音楽する心

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●キャスト
Kirk Douglas カーク・ダグラス (Captain Matthew Yelland)

●解説
超最新兵器を満載して航行中の原子力攻撃空母が、突然、タイム・スリップに遭遇し、1941年の日本海軍による真珠湾奇襲時のハワイ沖に出没するというSF映画。製作総指揮はリチャード・R・セント・ジョンズ、製作はピーター・ヴィンセント・ダグラス、監督は「オーメン2 ダミアン」のドン・テイラー。トーマス・ハンター、ピーター・パウエルとデイヴィッド・アンブローズの原案を基にデイヴィッド・アンブローズ、ゲーリー・デイビス、トーマス・ハンターとピーター・パウエルが脚色。撮影はヴィクター・J・ケンパー、音楽はジョン・スコット、編集はロバート・K・ランバート、製作デザインはフェルナンド・キャリー、特殊視覚効果はモーリス・バインダー、特殊効果はパツト・エルメンドルフ、ゲイリー・エルメンドルフとジョー・デイが各々担当。出演はカーク・ダグラス、マーティン・シーン、キャサリン・ロス、ジェームズ・ファレンチーノ、チャールズ・ダーニング、ヴィクター・モヒカ、ジェームズ・C・ローレンス、スーン・テック・オー、ジョー・ロウリーなど。日本語版監修は野中重雄。イーストマンカラー、シネマスコープ。1980年作品。

●あらすじ
1980年、ハワイ沖を航行する原子力攻撃空母ニミッツが突如、竜巻の襲来を受ける。真珠湾へ引き返すものの異常な嵐が吹き荒れ、青白い光に飲み込まれてしまう。嵐は収まったものの、奇妙な無線を傍受した為、艦載機のF-14トム・キャットを偵察に向かわせるが、突如零戦が出現し戦闘に突入してしまう。彼らはその時代が1941年12月6日、真珠湾攻撃前日である事を悟る。 そして、歴史に介入するか否か、模索を始める。

恐怖のミイラ

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私は小学生。怖い夢を見るので夜が来るのが怖かった。

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『恐怖のミイラ』(きょうふのミイラ)は日本テレビ系列で1961年7月4日から10月3日まで放送されていた連続テレビ映画である。毎週火曜日の19:30〜20:00に放送された。

この作品は連続テレビ映画としては日本初となる本格的ホラー作品であった。放映当時はあまりの恐怖に失神する視聴者が続出したという。

●あらすじ
大学で法医学を学んでいる野々宮雄作は姉の家へ同居することになる。義兄である姉の夫・板野博士は考古学の権威で、家族にも内緒で助手の牧村と共に研究室に閉じこもって毎晩遅くまで秘密の研究をしていた。その研究とは、エジプトで発掘して持ち帰った古代4000年前のミイラを生き返らせるというものであった。ある夜、ついに二人の研究が完成し、ミイラは蘇生するが、ミイラは博士を殺害して研究所から姿を消した・・・

●恐怖のミイラ
 それにしても、番組のタイトルだけでも、十分に怖い番組なのに、宣弘社プロダクションは、何故、こんなに怖いオープニングのタイトルバックを作ったのでありましょうか。
 気味の悪い音楽を背景に、夜の街をフラフラと歩く包帯姿のミイラの足だけが大写しにされ、カメラが引くとトレンチコートの不気味な影。向かい側から歩いて来た若い女性は、この姿が目に入るや否や、凄まじい叫び声とともに失神して路上に倒れ込む。この後は、レンガの建物の壁に、ミイラの影だけが映され、スタッフや出演者の名前が紹介されるのでありました。

 「恐怖のミイラ」は「快傑ハリマオ」の後番組として、1961(昭和36)年7月から同年10月まで日本テレビ系列で放送されました。

 まず、最初の4枚の画像のうち、左上の、一見、なぎら健壱さんかと思われるような顔をしている人が板野博士でありまして、牧村助手とともに、エジプトで発掘してきたミイラ(左下の画像です)を甦らせるため、その薬の開発研究に打ち込んでおります。この白衣姿や、夥しい数のフラスコやビーカー、試験管などは、後年、私が小学校に入ってから、人体模型が置いてあったこともさることながら、理科準備室に対する謂れのない恐怖感の温床になっていったのではないかというような気もするわけです。

