音楽する心

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懐かしのドラマ

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姿三四郎

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歌がよかった。
強い。柔道。そういうものに憧れました。

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 私の小学生時代、柔道マンガは少年雑誌において根強い人気があった。代表作品といえば、「冒険王」に連載されていた福井英一の『イガグリくん』である。1954年に福井英一は亡くなっているので、私が読んでいたのは有川旭一の手によるものだった。イガグリくんの必殺技“ともえ投げ”のマネをして、布団を投げ飛ばしたものである。お袋には怒られたけどね。
 「少年画報」に連載されていた下山長平の『イナズマ君』も、坊主頭に学生服というイガグリくんと似たようなキャラクターで記憶に残っている。

 マンガの世界では数多くの柔道ものがあったが、テレビで最初にヒットした柔道ドラマというのは、1962年12月からスタートした『柔道一代』だろう。
 柔術を近代スポーツの柔道にした嘉納治五郎と、西郷四郎、富田常次郎、山下義韶、横山作次郎の講道館四天王をモデルにした、柔道の普及に青春をかけるスポーツドラマ。ドラマは名でなく、嘉納が真野に、四天王も郷、宮田、山上、横川となっていた。柔術対柔道の対立を軸に、師弟愛に、恋と友情を絡めたドラマ作りはありふれたものだが、逆に安心感があった。
 主演の真野役には、新東宝の傍役だった御木本伸介。四天王が、高島新太郎、黒丸良、宇南山宏、友田輝と、地味な俳優ばかり。真野のライバルである柔術家の柘植正作は、洋風スタイルでカッコよかったなあ。

人に勝つより 自分に勝てと
云われた言葉が 胸にしむ
つらい修行と 弱音を吐くな
月が笑うぞ 三四郎

 これは『姿三四郎』の主題歌である。1963年11月からスタートした『姿三四郎』は、私の高校受験期にあたり、村田英雄が歌う主題歌は、私の愛唱歌となった。
 ちなみに、村田英雄は『柔道一代』の主題歌も唄っている。

 主演は倉丘伸太郎。眉毛が太く、地方出身の武骨で朴訥な青年のキャラクターに似合っていた。宿敵・檜垣源之助の内田良平は、武術家の雰囲気はあるのだが、源之助のひねた性格が出ていなかった。乙美は佐治多恵子。隆昌寺の和尚が曾我廼家明蝶。東京の坊主なのに大阪弁を使っていた。だけど、三四郎を諭す人生の師として違和感はなかったよ。柔道の師である矢野正五郎は誰だっけ。思い出せないなあ。

 原作は、講道館四天王のひとりである富田常次郎を父に持つ富田常雄。主人公の三四郎は、西郷四郎をモデルにしたといわれている。
 さらに富田常雄は、若き日の矢野正五郎を主人公にした『柔』も書いており、これもテレビ化されている。この時、矢野正五郎を演じたのは平井昌一。美空ひばりの歌った主題歌が大ヒットしたんだよ。

てなもんや三度笠

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 チンピラやくざのあんかけ時次郎と、小生意気な小坊主の珍念が繰り広げる『てなもんや三度笠』は、大阪64.8%、東京42.9%という驚異的な視聴率をマークした。
 全国的には当時無名だった藤田まことは、当初は主役というよりもゲスト・コメディアンのドタバタ芸をいかすための司会者的であったが、有名コメディアンにぶつかっていくことにより、やがて藤田まこと自身が人気コメディアンとなった。
 『てなもんや三度笠』の面白さは、時次郎・珍念のコンビが、単にノッポとチビというだけでなく、ボードビリアンとして一流の芸を持っていたことにある。
 “〜スットン トロリコ スチャラカ チャンチャン……〜”と歌いながら登場するミュージカル風のノリや、ノッポの藤田まことがチビの白木みのるを抱いた瞬間から、会話が腹話術のようになるギャグなど、既存の漫才師にはないものだった。香川登志緒の台本と澤田隆治の演出に、ふたりが応えられるだけの技術を持っていたのだ。

 「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー」のCMで『てなもんや三度笠』は始まる。この時、時次郎にやられる相手役は、的場徹という当番組の殺陣師だった。
 後に、コメディアンの原哲夫に代わったけどね。


 この番組で大阪のお笑いタレントが縦横無尽に活躍する。真っ先に思い出すのが、平参平だ。
 足カックンの動きのギャグで大いに笑わせた。転倒した後、チンバをひいて歩き、膝頭を手でポンと叩くと足が治るというやつである。
 両手で胸をつまみ、「イヤーン イヤーン」とやるルーキー新一も忘れられない。
 茶川一郎の「バーカめ」も学校でよくマネをしたギャグだ。
 しかし、何といっても極めつけは、蛇口一角なる怪浪人を演じた財津一郎である。
 「……チョウダイ!」「……ひじょうにサミシイ!」などのギャグは、たちまち流行語になった。

図々しい奴

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城を失った家系の若に、個人で城を造ることを告げるシーンを覚えている。
若は、「お前、本当にそんな馬鹿げたことを考えていたのか」と・・・。
この時代錯誤も甚だしい事を目標に、頑張ってきたのが主人公でした。


