音楽する心

登山、ピアノ、クラシック音楽、オーディオ、バイクの話題と懐古的Webサイト収集(転載)サイト。

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最近はレトロ・バイクと言われる。
我が時代では普通だった。
今、そのレトロを楽しむ。
何も足さず、何も引かずに。
ただひたすらノーマルのまま、
カワサキW650で。

同期の桜

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60年代、特攻隊員たちの手記を元にしたテレビドラマがヒットした。テレビドラマは欠かさずに見ていた。一話完結のシリーズだったが、毎回、結末はわかっていた。主人公が死ぬのである。


  同期の桜

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け南の空に
未だ還らぬ一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに散ろうとも
花の都の靖国神社
春の梢に咲いて会おう

戦友

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写真:池田駿介さん、NET「戦友」より藤村一等兵役。1963年10月から1964年3月に放送された、モノクロ1時間もの。中国戦線を舞台に、陸軍歩兵一分隊七人の勇敢な戦いを描いた「戦友」(1964)

主題歌 「戦友」

ここはお国を何百里
はなれて遠き満州の
赤い夕日に照らされて
友は野末の石の下

ああ戦いの最中に
となりにおりし我が友が
にわかにはたと倒れしを
我は思わず駈け寄りて

軍律きびしき中なれど
これが見捨てておかりょうか
「しっかりせよ」と抱き起こし
仮包帯も弾の中

折からおこる突貫に
友はようよう顔あげて
「お国のためだ かまわずに
遅れをとるな」と目に涙

後に心は残れども
残しちゃならぬこの身体
「それじゃ行くよ」と別れしが
永の別れとなったのか

戦い済んで日が暮れて
探しに戻る心では
どうぞ生きていてくれよ
ものなどいえと願うたに

空しく冷えて魂は
国へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと
動いているも情けなや

思えば去年船出して
お国が見えずなった時
玄海灘に手を握り
名を名乗ったが始めにて

それより後は一本の
煙草も二人わけてのみ
ついた手紙も見せ合うて
身の上話くりかえし

肩を抱いては口ぐせに
どうせ命はないものよ
死んだら骨を頼むぞと
言いかわしたる二人仲

思いもよらず我一人
不思議に命ながらえて
赤い夕日の満州に
友の塚穴掘ろうとは

くまなく晴れた月今宵
心しみじみ筆とって
友の最期をこまごまと
親御へ送るこの手紙

筆の運びはつたないが
行燈のかげで親たちの
読まるる心おもいやり
思わずおとす一雫

みなしごハッチ

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みなしごハッチは、タツノコプロによるメルヘンテレビアニメ。正しくは『昆虫物語 みなしごハッチ』(こんちゅうものがたり - )。英題はThe Adventures of Hutch the Honeybee、あるいはHoneybee Hutch。

1970年4月7日から1971年12月28日まで、毎週火曜日午後7時00分〜7時30分の時間帯にフジテレビ系で放送された。全91回。再放送されることが多いため世代を問わず知名度の高いアニメ作品の一つである。近年では、キャラクターグッズも多数発売されている。

放映から19年後の1989年にリメイクされた。リメイク版は1989年7月21日から1990年8月31日まで、毎週金曜日午後5時30分〜6時00分の時間帯に日本テレビ系で放映された。全55回。

●概要
タツノコプロのメルヘンアニメ代表作。タツノコプロは本作以前はどちらかと言うと少年向けと位置づけられる作品を制作していたが、本作でメルヘン路線を開拓した。ストーリー全てを通じて普遍的な母と子の愛情を描いている。

原作・制作者の吉田竜夫は、この作品で1971年に小学館漫画賞を受賞している。

●ストーリー
スズメバチに襲われ母と離れ離れになってしまった主人公ミツバチのハッチがまだ見ぬ母を探して苦難の旅をするストーリー。ハッチがまだ卵の頃にシマコハナバチのおばさんに拾われ育てられていたが、自分がミツバチの子であることを知り、本当の母を探しに旅に出る。ほぼ毎回悪役にいじめられたり、他の虫の死に遭遇するなど子ども向けアニメにしては悲劇的なストーリーが多い。

基本的に鳥やネズミなどの動物や、カエルやトカゲなどの両生類やは虫類、クモやスズメバチ、カマキリなど虫を食べて生きているものは悪役として描かれていることが多い。しかし、中には心優しいものやハッチの仲間になってくれる悪役もいる。人間が登場するときは首から上は見えないように描かれている。人間は環境を破壊したり捕虫したりするなど一貫して悪役として描かれている。

ムーミン

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ムーミン(スウェーデン語 Mumin、フィンランド語 Muumi)は、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンの著作に登場する生き物。ムーミン・シリーズと呼ばれる一連の作品の主人公、あるいは主要な登場人物として登場する。

妖精に似た生き物で、風貌はコビトカバに似ているが、体表面には毛が生えており、直立歩行する。ムーミンは種族名であるが、作中で単に「ムーミン」という場合は主人公の男の子「ムーミン・トロール」のことを指す場合が多い。ムーミン・トロールは、父のムーミンパパや母のムーミンママたちと一緒にムーミン谷に住んでいるとされる。

