ/スイス/ベルリンフィル
エマニュエル・パユ(Emmanuel Pahud、1970年1月27日- )はフランス語圏スイス出身のフルート奏者。
ジュネーブ生まれ。5歳でリコーダーを、6歳でフルートを始め、フィピップ・ビネとフランソワ・ビネに学んだ。バーゼルでペーター=ルーカス・グラーフに、パリ音楽院 でフルートをアラン・マリオン、ミシェル・デボストに、室内楽をピエール=イヴ・アルトー、クリスチャン・ラルデに学び、1990年に首席で卒業。その後もバーゼルでオーレル・ニコレに師事した。
<<主なコンクール入賞暦>>
ドゥイノ国際コンクール第1位(1988年)
第2回神戸国際フルートコンクール第1位(1989年)
ジュネーヴ国際コンクール第1位(1992年)
1989年から1992年までバーゼル放送交響楽団首席奏者を務めた。1991年10月ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受けて合格し1992年12月から首席奏者として演奏する契約であったが、1992年10月にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の入団試験を受けて合格したため、ミュンヘン・フィルでは一度も演奏していない。ベルリン・フィルでは1993年9月から演奏を開始し、同楽団の歴史上で最も若い(23歳)首席奏者となった。2000年、抱える仕事の多さからオーケストラに休暇願を出そうとしたが認められなかったため6月に退団。2002年4月、同楽団に復帰した。
この人の演奏は非常に模範的だし、一方ではフルートという概念を越える強靱さを持っていて本当に凄いと思う。
|