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待ちに待った、すみこの『ベスト』登場!

もともとマイナーな歌手で、それがまた、長く忘れられていた歌手でしたが、昨今のおやじの懐古趣味から需要が見込めるのか、復刻されてきました。

私を含む、過ってのすみこファンにとってはうれしい限りです。

廃盤になるのは間違いないので、今の内に買っておきました。

今聴いても、そのクリスタルボイスの清清しさには懐かしさとともに、感動させられます。

個人的には2枚目の変身すみこには、がっかりです。多勢の一員になった感があります。


●やまがたすみこ ゴールデン☆ベスト

曲目リスト
ディスク:1
1. 風に吹かれて行こう
2. あの人が好きなのに
3. 夏になったら
4. 明日あなたに
5. あの日のことは
6. そしたら空は
7. 白い船白い鳥
8. 風を見たよ
9. 私の子守唄
10. 二つの心
11. むらさき色の風
12. 海のおくりもの
13. 初恋橋
14. 秋でもないのに
15. この広い野原いっぱい
16. 素晴しい世界
17. 白い花
18. ふるさと
19. 春のおとずれ

ディスク:2
1. チューニング・ラブ
2. さりげない二人
3. 夏の光に
4. 白い桟橋
5. ムーンライト・ジルバ
6. プラスティック・ラブ
7. イニシャルはK
8. 渚のエピローグ
9. SF
10. 秋を感じた日
11. ちょっとだけ・ちょっとだけ
12. 神田川
13. 想い出まくら
14. あの日にかえりたい
15. 望郷
16. くいしんぼうのカレンダー
17. SPIRIT OF PLACE


●内容紹介(grasshoppers1954 (仙台市)から抜粋 )
澄みわたる歌声でフォーク界のアイドルとしてデビュー元祖清純派フォークシンガーやまがたすみこ。

「風に吹かれて行こう」から「SF」までコロムビアからリリースされたシングルをコンプリートした初のCDベスト。初CD化音源も収録した豪華2枚組。

・やまがたすみこの全シングル版を収録
・シングルのみ発売の数曲も収録
 「日立ミュージック・イン・ハイフォニックのテーマ」とのカップリングの「白い船白い鳥」は、中古市場でも高価で、入所困難だった。
・フォークアルバム第2集、第3集から数曲収録

 やまがたすみこのシンガーとしての成長については、初期のファンからは好評価をもって迎えられないことがある。(初期のクリヤーボイスの喪失)が、その時期が、ちょうど1枚目と2枚目で分かれる。

Expressions 竹内まりや

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数年前、長女からの影響で「けんかをやめて」が竹内まりやとの出会いでした。

竹内まりや、数少ない大人の音楽の歌い手です。

ユーミンの声は生理的に受け入れられないし、中島みゆきのドスのきいたうなり声も。

という訳で、竹内まりやは貴重な存在です。

・象牙海岸
・ボーイ・ハント
・けんかをやめて

の、印象が強く残っています。

これからも、彼女を聴き続けて行きます。

彼女のCDは数枚持っていますが、リマスターで全曲をカバーしているので貴重です。



●説明(amazon.com)

内容紹介

人生のところどころに彼女がいました。

竹内まりや、デビュー30周年!!初のコンプリート・ベストアルバム『Expressions』

350万枚を売り上げ、今なお売れ続けているベスト盤『Impressions』から14年。デビュー30周年の今年、さらにスケール・アップした究極ベスト盤が遂にリリース。デビュー曲から、最新シングルまで。レーベルを超えた選曲と、最新リマスター音源で聴く、竹内まりやの歴史がここに!

『Expressions』とは“表現の数々”。
シンガーとして、ソングライターとして、そしてシンガー・ソングライターとして数多くのヒット曲を歌い続ける竹内まりや30年間の“表現”を凝縮!これぞ究極のベスト盤!

