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交響曲

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巨匠と若手オケの新鮮な組み合わせ
1983年のデジタル録音と相まって、ショルティのすがすがしい爽快な演奏。

もう「ウンザリ」の通俗名曲が、蘇った


●吉田秀和さんの特集をETVで観た

吉田さんには著書「LP300選」で長く大変お世話になっている

小林秀雄『モオツァルト』から弦楽五重奏第4番の冒頭を、小林は「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない。」と書く。「彼は悲しんではいない。ただ孤独なだけだ。」それが彼の心の奥底にあるものだ、ということなのだろう。心の奥底にあるかなしみに、涙は伴わないだろう。人間存在の本質的な孤独に、人は涙することはない。「ただ孤独なだけ」なのである。


●サー・ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti, 1912年10月21日 - 1997年9月5日)
 ハンガリー出身の指揮者、ピアニスト。ゲオルグ・ショルティとも書かれる。ユダヤ系。

●ヨーロッパ室内管弦楽団
 ヨーロッパの未来を担う若き精鋭たちによって結成されたオーケストラ

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●交響曲第40番 ト短調

 私の場合、モーツアルトの短調があまり好きになれないことが多々あります。
 なにか、わざとらしさを感じます。

 モーツァルトの曲の根底にあるのは「哀しみ」であり、表面は明るくとりつくろっていても、その裏側では、また、ふとした瞬間に哀しみが現れるところが好きです。

 こんなモーツァルトが好きですから、最初から悲しいのには抵抗があります。
 それなら最初からベートーヴェンへ
 ・・・という安易な理由ですが、これは感覚的なものなのでどうしようもありません。

 モーツァルトの交響曲が40番で終わらなくて本当によかった、と真剣に思います。

 最後が「ジュピター交響曲」で本当に良かった。


●交響曲第41番(ジュピター)

 41番はモーツァルトの最後の交響曲ですが、まるでこれが最後だと知っていたかのような素晴らしい交響曲としてのフィナーレです。これ以降、3年後にこの世を去るまでモーツァルトは2度と交響曲作曲に手を染めることはなかったのです。

 それまでのモーツァルトの交響曲とは違って桁はずれにスケールが大きく壮麗で、未知なものへの憧れ、挑戦を感じさせる第1楽章。まさに全知全能の神ジュピターを思わせるスケールの大きさです。

 哀しみの第2楽章の後は、これまたスケールが大きく、天上から舞い降りてくる神を連想させるような第3楽章。

 そして、第4楽章はモーツァルトの交響曲中最も優れた楽章でしょう。
フーガの技法を取り入れ、単純な旋律が驚くほど豊かな旋律に変わっていく様は圧巻です。
途中にふと現れては消える哀しみの表情がたまりません。
コーダに入り、あのホルンが聞こえるともう胸が締め付けられるようです。
まるで「これでもう本当に終わりなんだよ。」とモーツァルトが訴えているように聞こえます。


 モーツァルト晩年(といっても死ぬ3年前 32歳の時)名作、三大交響曲の最後を飾るこの曲は、正式なタイトルとして「終結フーガ付き交響曲」といわれる。ジュピターの副第は、後世になって付けられたものであるが、壮大な性格は、神々の神たるジュピターの名にふさわしい「宇宙」の引合いによく出されるマーラーの交響曲等に比べてこれ程まで小さな楽器編成でありながら「宇宙」を感じさせる曲はこの曲の他にあるまい。

 映画「アマデウス」をご覧になった方も多いであろう。貧困の中、ベッドに倒れつつ作曲のペンを走らせようとするが体がいうことをきかないモーツァルト。そこで、口で説明して枕元に座っている同じ作曲家のサリエリ(モーツァルトを毒殺したという切があるイタリーの作曲家)に譜面を書き取らせる。「バスと同じくトロンボーンが鳴りティンパニの頭打ちの後アルトが・・・。」懸命に説明する病床のモーツァルトの頭の中には、まぎれもなく「宇宙」が鳴り響いていた。

第一楽章 アレグロ・ヴィヴァーチェ
 ハ長調故、晴朗な響きと力強さを出している。

第二楽章 アンアンテ・カンタービレ
 ジュピターという曲はモーツァルトらしくないと言う人もいるが、この緩徐楽章を聴くとモーツァルトらしさにあふれている。弦と管の対話が美しい。

第三楽章 メヌエット・アレグレット
 メヌエットとは本来「典雅な宮廷舞曲」。この曲においては、踊りからは随分離れた純音楽という性格が強そうだ。

第四楽章 フィナーレ/アレグロ・モルト
 フーガ様式を取り入れた壮大なフィナーレ。特に終結部の三重フーガは、3つの主題「宇宙」を構成、堂々と結ばれている。モーツァルトの全交響曲をしめくくる意味でも、古典派交響曲の頂点という意味でも、記念碑的なすごい曲なのである。