 この“謂れのない恐怖感”ということでは、実は、この板野博士の研究室というのは、洋館風の立派な木造家屋の中にありまして、ドラマの中で出てくる食事シーンは、立派なダイニングルームで、ナイフとフォークを使っていたりしております。また、玄関ホールには、大きなのっぽの古時計という趣きの大時計がありました。

 この板野博士がエジプトで発掘してきたミイラは、ある故事に基づくものでありました。
 4000年前のエジプトにいたパトラという美しい王女は、チリサという学者に不老不死の薬を作るよう命じ、チリサは「永遠のねむりぐすり」とそれを覚ます薬の開発に成功します。
 しかし、王女は、その完成した薬を実際に飲む前に、チリサに自分で飲んでみるよう迫り、チリサがためらっていると、チリサの息子でパトラ王女に思いを寄せていたラムセスという若者が、その薬を一息で飲み干したところ、顔や体が醜い姿に変わりはじめ、ラムセスは苦しみながら、その場に倒れ込んでしまいます。

 驚いた父親のチリサは、手にもっていた元に戻す薬の入ったビンを落して割ってしまい、開発に十年もかかった薬と息子を一瞬にして失ってしまったチリサは発狂して死に、息子ラムセスは、父の研究記録とともにミイラとして葬られました。
 つまり、板村博士がエジプトで発掘してきたミイラとは、実は、古代エジプトの学者チリサの息子・ラムセスであり、板村博士の研究とは、そのラムサスを元に戻す薬の開発だったのです。
 板村博士の一人娘であるなぎさ(左の4枚の画像のうち、右下の画像の左側の女性)は、古代エジプト王女・パトラと生き写しであり、このドラマの展開上、非常に重要な役割を果たしていくことになります。テレビドラマの中では、古代エジプトの回想場面では、板村博士の一人娘・なぎさ役だった三條魔子が、そのまま、パトラ王女役も演じておりました。

そして、ある晩、ついに、板村博士と牧村助手は、ミイラを元に戻す薬の開発に成功します。
 板村博士は、牧村助手とともに、完成した薬を注射器に入れ、ミイラの腕から薬を注入しますが、ミイラの体に変化は生じませんでした。
 呆然とする板村博士を尻目に、モノに憑かれたかのような牧村助手は、ミイラの顔面の包帯を緩め、フラスコからミイラの口に直接、薬の液体を注ぎ込んだのでありました。
 すると、どうでありましょう。
 ミイラは4000年の眠りから覚め、包帯ががんじがらめになっている体を少しずつ、動かし始めるではありませんか。
 さらに、表情を変えた牧村助手は、さらに、ミイラの口から溢れんばかりに、薬の液体を、続けて注いでいったのであります。
 しかし、4000年の眠りから覚めたラムセスは、単なる殺人鬼と化し、まず、研究室で板村博士を絞殺してしまいます。
 牧村助手は、何とか、墓場の奥の洞穴に、一旦は、恐怖のミイラを閉じ込めることに成功しますが、その後、板村博士同様に絞殺され、ミイラは街中へとさまよい歩きだしていくのでした。
 街へ逃げ出したミイラを捕らえようとする警察との戦いなどが繰り広げられますが、超人的な力を備えたミイラは、警察の力ではどうしようもありませんでした。
 そんなミイラにも、ただ、一つ弱点がありました。
 それは、薬です。板野博士の研究室から持ち出した薬を飲むことによって、ミイラはその活動を維持できたのです。

 ある時、金庫破りのギャングの一味に仲間と間違えられた後、ギャング一味との争いになり、その過程で唯一の活力源である薬のビンをミイラは割られてしまいます。
 たまたま、ミイラに虜とされていた板野博士の一人娘・なぎさは、父の友人の小泉博士に手紙を出して同じ薬を作ってもらいますが、最後には、「薬を飲んで世間から攻撃を受けながら生きるよりは、あなたはこの世界を去って、昔の…」というなぎさの訴えをミイラは聞きいれ、薬を飲まずに息絶える、というのが、このドラマのエンディングでありました。

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トラ・トラ・トラ

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学習雑誌「中○時代」に撮影風景が特集されていた。
テレビで見たが、日米合作に無理を感じた。
どちらも立たずといったところ。
日米で画面の色彩感が異なるのは何故か?
日本の制作部分は暗い。(昼間のシーンでも)
アメリカ制作部分は、いつものハリウッドカラーだ。(明るくハイカラ画面)