●収録曲
今年、オフィシャルHPとCDショップとで行われた収録曲リクエスト投票の結果を反映しつつ、デビュー時のRCA(現:BMGジャパン)から現在のワーナーミュージック・ジャパンまで、レーベルの垣根を越えた収録曲全42曲は竹内まりや本人がセレクト。

(Disc-1)

01.戻っておいで・私の時間
02.グッドバイ・サマーブリーズ
03.ドリーム・オブ・ユー〜レモンライムの青い風〜[Single Version]
04.涙のワンサイデッド・ラヴ
05.September
06.不思議なピーチパイ
07.象牙海岸
08.五線紙
09.Morning Glory
10.僕の街へ
11.ボーイ・ハント(Where The Boys Are)
12.恋のひとこと(Something Stupid)
13.Never Cry Butterfly
14.Let It Be Me [Studio Version]


(Disc-2)

01.リンダ
02.もう一度
03.マージービートで唄わせて
04.本気でオンリーユー(Let's Get Married)
05.プラスティック・ラヴ
06.恋の嵐
07.元気を出して
08.色・ホワイトブレンド
09.けんかをやめて
10.駅
11.Forever Friends
12.シングル・アゲイン
13.告白
14.マンハッタン・キス


(Disc-3)

01.家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)
02.純愛ラプソディ
03.毎日がスペシャル
04.カムフラージュ
05.今夜はHearty Party [Single Mix]
06.天使のため息
07.すてきなホリデイ
08.真夜中のナイチンゲール
09.返信
10.みんなひとり
11.チャンスの前髪
12.うれしくてさみしい日(Your Wedding Day)
13.幸せのものさし
14.人生の扉


●●竹内まりや●●
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

●竹内 まりや(たけうち まりや、1955年3月20日 - )は、島根県出雲市大社町出身のシンガーソングライター。自称「シンガーソング専業主婦」。本名、山下 まりや(旧姓:竹内)。山下達郎の妻で、一女の母である。デビュー当時はアイドル歌手だった。血液型はA型。

●略歴
出雲大社近くの老舗旅館「竹野屋」主人でもある竹内・大社町(当時)元町長の娘として生まれる。特にキリスト教徒ではないが、世界的に通用する名前をとの父の考えからまりやと名づけられた。

島根県立大社高等学校在学中に、アメリカ・イリノイ州ロックフォールズ(Rock Falls) 高校に1年間留学。この留学は、AFS(高校生の交換留学団体)の交換留学制度で行ったものであるが、この時のAFSの同期に、国際ジャーナリストの小西克哉がいた。

慶應義塾大学文学部に進学(将来的には通訳をやりたかったそうだ)。在学中に音楽活動(杉真理の所属する「ピープル」旧リアル・マッコイズ)を始める、このサークルで竹内は鈴木慶一の従妹の宮悦子、現在は料亭で女将業の中山ゆき子らとともにバックコーラスグループもやっていた。このサークルは第8回ポプコン関東・甲信越大会(1974年9月7日中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で参加しているが、同大会には別グループとして佐野元春(バックレイン元春セクション)、庄野真代、桐ヶ谷仁(フェードイン。現在は松任谷正隆の経営する音楽学校講師)も参加していた。1978年、シングル『戻っておいで・私の時間』、アルバム『BEGINNING』でデビュー。英文科に進んだが、厳しいことで有名な唐須教光のゼミと音楽活動の両立ができなくなり中退。のち、1979年のシングル『SEPTEMBER』、1980年のシングル『不思議なピーチパイ』などがヒットする。デビュー当初は、松本隆などが提供するアイドルソング的な歌を歌わされていたが、これに飽き足らず間もなく自ら作詞・作曲を手がけるようになった。

この頃アレンジャーとして彼女の前に登場したのが、後に公私共に良きパートナーとなる山下達郎である(もっとも、デビュー以前からまりやはシュガーベイブや達郎のライブを見に行っていたと語っており、特に自らのデビューライブ直前に見た達郎のライブには大きなインパクトを受けたという)。

竹内まりやの結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦、細野晴臣、告井延隆(センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子、林哲司、伊藤銀次、杉真理、安部恭弘、浜田金吾(濱田金吾)といった錚々たる作家が提供し、作品の質は極めて高い。

1981年、アイドル的な活動を要求されることと自身の希望する活動とのギャップから一時休業を宣言、その後1982年に山下達郎と結婚。同時に専業作詞作曲家として活動を開始し、河合奈保子の『けんかをやめて』などのヒットを放つ。しかし、1982年に山下達郎が自身のレコード会社ALFA MOONを設立したことから「記念に一枚」のつもりで、1984年にシングル『もう一度』、そして全曲を彼女自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース。ちなみにこのアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に彼女が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下達郎が大いに驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。

