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神野 明 先生 その2

今、聞いている『ツェルニー50番』の演奏者の神野 明先生について調べて見ました。その2。

「コンビニ作曲家MIC」こと猪間道明の個人ホームページ より
神野明先生の参考になる記事を発見

http://www005.upp.so-net.ne.jp/micin/ese/ese18.htm


18.演奏という場

 「レコードなんて代物はね君、あれはウンコみたいなものだよ」
 学生の時、ピアノを習っていた先生が、ある時そんなことを言った。
 私のプロフィールには先生の名前がたいてい載るから、実名を隠しても仕方がない。「題名のない音楽会」などにしばしば出演しているピアニストの神野明である。
 私が2年生の時に芸大の非常勤講師となられて、その年の副科ピアノのクラス分けで先生のクラスとなり、以後卒業まで3年間ピアノを師事しただけでなく、その後もかなり親しくおつき合いいただいている。
 師事したと言っても、副科のレッスンなど週に20分ほどのもので、しかも休暇のやたら多い学校ではあり、そんなにみっちり教えられたというわけでもない。その3年間で私のピアノがどれくらい上達したかもわれながら定かでなく、正面切って神野明の弟子ですと名乗ることには少々気後れを覚えなくもない。
 しかし、常に日本中から招聘を受けて忙しく飛び回り、演奏をしたことのない都道府県はほとんどないというほどの現役バリバリの先生について、現場からの感触というものを問わず語りにお聞きすることができたのは、私の幸せであったと思っている。

 最初のレッスンの時、先生は私に、
「君は、ひとつの曲をじっくり仕上げるのが好きかね、それともいろんな曲に手をつけるのが好きかね」
と訊ねられた。
 のっけからこんな質問をするピアノの先生は珍しい。1年生の時に習っていた先生(この人も大変高名なピアニストであったが)は、ひとつの曲にかかると何ヶ月もそればかり続けたのである。私は飽きっぽいたちなのでいい加減うんざりした。それだけじっくりと1曲を叩き込まれたわりに、試験の成績はかなり不本意なものであった。
 そんな経験もあるし、私は昔から、いろんな曲、できるだけ知らない曲を弾くのが好きで、受験までついていた先生から与えられる課題曲とは別に、楽譜屋へ行っては妙な楽譜を買ってきては勝手に弾いていた。おかげで課題曲の練習はすっかりおろそかになるのが常であった。
 だから私は迷わず、
「いろんな曲に手をつけるのが好きです」
と答えた。
 神野先生は、うなづいて言った。
「じゃあ、そういう方針で行くとしよう」

 それから3年間、試験のために学校から課される課題曲は別として、私は実にいろんな曲をレッスンに持って行った。
 この曲は先生も知らないだろう、と思われるようなのを探し出しては練習して、持ってゆくのである。中には中国の作曲家の作品なんてのもあった。3年生の時に中国旅行をしたので、その旅先で買ってきた楽譜だったのである。
 先生の方も面白がって、たまに知っている曲だったりすると、
「お、これなら知ってるぞ」
と、得意そうに言われた。
 知られていないわけではないが、まあ普通の人はあんまり弾かない、ショパンの第1番のソナタとか、ベートーヴェンの2つの前奏曲などもレッスンして貰った。
 たいてい2週間くらいで1曲を上げていたようだ。最初の週に私が弾いて、アドヴァイスを貰い、それを念頭に置いて翌週もう一度弾き、それでおしまいということが多かった。演奏技術を深めるという点では甚だ不徹底なレッスンではあったが、何やらゲームをやっているようでもあり、練習にも身が入ったのは事実である。
 実際の話、あれほどじっくり同じ曲を弾き込まされた1年生の時の試験より、先生にレッスンを受け始めた2年生以降の試験の方が、成績も上がっていたのだった。

 先生の演奏について私が批評がましいことを言うような立場にはないが、正確な演奏という点では、どうかと思うことがないでもない。演奏会を聴きに行っても、時折
 ──あれ?
 と首を傾げることがある。具体例は憚るが、曲の一部を不本意的にカットなさったこともあれば、左手がすっかり真っ白になっておられたこともあるのである。ミスタッチも決して少なくはない。
 が、そういう瑕瑾を超えて、なんだかわからないが納得させられてしまうところが先生の演奏の真骨頂らしい。説得力のある演奏、ということの大事さを学ばせて貰っている。