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●ベームのモーツァルト交響曲第40番&第41番

やはり、「大指揮者の時代」を感じさせるが、『レクイエム』と同様に非常に感銘を受ける。
ベームの慈愛に満ちた風格のある演奏だ。

1. 交響曲第40番ト短調K.550
2. 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
3. フリーメイソンのための葬送音楽ハ短調K.477(479a)

内容(「CDジャーナル」データベースより)
交響曲はベーム晩年の録音で、それぞれ最後の録音となったもの。何ものにも囚われない孤高の境地が広がっている、同様に「フリーメイソン」も晩年の録音で、ここでも自然体で至福に満ちた演奏がある。

やはり、「大指揮者の時代」を感じさせるが、『レクイエム』と同様に非常に感銘を受ける。
ベームの慈愛に満ちた風格のある演奏だ。

●モーツァルト : 交響曲第40番&第41番「ジュピター」

1. 交響曲第40番ト短調K.550
2. 交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ニコラウス・アーノンクール

●モーツァルト:交響曲第40番、41番「ジュピター」 レヴァイン、ウィーン・フィル

 交響曲 第40番 ト短調 K.550
 交響曲 第41番 ハ長調 K.551 《ジュピター》

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ジェイムズ・レヴァイン(指揮)
【録音】1989年6月 ウィーン [デジタル録音]

 粒立ちのよいきびきびしたリズム、しなやかに流れる歌、そしてふくらみのある美しい響きと、どこをとっても芳醇な香りが満ち溢れた演奏です。レヴァインとウィーン・フィルハーモニーは、伝統的なモーツァルト像と新しいモーツァルト像との見事な融合を成し遂げています。


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●交響曲第40番ト短調

 交響曲第40番ト短調 K.550は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した交響曲。モーツァルトの楽曲の中で、最も有名なものの一つ。

 1788年7月25日にウィーンで完成された。同年に作曲された交響曲第39番(6月26日)、交響曲第41番(8月10日)とともに、「三大交響曲」と呼ばれる。3曲とも作曲の目的や初演の日時は不明である。

□初演
 この曲の初演に関する記録は残されていないが、モーツァルトの生前には演奏されていたと推測されている。初稿のほかに、クラリネットを追加した改訂版が残されているためである。モーツァルトが実際に演奏する目的なしに曲を改訂するとは考えにくい。

 また、第2楽章の一部に差し替え用の楽譜が残されている。この楽譜は1789年2月以前に書かれたことが分かっており、1788年の演奏会のために作られたと考えられる。

 1789年のベルリン旅行と1790年のフランクフルト旅行では、モーツァルトが自分の交響曲の楽譜を携えていったことは確かである。

 1791年4月16日と17日、ウィーンの音楽家協会の演奏会で「モーツァルト氏の新しい大交響曲」がアントニオ・サリエリの指揮で演奏された。これは、第40番のことであると推測されている。

□楽器編成
フルート1、オーボエ2、ファゴット2、ホルン2(変ロ管とト管)、ヴァイオリン2部、ヴィオラ、バス(チェロ、コントラバス)

初稿と改訂版があり、後者にはクラリネット2本が追加されている。演奏する場合、指揮者の考え方によりどちらの版も演奏の機会がある。

ティンパニとトランペットを欠く


●交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

 交響曲第41番(こうきょうきょくだい41ばん)ハ長調 K.551は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した交響曲。『ジュピター』のニックネームを持つ。モーツァルトが作った最後の交響曲である。

1788年8月10日に完成された。同年に作曲された交響曲第39番(6月26日)、交響曲第40番(7月25日)とともに、「三大交響曲」と呼ばれる。3曲とも作曲の目的や初演の日時は不明であるが、モーツァルトの生前には演奏されていたと見られる。

ローマ神話の神ジュピターにちなんだニックネームは、同時代のヨハン・ペーター・ザロモン(1745年-1815年)が名付けたとヴィンセント・ノヴェロ(1781年-1861年)の『モーツァルト巡礼』(1955)に紹介されている。本作品のスケールの大きさ、輝かしく荘厳な曲想を的確に表現しており、19世紀中葉にはすでに人口に膾炙していたとされる。

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私はベートーヴェンの交響曲は5番『運命』、6番『田園』の2曲を除き、全て好きです。最近よく聴くのは1番、2番、4番、7番、8番といったマイナーな名前の付かないシンフォニー。

 あまりに聴かれれ飽食きみの曲、形式的な描写音楽は敬遠してしまいます。

●演奏家の中でも、指揮者はちょっと不思議な仕事である。音を作り出すれっきとした音楽家でありながら、例外的に自分では音を出さず、指揮棒といういとも素朴な棒きれでオーケストラを操って演奏を成り立たせる。しかも名だたる名手たちよりも高い地位にあり、もっとも尊敬される職業というのだから、考えてみれば妙なものである。