当時は歌手としては既に忘れられた存在でありながら最終的には30万枚以上の大ヒットになった。 その後は育児との両立が難しいこともあり、ライブ活動からは退いたものの、アレンジャー・プロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動を続け、3年間のロングセールスを記録したアルバム『REQUEST』(1987年)や、シングル『駅』(1987年)、シングル『シングル・アゲイン』(1989年)、シングル『告白』(1990年)、シングル『家(うち)に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)』(1992年)などのヒット作をリリース。1992年にはアルバム『QUIET LIFE』が発売と同時にミリオン・セラーとなり、1994年のベストアルバム『IMPRESSIONS』は売上300万枚を超える大ヒットを記録。

作詞・作曲家としては薬師丸ひろ子の『元気を出して』(1984年、のちに島谷ひとみも2003年に同曲を歌った)、広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』(1997年)など、多くのヒット作を生んだ。

90年代初め、中国系の歌手・林羽萍(Lín Yŭpíng,英語名 Jessica)がアルバム『久別重逢』の中で『元気を出して』を『清醒之後』としてカバーしている。中国詞は「王中言」で、作曲者は本来「竹内まりや」とすべきところが「熊天龍」という全く違う名前になっている。

2000年7月、約18年ぶりの本格的なライブ(それ以前にも縁故のあるミュージシャンのライブのサプライズゲストに登場し数曲洋楽カヴァーを歌うことはあった)を東京・大阪で行う(ライブ・アルバム『SOUVENIR』収録)。その後もアルバム『BON APPETIT!』(2001年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年)などをリリース。2004年には夫のシングル『忘れないで』の作詞を担当など、マイペースながらも着実に活動を続けている。子育てや夫・達郎の作品制作が一段落したことから2006年からリリースを積極的に行うようになり、2007年には6年ぶりにオリジナルアルバム『Denim』を発表。『Denim』はオリコンチャート1位入りを果たし、現在でも根強い人気を保っていることを証明した。

楽曲は、OLの何気ない日常に焦点を当てた歌などが多いが、本人がやや自嘲気味に言っているように不倫を題材にした曲も多い(なお達郎の書いた『Impressions』収録の『マンハッタン・キス』の解説によれば、『本人はあくまでもアンチ不倫派であるとの事。』)。

シングル「チャンスの前髪」にはサザンオールスターズの原由子がゲストボーカルとして参加している。

2008年9月、竹内の曲のみが使われるジュークボックス・ミュージカル『本気でオンリーユー』が初演された。

デビュー30年を迎える2008年10月1日に、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売された。このベストアルバムの選曲にあたり、公式HPにて楽曲のファン投票を行った(現在は、投票を締め切っている)。上位3曲は、以下のとおり。(NHK「SONGS」1周年記念特番にて発表)

1位:駅
2位:人生の扉
3位:元気を出して
2008年9月29日から放送が開始された、竹内の故郷である島根県を舞台としたNHK連続テレビ小説『だんだん』では、主題歌とナレーションを担当している。

2008年10月23日東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家林哲司氏の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場!! 同氏が手がけた『September』『象牙海岸』の2曲を生披露した。

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A COMPLETE〜ALL SINGLES〜

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A COMPLETE〜ALL SINGLES〜 浜崎あゆみ

以前、馬鹿らしくてアイドルの曲、特にあゆなんて全く聴けなかった。

再挑戦する意味で、娘がレンタルしたCDを複製、通勤でCDワークマンで聞いていた。
CDを交換するのも億劫なものぐさ者なので、1枚に2週間ほど聞き続けた。
CDは週末に交換する。

クラシックファンの私にもあまり抵抗無しに聴き続けられた。
声質は、典型的な喉声。本格派とは言い難いが、歌自体結構うまい。

うるさいバックを伴うが(私はアコースティック派)、
グッとくるフレーズがある。===>よく出来ている曲がある。
同じような音楽で、聴き続けると平板に聞こえるが、おじさんのながら音楽としてはとってもいいものだった。


●内容紹介(amazon.com)
浜崎あゆみデビュー10周年を記念して、超豪華SINGLEベスト盤
デビュー10周年を迎え、9月からアジアツアーを控える今、遂に浜崎あゆみのコンプリート SINGLE コレクションがリリース決定!
1998.4.8発売のデビューSINGLE「poker face」から2008.4.8発売の最新SINGLE「Mirrorcle World」まで、J-POPの歴史を彩り、
時代を越えて愛され続けている超大ヒットSINGLE全43作からA面曲全てをリマスタリングし、完全収録したまさに究極のベスト盤!