 演奏会場というのは、言うまでもなく舞台・演奏家と客席・聴衆とのコミュニケーションの場である。
 歌い手などはそのことをよくわかっている人が多いが、ピアニストとなると、客席が直接視界に入らない横向きの体勢で演奏するせいか、ともすれば客の存在を忘れた演奏になりがちである。少なくとも、自分がピアノを弾いているというそのことが、客席との対話なのだということを明確に意識している人はそう多くない。
 神野先生は、そのあたりをとても大事になさっているのである。
 曲の「決め」のような部分で、からだをどちらへ向けるかなどということまで計算している。計算と言うよりも本能と言うべきことかもしれない。客席に背中を向けるような静止の仕方をするべきではないと、レッスンでも言われたことがある。
 演奏会とは、ただ演奏者の発する音を聴くだけの場ではない。演奏者の動きを見、息づかいを感じることにより、客席も共にひとつのフィールドを形作ってゆくべき相互作用の場なのだ。
 ツィメルマンのリサイタルを聴いた時に、一流の演奏家というのは客席の呼吸を支配できるものなのだなと感心したことがあるが、逆に言えば客席の呼吸を感じてそれに応えてゆくというのも、演奏家の大切な心得に違いない。
 とにかく、舞台の上下が一体となって一晩の感動を作って行くのが演奏会なのであって、そういう意味ではどれほど時が経っても、科学力が進んでも、ナマの演奏会というものが廃れることはあり得まいし、その感動が薄れるということもあり得ないだろうと私は考えている。

 「レコードなんて代物はね君、あれはウンコみたいなものだよ」
冒頭に書いたこのセリフは、そういう演奏の場で活躍し続けておられる先生にとってみれば、当然の感慨であっただろう。
 世のオーディオマニアが激怒しそうな言葉ではあるし、私もはじめてその言葉を聞いたときは唖然として、
「はあ……ウンコ……ですか……?」
と問い返したものだったが、先生の言わんとすることはよくわかるような気がした。
 先生にとっては、会場に集まった聴客たちとの一期一会の出逢い、彼らと共に作った何時間かの感動の共有が大切なのであって、それを録音するなどということは余分のことであり、録音の結果できてきたレコード(CD)などというものは、いちばん大切な部分を切り捨てた、まさに排泄物のようなものに過ぎないのである。
 確かに、上に書いたような
 ──あれ?
 と思ってしまった演奏を、もし録音してあとで聴けば、そこばかりがひどく気になって、いちばん大事な演奏の説得力の部分が感じられなくなるだろうということは容易に想像がつく。

 現場で活動している音楽家には、意外とオーディオマニアがいない。というより両者は全く重ならないのではないかと思うくらいである。
 「オーディオのことはよくわかんないや。CDなんか自分がやるための参考程度に聴くだけだし」
という人が多く、私もまったくその通りである。現場の人間には、レコード=排泄物という考え方が、多かれ少なかれ共通してあるように思われる。

 学校を卒業してから、先生に技術的指導を受けることはなくなったが、音楽家としてもっと大切なことをいろいろと教わっている。本当はそういうところにこそレッスン料を払うべきなのだが、しばしば酒の席であるとか、先生と私が共に関係している音楽団体の親睦旅行の席であるとか、そうした場で語られるさまざまなことに、学ぶことは多いのである。
 神野明の今年のリサイタルは、9月10日(金)午後7時から、四谷の紀尾井ホールで開催される。今年(1999)はショパンの没後150年ということで、ショパンの作品を大体年代順に並べたプログラムとなっている。間もなくであり、楽しみにしている。

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今、聞いている『ツェルニー50番』の演奏者の神野 明先生について調べて見ました。

http://www.itabashi-life.com/backnumber/person2/index.php

上記、記事が削除される前に、以下にメモっておきます。

板橋区演奏家協会会長 神野 明さん

独自の美しい音色
板橋区民に広く親しまれているピアニスト


板橋区に存在する、クラシック音楽の演奏家集団。
それが、板橋区演奏家協会です。いろいろな分野の人々で構成されている、演奏家協会の会長であり、様々なコンサートで、美しいピアノ、楽しいお話で親しまれている、神野明さんからお話をお伺いしました。


--- 生い立ちからおききしたいのですが、どのようなところでお生まれになったのですか??

私の生まれは、愛知県の刈谷市というところです。
トヨタ自動車の部品を作っている、トヨタ十社の内の7社があるんです、刈谷市に。
あまり皆さん知らないのだけれど、

--- ええ。

ですから、日本電装とか、トヨタ車体とかトヨタ工機とか、そういう会社がある町なんですよ。

--- そうだったんですかあ。

そこで、まあ、工業都市ですよね。
そこで生まれて、中学校までそこにいました。

--- 具体的にはどのような環境だったのでしょうか?

そうですね、
当時、私がピアノというか楽器を始めた時代と言うのは、 ピアノを持っている人が刈谷市に3人ぐらいしかいないという時代で、ですから私の家にも当然ないので、
小学校のピアノを借りて、それで練習をしました。
そういう環境でした。
  
ですから先生が、特に校長先生ですね、ものすごく理解があって、もう君は、授業の始まる前にピアノを弾いていいから。
という事で、お許しを得て、それで私は親よりも早く起きて行って、学校のピアノを使って練習していました。
そういう時代がありました。

--- 高校時代にはもう、音楽の道に進まれていたのですか?