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 “頭はわるいし 金もない。だけど、オイラは幸せさ……”と、ヤケのヤンパチ気味にこの歌を唄うのは、たいてい学校のテストが悪かった時だった。谷啓の唄う『図々しい奴』の主題歌は、いい点の時よりも、悪い時の方が多い私たち悪ガキにとって、テーマ曲みたいなもの。しょっちゅう歌っていたので、今でも歌詞カードなしで歌える。
 1964年の6月から放送開始された『図々しい奴』は、柴田錬三郎の原作で、この番組の最終回には作者自らが本人役でゲスト出演していた。
 馬小屋で生まれたので、キリストにちなんで切人と名付けられた主人公が、持ち前の図々しさと行動力で、事業家として成功するまでの半生を描いた出世ドラマ。極貧の身から、個人で城を造るほどの資産家になるという、まさにジャパニーズドリームのドラマだった。
 最高視聴率45.1%を記録するヒットとなり、瀬川昌治監督、谷啓主演で64年に東映で映画化された。テレビでの主演は、大映の大部屋俳優だった丸井太郎。この番組で一躍人気俳優となったが、その後は低迷し、後年自殺する。思わぬ人気が裏目に出た悲劇だった。

部長刑事

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オープニングの音楽が素晴らしかった。
後で知ったが、ショスタコービッチ交響曲第5番「革命」
第4楽章の冒頭。

その背景が、旧大阪警察文部or旧警視庁? をヘリコプターから撮ったもの。重々しかった。
※古い記憶で七人の刑事と混同があるかも知れない。

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部長刑事(ぶちょうけいじ)は1958年から2002年にかけてABCテレビで放送された関西ローカルの刑事ドラマシリーズである。大阪ガス単独スポンサーの番組だった(震災発生以降の数ヶ月間は本震・余震時に止まったマイコンメーターの復帰方法や被災地域におけるガスの復旧見込みなど必要な告知を流した以外はACのCMに差し替えていたが、番組自体は引続き提供していた)が、最終的に視聴率が低迷したこともあり、大阪ガスがスポンサーを降板し、事件の複雑化で30分で事件が解決できなくなったためシリーズにピリオドが打たれた。

なお、タイトルの「部長刑事」とは階級が巡査部長の刑事のことを指し、警察本部刑事部の長である「刑事部長(階級は警視正か警視長)」と混同されがちだが全く異なる。


●番組概要
番組は一貫して毎週土曜日に放送(当初は19:30~20:00。2001年度だけ18:30~19:00に移動。但しプロ野球シーズン中、土曜日にプロ野球中継がある日は当日時間枠が17時台に移動)。

1958年9月から1989年3月までは「連続アクチュアルドラマ・部長刑事」と題して、関西を中心に活躍する比較的地味なタレントが大阪府警察本部の部長刑事として登場、毎回原則として1話完結(作品によっては複数週をまたぐものもあった)で大阪の庶民的な観点から様々な事件の犯人等の人間模様を描き続けた。その体裁は平成に入った1989年4月から2001年3月まで続いた「新・部長刑事 アーバンポリス24」にも踏襲され、全国メジャーのタレントを起用して放送された。

放送開始当初7年間は生放送であった。当然やり直しはきかず、入念にリハーサルを行ったにも関わらず本番で台詞を忘れるタレントが続出した。

特に初代部長刑事の中村栄二はよく台詞を飛ばし、タバコを吸ってごまかしていた。また、カメラの映らない椅子の後ろや柱に書き込んでおいた台詞をスタッフに消されて、それをアテにしていたタレントが台詞に詰まって慌てたり、死体役が瞬きするなど、ハプニングはしょっちゅうであった。

しかし、視聴率が10%前後と安定していたとはいえ、ゴールデンには全国ネット番組を放送する関係上、編成上の苦労が多かった(部長刑事放送に伴う影響を参照)。そのため2001年4月から時間帯を18:30からのスタートに変更し、内容もこれまでの庶民的な刑事ドラマから一新して、「部長刑事シリーズ・シンマイ」と題し、若手女優・木内晶子が新米婦人警官として成長していくサクセスストーリー的な作品として半年間放送された。

その後2001年度下半期(10月から2002年3月)は最初で最後の女性部長刑事として宮崎美子が主演した「部長刑事シリーズ・警部補マリコ」を放送したが、2002年3月で終了、44年間の歴史に幕を下ろすこととなる。

オープニングのタイトルバックには、かつて大阪府警捜査一課で「ナニワのコロンボ」と呼ばれ名刑事として知られた森川覚一氏(1975年3月定年退官)の眼光鋭い目が使われていた。

この他に、年1回、シナリオコンクールが開催され、最優秀作品には賞金50万円と、ドラマ化の権利が与えられた。

琴姫七変化

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主演はボンカレーの松山容子さん。
いつも観ていました。コメントは特にございません。

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 旧来のチャンバラ時代劇の代表的なものに『琴姫七変化』がある。
 大村崑の『とんま天狗』の後をうけて、1961年から62年にかけて放送された。提供は大塚製薬。主演は松山容子。NHK松山支局の事務員から松竹の女優になり、この番組で人気スターとなった。可憐な容姿が魅力的だった。大村崑のオロナミンCの看板はみなくなったが、辺鄙な山間地の村へ行くと、今でもボンカレーを宣伝している彼女の看板にお目にかかることがある。

 『琴姫七変化』の主人公の琴姫は、将軍家斉の末娘。大奥の生活に嫌気がさし、自由の天地を求めて諸国漫遊の旅に出る。
 剣は柳生新陰流免許皆伝の腕前。ある時はいなせな鳥越女、ある時はアメ売り、またある時は凛々しい若衆侍、ある時は町人姿、最後は美しい姫装束に姿を変え、幕府転覆を図る奥州伊達家の陰謀を粉砕する。彼女を助けて活躍するのが、若き剣法指南役の柳生大三郎だった。

お姫様:11代将軍家斉の末娘として生まれた「琴姫」は類い稀なる美貌と「琴姫剣法」と自他共に許す腕前の持ち主。美しい姫と持参金十万石を目当てに集まった大名の子弟を御前試合で打ち負かす。


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