●浜崎あゆみ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浜崎 あゆみ(はまさき あゆみ、本名:濱崎 歩〈読みは同じ〉、1978年〈昭和53年〉10月2日 - )は日本の女性歌手である。福岡県福岡市出身。福岡市立原中学校卒業。堀越高等学校中退。 愛称は「あゆ」や「ayu」など。英語表記は「Ayumi Hamasaki」。芸能事務所・所属レコード会社はエイベックス・エンタテインメント。血液型はA型。日本を代表する女性ポップス歌手のひとりである

●人物
浜崎あゆみは現在日本を代表する女性ポップス歌手の一人である。 歌手デビュー後のオリジナル楽曲は全て自身で作詞している。女性歌手でありながら、歌詞の中に『私(わたし、あたし)』以外に『僕(ぼく)』を多く使い、また、複数を指す『〜達』、『〜ら』が多いことが彼女の詞の特徴である。 また、自身の暗い心の闇も歌詞に綴り、男女を問わず多くの若者から共感を得た[要出典]。浜崎あゆみ自身もCREAとして、作曲を手がけたこともあった。

また、名字の「浜崎(濱崎)」の正しい読み方は「はまざき」ではなくて「はまさき」である。自身の出身地である九州地方に多い名字である[要出典]。犬(小型犬)好きでチワワ、ダックスフントなどを飼っている。仕事場に連れてくるのはもちろん、ライブツアーのMC中にステージに登場することもあった。 『タイム』誌アジア版2002年3月25日号の表紙を飾り、2007年から初の海外公演(台北、香港、上海)を含むライブツアーが本格的に行われ、東アジア地域への進出も果たしている。歌手デビュー前にボイストレーニングのために渡米しているが、デビュー当時は英語は不得意だとコメントしていたため、ほとんどの歌詞は日本語であったが、2002年以降は英語詞を含めた楽曲も多く発表している。2006年12月にCNNの日本特集『Japan now』期間中に放送された対談番組『Talk Asia』では、短時間ではあったが英語でを披露している。

神野 明 先生 その2

今、聞いている『ツェルニー50番』の演奏者の神野 明先生について調べて見ました。その2。

「コンビニ作曲家MIC」こと猪間道明の個人ホームページ より
神野明先生の参考になる記事を発見

http://www005.upp.so-net.ne.jp/micin/ese/ese18.htm


18.演奏という場

 「レコードなんて代物はね君、あれはウンコみたいなものだよ」
 学生の時、ピアノを習っていた先生が、ある時そんなことを言った。
 私のプロフィールには先生の名前がたいてい載るから、実名を隠しても仕方がない。「題名のない音楽会」などにしばしば出演しているピアニストの神野明である。
 私が2年生の時に芸大の非常勤講師となられて、その年の副科ピアノのクラス分けで先生のクラスとなり、以後卒業まで3年間ピアノを師事しただけでなく、その後もかなり親しくおつき合いいただいている。
 師事したと言っても、副科のレッスンなど週に20分ほどのもので、しかも休暇のやたら多い学校ではあり、そんなにみっちり教えられたというわけでもない。その3年間で私のピアノがどれくらい上達したかもわれながら定かでなく、正面切って神野明の弟子ですと名乗ることには少々気後れを覚えなくもない。
 しかし、常に日本中から招聘を受けて忙しく飛び回り、演奏をしたことのない都道府県はほとんどないというほどの現役バリバリの先生について、現場からの感触というものを問わず語りにお聞きすることができたのは、私の幸せであったと思っている。