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『トラ・トラ・トラ!』 (TORA!TORA!TORA!) は1970年に公開された、1941年の日本軍による真珠湾攻撃を題材とする日米共同で制作された戦争映画である。

●概要
当初、日本側の監督を黒澤明が務めることとなっていたが、撮影開始直後に降板した。理由は、「黒澤の精神的病気」と発表されたが、アメリカ側の制作会社である20世紀フォックスとの撮影方針をめぐる対立からという見方が一般的。一説には、黒澤の映画に対するこだわりから、倍額の予算が無ければこの映画は撮れないと主張したからだと言われている。また20世紀フォックスと交わした契約書の中に「製作途中で放棄したりオーバーした予算は黒澤側が払う」という条項があったが、「予測できない事態が起こった場合は保険会社の支払対象になる」という条項もあったため、黒澤を無理やり病気に仕立てたとの説もある。

日本側の監督は舛田利雄と深作欣二(クレジット上は共同監督だが、深作が担当したのは特撮合成が必要となる戦闘機のコクピットシーンのみで実質的にはB班監督)に交代した。このため、以後日本では黒澤が「気難しい完全主義者」であるというイメージが強くなったともされる。アメリカ側の監督はドキュメンタリー映画出身で「ミクロの決死圏」「海底2万マイル」のリチャード・フライシャー。

日米双方の立場を公平かつリアルに描いていることから高い評価を受けた。また、同じ史実を題材にした映画に、2001年公開作品の『パール・ハーバー』があるが、こちらはその歪曲した捉え方や歴史考証の矛盾により酷評だらけの散々な結果に終わる。だが、それがかえって『トラ・トラ・トラ!』が再評価されることともなった。なお、日本側の部分の脚本の大半は黒澤明の執筆のものがそのまま使われたが、黒澤の強い要望による製作会社側との協定で、本編では一切黒澤のクレジットはでなかった。

●スタッフ
山本五十六連合艦隊司令長官:山村聰
源田実海軍少佐:三橋達也
南雲忠一海軍中将:東野英治郎
淵田美津雄海軍少佐:田村高廣

●ストーリー
1939年9月1日、山本五十六中将(山村聡)の連合艦隊司令長官の就任式が、瀬戸内海に停泊中の、「長門」艦上でおこなわれた。それから1週間とたたないうちに、時の首相近衛公爵(千田是也)が閣議を開き、アメリカの日本に対する経済封鎖を討議し、それに対して陸相東条英機(内田朝雄)は、アメリカへの攻撃を進言。41年1月24日、ワシントンの海軍情報部は日本の暗号無電を解読し、事態の容易ならないことを察知した。そして、ルーズベルト大統領は新たにキンメル提督(マーティン・バルサム)を太平洋艦隊司令長官に任命、日本の動勢に備えようとした。41年2月、山本長官は第1航空隊の大西参謀(安部徹)から真珠湾攻撃の参考意見を聞き、空母「赤城」の名パイロット源田中佐(三橋達也)の名を知った。そのころ真珠湾では、航空隊のベリンジャー中将(エドモン・ライアン)が、キンメルに日本の真珠湾攻撃の可能性を説いていた。41年4月24日、野村駐米大使(島田正吾)はハル国務長官(ジョージ・マクレディ)と、緊迫した両国の関係を打開しようとしたが、ハルゼイ中将(ジェームズ・ウィットモア)等、海軍側の強硬意見にあい、実を結ばなかった。やがて両国間の通商条約は破棄され、スターク海軍作戦部長(エドワード・アンドリュース)は、ハワイを非常時態勢下においた。そのハワイでは、日本のスパイ吉川猛夫(マコ)が、情報収集のため暗躍していた。41年10月、東条英機が陸相兼首相となり、軍部の権力は頂点に達した。一方、アメリカ側の情報部は、真珠湾攻撃の決行日を想定し、スチムソン陸軍長官(ジョセフ・コットン)は大統領にそれを伝えることを約し、またマーシャル大将(キース・アンデス)もハワイのショート将軍(ジェイソン・ロバーズ)やキンメル提督に、警告を発していた。12月2日、ハワイへ向け進航中の、南雲司令官(東野英治郎)の第一航空艦隊は、山本長官から「ニイタカヤマノボレ」という暗号を電受した。いよいよ真珠湾攻撃の時が来た。12月7日、東郷外相(野々村潔)は駐日大使の天皇拝謁を助け、局面打開を求めたが、道はすでにふさがれていた。翌12月8日未明、遂に南雲中将の率いる機動部隊は、オアフ島北方から真珠湾に迫り、午前7時57分、淵田少佐(田村高広)を先頭とする戦隊が、空から敵地へ突っこんで行った。真珠湾攻撃は見事な成功をおさめ、「赤城」からは、作戦成功を伝える暗号が打電されていた。「トラ・トラ・トラ!」。