高校は、愛知県の豊橋市の桜ヶ丘高校に音楽科がありまして、完全に音楽だけの生活を送っていました。

--- そうだったのですかあ。

刈谷から出まして、豊橋市に下宿していました。
寮とか下宿とかですね。

--- それで、東京芸大に進まれたのですね? ピアノ一色ですね!

ええ、そうですね。

--- 板橋区に住まれたというのは、いつ頃からなのでしょうか?

板橋区には、大学を卒業して一年後でしょうか?
千葉県の松戸という所に住んでいまして、そこから板橋の方にたまたま、ピアノが弾けるという住まいが見つかったんです。
ピアノと言うのは、やはり音の出るものなので、色々と近所迷惑などがありますから、それをクリアーしているところで。

たまたま私の学生時代の後輩にあたる人が、そういう部屋を作られたので、そこに、昔の学生の時の仲間と一緒に住み着いたんです。
そこが・・・常盤台!

--- 常盤台!東武東上線ですね!

東武東上線の常盤台。まさに板橋区です。
もうそこに、ずっと。20年以上!

--- そこから動かれてはいないのですか?

動いてはいるのですけれど、勉強と仕事と、色々とやっていて、しかも結婚したり外国に行ったりもしてましたので、ちょこちょことは変わったのですが、一応20年位はそこにピアノを置いていました。
練習をしたり、仕事をしたりしてね。

--- では、音楽仲間と一緒に生活されていたのですねえ・・・

ええ。
そこはピアノの弾けるところですので、みんなピアノを朝から晩まで練習して、夜になると一緒に常盤台のお寿司屋さんに行ったりですね、そういうところで後輩ピアニストと一緒に、みんな男性ですけれど、よく飲んだり食べたりしましたね。
 
--- そのようないたばしの生活で、忘れられない人などはおられますか?

はい、常盤台の人はみな、もう、忘れられないですね!
あの南常盤台通りのお寿司屋さんとか、居酒屋さんとか、それから布団屋さん、レストラン、パン屋さん。
みなさんと知り合いになっちゃっています。笑
   
--- いたばしで、この光景は忘れられないな。というものはありますか?

そうですねえ・・・
あの、常盤台のロータリーの風景というのは、なかなか田園調布に似ているというか。
銀行が変わったりしましたけれども。

--- そして、演奏家協会を昭和58年に立ち上げられもしたんですね?文化会館が大山に出来て。

その時、文化会館のホールにピアノを入れないといけないと言う事で、ピアノを選ぶと言う仕事を頼まれまして。
大山の文化会館の大ホールと、小ホールと、それから練習室のピアノ5台ですね。

--- ピアノというと、スタインウェイなどですか?

ええ、スタインウェイとヤマハですね、その両者に行って5台選んで来まして、その時のご縁で演奏家協会を任されたんです。

最初はいたばしの芸術、芸能関係の人がみんな集まって、こけら落としをしたりしたんです。

--- なるほど・・・

私もクラシックを代表して、やらせて頂いたんですけれども。
たまたま縁がありまして、色々な事をやらさせて頂いています。

--- ピアニストとしての神野さんに質問なのですが、気になるのはやはり練習時間なのですが、一日にどのくらい練習しているのですか?

練習時間は一日4、5時間!
多い時は8時間くらいですね。
それはもう、猛烈なものですよ。

--- 神野さんのピアノというと、音色がきれいだなあという印象を受けるんです。
  
あ、うれしいですねえ!

--- その音色の美しさの秘密はありますか?言葉にしにくいとは思うのですが。

いやあ、もちろん言葉にはならないです。
言葉でできないものをピアノで表現できるというつもりで弾いております。
美しいというのは、良く透った、澄んだ、体全体を使って、その瞬間に全ての心が凝縮されたものが出るというものだと思います。

それとやはり、普段から美しいものに、お花とか風景とか写真とか、絵とかですね、美味しい食べ物とかもそうですけれど、そういうもの、感性を磨いておくというんですかね、心掛けているんです。

それが、音色の美しさという、質問が出る事にもつながるのかもしれないね!

--- わかりました。
それと、演奏というと大勢の方の前で弾かれると思うのですが、
その時の心構えのようなものはありますか?

それはやはり、その時に全ての力が出せるような、コントロール、状態ですね。体調とかもそうですね。
体調もこの年になると、色々と出てきますから、ベストの状態で聴衆の方に聴いていただくという事ですね。

--- 今後の活動の展望や抱負などをお願いします。

今、大学の先生もしていますから、 ピアノを一生懸命にずっと教え続けます。
それと自分の研究テーマが演奏ですから、ピアノ音楽の巨匠でもありますショパンとリストを、今、重点的に、プログラムにも凝ってやっています。

--- では、最後に、いたばしの方に一言お願いします!