 最初のレッスンの時、先生は私に、
「君は、ひとつの曲をじっくり仕上げるのが好きかね、それともいろんな曲に手をつけるのが好きかね」
と訊ねられた。
 のっけからこんな質問をするピアノの先生は珍しい。1年生の時に習っていた先生(この人も大変高名なピアニストであったが)は、ひとつの曲にかかると何ヶ月もそればかり続けたのである。私は飽きっぽいたちなのでいい加減うんざりした。それだけじっくりと1曲を叩き込まれたわりに、試験の成績はかなり不本意なものであった。
 そんな経験もあるし、私は昔から、いろんな曲、できるだけ知らない曲を弾くのが好きで、受験までついていた先生から与えられる課題曲とは別に、楽譜屋へ行っては妙な楽譜を買ってきては勝手に弾いていた。おかげで課題曲の練習はすっかりおろそかになるのが常であった。
 だから私は迷わず、
「いろんな曲に手をつけるのが好きです」
と答えた。
 神野先生は、うなづいて言った。
「じゃあ、そういう方針で行くとしよう」

 それから3年間、試験のために学校から課される課題曲は別として、私は実にいろんな曲をレッスンに持って行った。
 この曲は先生も知らないだろう、と思われるようなのを探し出しては練習して、持ってゆくのである。中には中国の作曲家の作品なんてのもあった。3年生の時に中国旅行をしたので、その旅先で買ってきた楽譜だったのである。
 先生の方も面白がって、たまに知っている曲だったりすると、
「お、これなら知ってるぞ」
と、得意そうに言われた。
 知られていないわけではないが、まあ普通の人はあんまり弾かない、ショパンの第1番のソナタとか、ベートーヴェンの2つの前奏曲などもレッスンして貰った。
 たいてい2週間くらいで1曲を上げていたようだ。最初の週に私が弾いて、アドヴァイスを貰い、それを念頭に置いて翌週もう一度弾き、それでおしまいということが多かった。演奏技術を深めるという点では甚だ不徹底なレッスンではあったが、何やらゲームをやっているようでもあり、練習にも身が入ったのは事実である。
 実際の話、あれほどじっくり同じ曲を弾き込まされた1年生の時の試験より、先生にレッスンを受け始めた2年生以降の試験の方が、成績も上がっていたのだった。

 先生の演奏について私が批評がましいことを言うような立場にはないが、正確な演奏という点では、どうかと思うことがないでもない。演奏会を聴きに行っても、時折
 ──あれ?
 と首を傾げることがある。具体例は憚るが、曲の一部を不本意的にカットなさったこともあれば、左手がすっかり真っ白になっておられたこともあるのである。ミスタッチも決して少なくはない。
 が、そういう瑕瑾を超えて、なんだかわからないが納得させられてしまうところが先生の演奏の真骨頂らしい。説得力のある演奏、ということの大事さを学ばせて貰っている。

 演奏会場というのは、言うまでもなく舞台・演奏家と客席・聴衆とのコミュニケーションの場である。
 歌い手などはそのことをよくわかっている人が多いが、ピアニストとなると、客席が直接視界に入らない横向きの体勢で演奏するせいか、ともすれば客の存在を忘れた演奏になりがちである。少なくとも、自分がピアノを弾いているというそのことが、客席との対話なのだということを明確に意識している人はそう多くない。
 神野先生は、そのあたりをとても大事になさっているのである。
 曲の「決め」のような部分で、からだをどちらへ向けるかなどということまで計算している。計算と言うよりも本能と言うべきことかもしれない。客席に背中を向けるような静止の仕方をするべきではないと、レッスンでも言われたことがある。
 演奏会とは、ただ演奏者の発する音を聴くだけの場ではない。演奏者の動きを見、息づかいを感じることにより、客席も共にひとつのフィールドを形作ってゆくべき相互作用の場なのだ。
 ツィメルマンのリサイタルを聴いた時に、一流の演奏家というのは客席の呼吸を支配できるものなのだなと感心したことがあるが、逆に言えば客席の呼吸を感じてそれに応えてゆくというのも、演奏家の大切な心得に違いない。
 とにかく、舞台の上下が一体となって一晩の感動を作って行くのが演奏会なのであって、そういう意味ではどれほど時が経っても、科学力が進んでも、ナマの演奏会というものが廃れることはあり得まいし、その感動が薄れるということもあり得ないだろうと私は考えている。