連合艦隊〜1981

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大きな劇場で鑑賞した。
ニューフェイスの中井貴一がブ男だった。
永島敏行が言い残す「綺麗なままにしておいた」という言葉が頭に残る。

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『連合艦隊』(れんごうかんたい)は、1981年(昭和56年)8月8日に劇場公開された、東宝製作の特撮戦争映画。真珠湾攻撃前年の日独伊三国軍事同盟の締結から戦艦大和の最期までの太平洋戦争における日本海軍連合艦隊の興亡を、2つの家族のドラマを中心にして描いた作品である。

劇場公開時の配給収入は約19億円(興行収入に換算すると28.5億円)で、1981年に公開された日本映画(同年12月に1982年の正月映画として公開された、薬師丸ひろ子主演の角川映画『セーラー服と機関銃』を除く)の中では、配給収入(興行収入)・興行動員数ともに最高(第1位)を記録した。

●解説
太平洋戦争を背景に、そこに生きた人々の愛、悲しみ、苦闘、怒りを描く。脚本は「どんぐりッ子」の須崎勝弥、監督は「関白宣言」の松林宗恵、撮影は「トラブルマン 笑うと殺すゾ」の加藤雄大、特技監督は「地震列島」の中野昭慶がそれぞれ担当。


●あらすじ
昭和十五年。考古学者本郷直樹は次男の真二が自分と同じく学問の道を志すことを喜んでいた。兄の英一は父の意に反して海軍少尉になっていた。一方、船大工の小田切武市は一人息子の正人が海軍兵学校に合格したので有頂点になっていた。十八年間海軍に勤めても下士官止りの武市は正人の将来は約束されたと信じて疑わなかった。一年が過ぎた。世界情勢は日毎に緊迫の色を強め、戦争の予感は現実のものになろうとしていた。昭和十六年十二月八日、早期和平を強調する山本五十六のもとで、連合艦隊は、ハワイ真珠湾に奇襲をかけた。次々と炎上する米海軍の戦艦群を、英一は興奮の面持ちで見つめていた。その頃、五年の歳月と建艦技術の粋を集めた空前総後の巨艦、大和が完成した。山本はアメリカに時間を与えず、早期和平に持ち込もうと、ミッドウェイ作戦に賭けた。しかし、作戦は失敗に終り、戦局は消耗戦へと展開していった。数々の戦闘を体験している英一は、死を覚悟し、婚約者の陽子と式を挙げたが、指一本触れずに戦場へもどった。やがて大学生の真二も召集され兵学校を卒業した正人も武市の意に反して零戦に乗る決意をしていた。日本軍は劣勢に回り、起死回生のレイテ作戦に出た。英一は戦場で真二と出会った。陽子への仕打ちをなじる真二に「陽子を頼む」と遺書を残して英一は大空に散った。英一の残したライフ・ジャケットのために沈む船から脱出した真二は、生きる喜びをあらためて知り、陽子と生きようと陸上勤務を志願するが、大和への転属を命ぜられる。死を目前にして真二は陽子を抱けなかった兄の気持を初めて理解した。陽子は逆だった。愛する人に抱かれたい。陽子は真二に激しく体をぶつけるのだった。同じ頃、正人は特攻を志願していた。武市は息子の出世に固執し兵学校へ行かせた己の浅薄さを呪い戦争の恐しさを痛感した。戦況は挽回の余地もない所まで来ていた。そしてついに、最後の切札、大和の沖縄への水上特攻が計画されるに至った。大和は出撃した。真二も正人もその中にいた。そして、陽子、武市、多くの肉親を残して、大和艦上の戦士たちはその命を沈めていった。

●キャスト
永島敏行 ナガシマトシユキ (本郷英一)
金田賢一 カネダケンイチ (本郷真二)
中井貴一 ナカイキイチ (小田切正人)
財津一郎 ザイツイチロウ (小田切武市)
古手川祐子 コテガワユウコ (早瀬陽子)

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