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Gone The Rainbow -虹とともに消えた恋-
この曲はPPMによって作られ、日本でも大ヒットしました。その他にイギリスのオーヴァーランダースにも歌われ、そのバージョンも日本でヒットしました。
じつは、この曲を知っている人は「結構お年を召して…」おられる方でしょう。
私は当時はまだ小学生。そろばん塾に通っていて、先生が隣の部屋のステレオでこの曲を鳴らしているのを聴いて、その「シューシューシューラールゥ〜」のメロディーを覚えました。私の口ずさむ「シューシューシューラールゥ〜」を聴いて、弟まで「シューシューシューラールゥ〜」でした。
曲名を知ったのは後年のことです。ピーター・ポール&マリーって知ったのは最近です。
ピーター、ポール、マリー(Peter, Paul and Mary)は、1960年代のアメリカで最も成功したフォークソング・グループの一つ。ピーター・ヤロー(Peter Yarrow)、ノエル・"ポール"・ストーキー(Noel "Paul" Stookey )とメアリー・トラバース(Mary Travers)の3人からなるトリオ。ベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M。
ピーター・ポール&マリーの三人組。ハーモニーがきれいで、洗練されていた。
このグループは、「背の高いブロンド(トラバース)、陽気なやつ(ストーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤロー)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャーのアルバート・グロスマンによって生み出されたものである。彼はこのグループを1961年に旗揚げさせ、早速にニューヨークのグリニッジヴィレッジのコーヒー店「ビターエンド」に出演させた。ここは卯年フォークソングを聴くには人気の店であった。グループは、翌年にはファーストアルバム「ピーター・ポール&マリー 」をリリース。それには、「500マイル」、「レモンツリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガー編曲の「天使のハンマー」(ハンマーソング)が含まれていた。 このアルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。
1963年、彼らは、3枚のアルバムを録音し、新曲「パフ」をリリースした。これは、ヤローと彼の友人でコーネル大学の学生レオナルド・リプトンがもともと1959年に作詞作曲したものである。1963年のワシントン大行進では「天使のハンマー」が歌われた。マーティン・ルーサー・キングがかの有名な演説「私には夢がある」(en:I Have a Dream)を語ったのは、この行進の際である。彼等の最大のヒットは、ボブ・ディラン の「風に吹かれて」でこれは世界中での大ヒットとなっている。これが、ワーナー・ブラザース・レコードに移籍しての最初のシングルカット曲でもあった。その後長くこのグループは、アメリカ合衆国の公民権運動やその他の社会的正義を主導する運動の第一線に立ち続けた。後年のヒット曲「悲しみのエア・プレイン」は、当時全くの無名だったジョン・デンバーによって書かれた。
グループは、ソロ活動のために1970年解散するが、グループとして活動していた当時程の成功を収めることはできなかった。唯一の例外はストーキーの「ウェディングソング(There Is Love)」で、これはヤーローが、上院議員ユージン・マッカーシーの姪メアリーべス・マッカーシーと結婚する際にその結婚式のために作曲されたもので、ちょっとしたヒットとなり、1971年のリリース以来結婚式のスタンダードナンバーとなっている。
1978年に彼らは原発反対運動の支援コンサートのために再結成し、一緒にアルバムを製作し、以来一緒にコンサートツアーを行ってきた。彼らは年間40回のコンサートを毎年行ってきた。
このグループは、1999年ヴォーカルグループの名誉の殿堂入りを果たした。2005年、メアリー・トラバースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセルされた。しかし彼女は骨髄移植を受けて、無事健康を取り戻した。 彼女とメンバーの他の2人は、2005年12月9日コンサートツアーをカーネギーホールでの日曜コンサートで締めくくり、2006年にはさらに追加のコンサートが予定されている。
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