 「レコードなんて代物はね君、あれはウンコみたいなものだよ」
冒頭に書いたこのセリフは、そういう演奏の場で活躍し続けておられる先生にとってみれば、当然の感慨であっただろう。
 世のオーディオマニアが激怒しそうな言葉ではあるし、私もはじめてその言葉を聞いたときは唖然として、
「はあ……ウンコ……ですか……?」
と問い返したものだったが、先生の言わんとすることはよくわかるような気がした。
 先生にとっては、会場に集まった聴客たちとの一期一会の出逢い、彼らと共に作った何時間かの感動の共有が大切なのであって、それを録音するなどということは余分のことであり、録音の結果できてきたレコード(CD)などというものは、いちばん大切な部分を切り捨てた、まさに排泄物のようなものに過ぎないのである。
 確かに、上に書いたような
 ──あれ?
 と思ってしまった演奏を、もし録音してあとで聴けば、そこばかりがひどく気になって、いちばん大事な演奏の説得力の部分が感じられなくなるだろうということは容易に想像がつく。

 現場で活動している音楽家には、意外とオーディオマニアがいない。というより両者は全く重ならないのではないかと思うくらいである。
 「オーディオのことはよくわかんないや。CDなんか自分がやるための参考程度に聴くだけだし」
という人が多く、私もまったくその通りである。現場の人間には、レコード=排泄物という考え方が、多かれ少なかれ共通してあるように思われる。

 学校を卒業してから、先生に技術的指導を受けることはなくなったが、音楽家としてもっと大切なことをいろいろと教わっている。本当はそういうところにこそレッスン料を払うべきなのだが、しばしば酒の席であるとか、先生と私が共に関係している音楽団体の親睦旅行の席であるとか、そうした場で語られるさまざまなことに、学ぶことは多いのである。
 神野明の今年のリサイタルは、9月10日(金)午後7時から、四谷の紀尾井ホールで開催される。今年(1999)はショパンの没後150年ということで、ショパンの作品を大体年代順に並べたプログラムとなっている。間もなくであり、楽しみにしている。

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今、聞いている『ツェルニー50番』の演奏者の神野 明先生について調べて見ました。

http://www.itabashi-life.com/backnumber/person2/index.php

上記、記事が削除される前に、以下にメモっておきます。

板橋区演奏家協会会長 神野 明さん

独自の美しい音色
板橋区民に広く親しまれているピアニスト


板橋区に存在する、クラシック音楽の演奏家集団。
それが、板橋区演奏家協会です。いろいろな分野の人々で構成されている、演奏家協会の会長であり、様々なコンサートで、美しいピアノ、楽しいお話で親しまれている、神野明さんからお話をお伺いしました。


--- 生い立ちからおききしたいのですが、どのようなところでお生まれになったのですか??

私の生まれは、愛知県の刈谷市というところです。
トヨタ自動車の部品を作っている、トヨタ十社の内の7社があるんです、刈谷市に。
あまり皆さん知らないのだけれど、

--- ええ。

ですから、日本電装とか、トヨタ車体とかトヨタ工機とか、そういう会社がある町なんですよ。

--- そうだったんですかあ。

そこで、まあ、工業都市ですよね。
そこで生まれて、中学校までそこにいました。

--- 具体的にはどのような環境だったのでしょうか?

そうですね、
当時、私がピアノというか楽器を始めた時代と言うのは、 ピアノを持っている人が刈谷市に3人ぐらいしかいないという時代で、ですから私の家にも当然ないので、
小学校のピアノを借りて、それで練習をしました。
そういう環境でした。
  
ですから先生が、特に校長先生ですね、ものすごく理解があって、もう君は、授業の始まる前にピアノを弾いていいから。
という事で、お許しを得て、それで私は親よりも早く起きて行って、学校のピアノを使って練習していました。
そういう時代がありました。

--- 高校時代にはもう、音楽の道に進まれていたのですか?

高校は、愛知県の豊橋市の桜ヶ丘高校に音楽科がありまして、完全に音楽だけの生活を送っていました。

--- そうだったのですかあ。

刈谷から出まして、豊橋市に下宿していました。
寮とか下宿とかですね。

--- それで、東京芸大に進まれたのですね? ピアノ一色ですね!

ええ、そうですね。

--- 板橋区に住まれたというのは、いつ頃からなのでしょうか?

板橋区には、大学を卒業して一年後でしょうか?
千葉県の松戸という所に住んでいまして、そこから板橋の方にたまたま、ピアノが弾けるという住まいが見つかったんです。
ピアノと言うのは、やはり音の出るものなので、色々と近所迷惑などがありますから、それをクリアーしているところで。

たまたま私の学生時代の後輩にあたる人が、そういう部屋を作られたので、そこに、昔の学生の時の仲間と一緒に住み着いたんです。
そこが・・・常盤台!