●ムーミン・シリーズ
ヤンソンは画家でもあり、ムーミンの原型となるキャラクターは小説執筆以前にもたびたび描かれていた。小説として初めて登場するのは1945年にスウェーデン語で著された『小さなトロールと大きな洪水』で、その後ムーミン・シリーズとして知られる計9作品に登場するようになる。

子供向けの作品であるが、小説での雰囲気はけして明るくはなく、不条理な内容も頻繁に登場する。登場人物には哲学的・詩的な発言をするものも多く、子供として描かれているムーミン・トロールには理解できないという描写がしばしば見られる。

漫画としては、1953年からトーベ・ヤンソン自身の作画によってロンドンのイブニング・ニュースに連載が開始された。途中からは実弟のラルス・ヤンソンが描くようになり、1975年まで作品が発表された。

●アニメ
日本においては数回のアニメ化が行われている。初期のアニメ作品(1969年版・1972年版)は世界観が原作とは大きくことなること、またキャラクターがヤンソン自身の挿絵とは大きく異なることなどから、ヤンソンからは難色が示された。このため、日本のスタッフが原作に近いキャラクターデザインに変えて放送を試みたが、視聴者からキャラクターが恐いという意見が出たため、日本国内でのみ放送する言う条件で、挿絵とは違うキャラクターデザインで放送された。この結果、日本では人気をはくしたものの、原作者のヤンソン自身には好まれず、「私のムーミンはノー・カー、ノー・ファイト、ノー・マネーだ」と言って怒ったという。

1979年にポーランドの Film Polsky 社が、26エピソード、全78話のパペットアニメーションを製作している。こちらははじめからトーベ・ヤンソン自身が監修しており、ヤンソンの最もお気に入りの作品とされる。日本語版は初期アニメ版でムーミンを演じた岸田今日子が吹き替えており、ミニシアターやカートゥーンネットワーク、BSフジで上映、放送されている。

1990年に日本で改めてアニメ化された『楽しいムーミン一家』シリーズでは、ヤンソン自身が制作に関わったことで、原作の設定や世界観が反映されるようになり、またキャラクターデザインも原作にほぼ準ずる形で作成された。本作品はフィンランドのテレビでも繰り返し放映され、ムーミンブームを世界中で巻き起こす起爆剤となった。この人気で各種のキャラクタグッズが作られ、テーマパークの「ムーミン・ワールド」がフィンランドに作られた。しかし、ムーミンの権利は現在でもヤンソン一家が持っており、行き過ぎた商業化を避けるために、ディズニーとの契約は断っている。またこの影響から、以前はグッズさえも発売されていなかった。

●1969年版
1969年10月5日〜1970年12月27日、フジテレビ系列にて放送。企画製作は瑞鷹エンタープライズ。アニメーション制作は1〜26話まで東京ムービー(Aプロダクション)。27話以降は虫プロダクションに交代。

なお、放送開始時の新聞広告には『「きみカバちゃん?」「ちがうよ、ぼくムーミンだよ!」北欧のかわいい妖精物語』と広告文が書かれていた。

放送時間帯は日曜日午後7時30分〜8時00分。「カルピスまんが劇場」の第2作である。

子供向け番組枠としての日曜日午後7時30分〜8時00分はTBSが先客であった。1作目「ムーミン」放送開始の同じ日に、実写スポ根ドラマ「サインはV」が始まり「ムーミン」を上回る視聴率と人気を得た。終了後も「アテンションプリーズ」が続いた。しかし当時の識者や大人はむしろ「ムーミン」を好んだ。詩情に満ちた内容や水彩画に近い色調に魅力を感じるというのが通の見方であったが、多くの親にとっては、暴力シーン・残酷シーンなど、当時のアニメや特撮ものなど多くの民放の子供向け番組にあった「教育上悪い」シーンがなく安心して子供に見せられるというのが理由であった。

●1972年版
こちらは視聴率・人気とも好調となった。ルパン三世 (TV第1シリーズ)や超人バロム・1(いずれも日本テレビ系・よみうりテレビ制作)などが主な裏番組となったが、こちらが上回ったようである。

以後、1970年代を通じて盛んに再放送され、周知されるに至った。

●楽しいムーミン一家
1990年4月12日〜1991年10月3日、テレビ東京系列にて放送。製作はテレスクリーン。制作協力はテレイメージ(現:ワコープロ)/ビジュアル80。
同作品は当時のテレビ東京にとってかなりの看板番組だったようで、制作協力のビジュアル80が倒産した後もタイトルに「冒険日記」と付け加えて製作が続けられた。また、湾岸戦争時に他局が報道特番を行う中、同局のみ通常番組として同作品を放送し、結果18.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という高視聴率を得た。なお、一部のテレビ東京系でない放送局でも放送された。

●楽しいムーミン一家 冒険日記
1991年10月10日〜1992年3月26日、テレビ東京系列にて放送。

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