この演奏家協会はおかげさまで、23年間もやっております。
これは皆さんのご支援が無いと、とても続くものではないと思っております。
私どもはチームを作って、一生懸命にクラシック音楽の良さというものを皆さんに聴いていただきたいと思っておりますので、
是非、応援をよろしくお願いいたします!!

--- ありがとうございました!

第22回ピアノ発表会

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昨日、第22回ピアノ発表会を行いました。
今回は妻の生徒のほか、長女の生徒も数名加わりました。

私も過去3回出演。

次回(1年半先)は頑張って一曲仕上げ、発表したい
何となく、シューマンのパピヨンでも弾いてみようかと、ふと思うが

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ピアノ発表会が近づいてきた
大きくなった音楽室で、ピアノの蓋を大きく開けてのリハーサルが毎日続く
ピアノの音も、オーディオの音も大きな空間に豊かに広がる

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連弾兄弟デュオ、Les Freresがピアニスト史上最高のデビュー!

 ピアノ連弾兄弟デュオとして話題となっていた、Les Freres(レ・フレール)がピアニスト史上最高のデビューを飾った。8日(水)発売のデビューアルバム『ピアノ・ブレイカー』が今週、18位に初登場(初動売上0.8万枚)。1999/11/29付にフジ子・ヘミング『奇蹟のカンパネラ』(1999年8月発売)が記録した、これまでのピアニストのデビュー作の歴代最高位21位を、7年ぶりに塗り替え、史上初となるTOP20入りを果たした。

 Les Freresは、兄・斎藤守也と弟・圭土の2人組で、2002年に結成。通常より鍵(けん)が多い1台のピアノを2人で連弾演奏する独特のスタイルが話題となり、CX系『とくダネ!』『笑っていいとも』をはじめとする、数々の番組でも紹介されていた。


Anime de Quatre-Mains-アニメ・ド・キャトルマン-
~ Les Freres

CD (2006/9/6)

曲目リスト
1. ブギー・マウス
2. スパイダーマン
3. ポパイ・ザ・セーラーマン
4. おしえて
5. 草原のマルコ
6. よあけの道
7. 遠い日々
8. もののけ姫
9. いつも何度でも
10. ルパン三世のテーマ
11. ルパン三世主題歌2
12. クマのプーサン
13. イッツ・ア・ブギー・ワールド
14. クラブ・イクスピアリ
15. 星に願いを

激しく、熱く、そして美しい"レ・フレール"という新しいピアノの形。
横須賀出身、ピアノブギーを連弾表現する兄弟"レ・フレール"。「題名のない音楽会21」に出演以来、話題沸騰、コンサートはソールドアウト、出演依頼も引きをきらないほどの人気。今回、そんな「レ・フレール」と、日本の文化「アニメ」との新感覚コラボレーションが実現しました。クラブイクスピアリの強力サポートを得て「クラブイクスピアリ・メドレー」を収録。'06年9月10日東京・紀尾井ホールでの発売記念コンサートも売り切れ寸前!無限大に羽ばたく彼らのプレ・メジャーデビューアルバムです!

【アーティストについて】
斎藤守也と圭土の兄弟によるピアノデュオ。"4手連弾"という、1台のピアノの鍵盤を4本の腕が変幻自在に動く迫力ある奏法が魅力。

Les Freres Official Site -公式ページ。プロフィール、ライブ情報、活動状況をつづったブログ等。
斎藤 守也(さいとう もりや、1973年11月5日 - )は、神奈川県横須賀市出身のピアニスト。兄弟ピアノデュオ「レ・フレール」のメンバー。7人兄妹の3番目(長男)。
2002年9月3日、兄弟ピアノユニット「レ・フレール」を結成。「キャトルマンスタイル」という独特な奏法(一台4手)で活動中である。バラードを得意とするピアニストである。
斎藤 圭土(さいとう けいと、1978年11月18日 - )は、神奈川県横須賀市出身のピアニスト。兄弟ピアノデュオ「レ・フレール」のメンバー。7人兄妹の5番目(次男)。
6歳の時、横須賀市内の音楽教室でピアノを習い始める。中学卒業後、兄・斎藤守也と同じルクセンブルク国立音楽学校へ留学。独学でブギーピアノを始め2000年春にはドイツの国際的ブギーピアニストであるアクセル・ツヴィンゲンベルガーと共演する。帰国後はブギーピアノを日本に広めるため多方面で活動。
2006年春、ドイツで行われた「International Boogie Woogie Festival」に日本人として初めて出演し、高く評価される。世界的に認められている日本で数少ないブギウギ・ピアニスト。

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