--- 常盤台!東武東上線ですね!

東武東上線の常盤台。まさに板橋区です。
もうそこに、ずっと。20年以上!

--- そこから動かれてはいないのですか?

動いてはいるのですけれど、勉強と仕事と、色々とやっていて、しかも結婚したり外国に行ったりもしてましたので、ちょこちょことは変わったのですが、一応20年位はそこにピアノを置いていました。
練習をしたり、仕事をしたりしてね。

--- では、音楽仲間と一緒に生活されていたのですねえ・・・

ええ。
そこはピアノの弾けるところですので、みんなピアノを朝から晩まで練習して、夜になると一緒に常盤台のお寿司屋さんに行ったりですね、そういうところで後輩ピアニストと一緒に、みんな男性ですけれど、よく飲んだり食べたりしましたね。
 
--- そのようないたばしの生活で、忘れられない人などはおられますか?

はい、常盤台の人はみな、もう、忘れられないですね!
あの南常盤台通りのお寿司屋さんとか、居酒屋さんとか、それから布団屋さん、レストラン、パン屋さん。
みなさんと知り合いになっちゃっています。笑
   
--- いたばしで、この光景は忘れられないな。というものはありますか?

そうですねえ・・・
あの、常盤台のロータリーの風景というのは、なかなか田園調布に似ているというか。
銀行が変わったりしましたけれども。

--- そして、演奏家協会を昭和58年に立ち上げられもしたんですね?文化会館が大山に出来て。

その時、文化会館のホールにピアノを入れないといけないと言う事で、ピアノを選ぶと言う仕事を頼まれまして。
大山の文化会館の大ホールと、小ホールと、それから練習室のピアノ5台ですね。

--- ピアノというと、スタインウェイなどですか?

ええ、スタインウェイとヤマハですね、その両者に行って5台選んで来まして、その時のご縁で演奏家協会を任されたんです。

最初はいたばしの芸術、芸能関係の人がみんな集まって、こけら落としをしたりしたんです。

--- なるほど・・・

私もクラシックを代表して、やらせて頂いたんですけれども。
たまたま縁がありまして、色々な事をやらさせて頂いています。

--- ピアニストとしての神野さんに質問なのですが、気になるのはやはり練習時間なのですが、一日にどのくらい練習しているのですか?

練習時間は一日4、5時間!
多い時は8時間くらいですね。
それはもう、猛烈なものですよ。

--- 神野さんのピアノというと、音色がきれいだなあという印象を受けるんです。
  
あ、うれしいですねえ!

--- その音色の美しさの秘密はありますか?言葉にしにくいとは思うのですが。

いやあ、もちろん言葉にはならないです。
言葉でできないものをピアノで表現できるというつもりで弾いております。
美しいというのは、良く透った、澄んだ、体全体を使って、その瞬間に全ての心が凝縮されたものが出るというものだと思います。

それとやはり、普段から美しいものに、お花とか風景とか写真とか、絵とかですね、美味しい食べ物とかもそうですけれど、そういうもの、感性を磨いておくというんですかね、心掛けているんです。

それが、音色の美しさという、質問が出る事にもつながるのかもしれないね!

--- わかりました。
それと、演奏というと大勢の方の前で弾かれると思うのですが、
その時の心構えのようなものはありますか?

それはやはり、その時に全ての力が出せるような、コントロール、状態ですね。体調とかもそうですね。
体調もこの年になると、色々と出てきますから、ベストの状態で聴衆の方に聴いていただくという事ですね。

--- 今後の活動の展望や抱負などをお願いします。

今、大学の先生もしていますから、 ピアノを一生懸命にずっと教え続けます。
それと自分の研究テーマが演奏ですから、ピアノ音楽の巨匠でもありますショパンとリストを、今、重点的に、プログラムにも凝ってやっています。

--- では、最後に、いたばしの方に一言お願いします!

この演奏家協会はおかげさまで、23年間もやっております。
これは皆さんのご支援が無いと、とても続くものではないと思っております。
私どもはチームを作って、一生懸命にクラシック音楽の良さというものを皆さんに聴いていただきたいと思っておりますので、
是非、応援をよろしくお願いいたします!!

--- ありがとうございました!


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