 第二次大戦後に彗星のように登場したのが、ヘルベルト・フォン・カラヤンであった。1908年、モーッァルトの生誕地として知られるオーストリアの小さな町ザルツブルクに生まれたカラヤンは、大戦中はウルムやアーヘンなどドイツ国内の地方都市の指揮者に甘んじていた。しかし第二次大戦が終結し、新しい時代への期待感が高まってくると、カラヤンの若々しい演奏ぶりは、輝かしい未来を象徴するかのように聴衆を魅了し始め、カラヤンの名声は急速に広まっていった。

 世界のオーケストラ界の頂点に立つ名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団には、当時まだフルトヴェングラーが君臨していた。1954年にフルトヴェングラーが亡くなると、カラヤンはすぐに常任指揮者に就任し、世界のオーケストラ活動をリードする存在となったのである


●現在のCD(コンパクトデスク)が、何故75分前後の大きさに決められたかと言えば、70年代から90年代においてクラッシック界の帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンが、「第九が収まるサイズ」ということをソニーに進言して決まったと言われている。そこにカラヤンの君臨ぶり、交響曲第九番の意義を感じる。


●私の最初のベートヴェン交響曲全集。(LP7枚組のアルバムです−結構重い)
中学生で、タイムライフ社の通販で購入。
カラヤン&BPOの1961〜2年の録音でした。
(カラヤン2度目の録音)

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
    グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
    ヒルデガルト・レッセル=マイダン(アルト)
    ヴァルデマール・クメント(テノール)
    ヴァルター・ベリー(バス)
    ウィーン楽友協会合唱団

●CDではカラヤン3回目の録音を持っています。

ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団

ソプラノ アンナ・トモワ=シントウ
アルト アグネス・バルツァ
テノール ペーター・シュライアー
バリトン ホセ・ファン・ダム

ディスク:1
1. 交響曲第1番ハ長調op.21
2. 同第4番変ロ長調op.60
3. 「エグモント」序曲op.84

ディスク:2
1. 交響曲第2番ニ長調op.36
2. 同第7番イ長調op.92

ディスク:3
1. 同第3番変ホ長調op.55「英雄」
2. 「レオノーレ」序曲第3番op.72a

ディスク:4
1. 交響曲第5番ハ短調op.67「運命」
2. 同第8番ヘ長調op.93
3. 歌劇「フィデリオ」序曲op.72b

ディスク:5
1. 交響曲第6番ヘ長調op.68「田園」
2. 序曲「コリオラン」op.62
3. 「プロメテウスの創造物」序曲op.43
4. 「アテネの廃墟」序曲op.113

ディスク:6
1. 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」

 第7番終楽章の・アッチェレランドが無くなり、安定しました。


 カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集を4回録音しています。
50年代にフィルハーモニア管と、
60年代、70年代、80年代にベルリン・フィルと。
※80年代はデジタル録音

 カラヤンとベルリン・フィルの記念碑的全集、美音と合奏力の頂点、完璧主義的演奏の模範、カラヤン芸術の集大成だと思います。これはベートーヴェンの明快さとか歓喜とかエネルギッシュなところを存分に味わえる演奏だと思います。大管弦楽の大合奏でベートーヴェンの華麗な演奏を聴きたい!という人にはお勧めです。


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Amazon.co.jp
 これは快楽主義的なベートーヴェンである。もっとも、これらの演奏を聴いていると、ヘルベルト・フォン・カラヤンはセックスと愛を、体つきと感情を混同していないかどうか、ときに疑わしく思われる。少なくとも彼は、心理学や実体よりも、音の豊かさやテクスチュアの重みにより多く関心があるように見える。彼の解釈には大いなる感情も、葛藤も、精神的解放感もないけれども、大いなる美しさと気分を浮き立たせるものがあることは確かである。
演奏法はカラヤンが1970年代にベルリンで修めた“マッサージ”スタイルの典型で、“マッサージ”スタイルとは、よく知られているように、アンドルー・ポーターが演奏の成果を批評して神戸牛にたとえたものである。筋骨隆々の下にはある種の柔らかさがあるが、大部分においてカラヤンは例の強烈な統率力を発揮し、抒情的な要素と動的な要素のバランスを維持している。

 これらのレコーディングを行ったときピークを迎えていたベルリン・フィルハーモニー・オーケストラは、まさに驚きである。その演奏が熱情的であったり、あるいは自発的であったりすることはほとんどないとはいえ、そのサウンドは豪奢で、生気に富み、気分を浮き立たせるほど豊かである。

 カラヤンは終始、ビッグ・オーケストラを使い続ける。交響曲第1番でもそうで、そのため音が、重々しくはないが、大きく聞こえる(第4楽章冒頭でのヴァイオリン群のきびきびした音階は、心地よいほど軽やかである)。オーケストラの滑らかさに加えて、カラヤンの解釈もエネルギーが高レベルにある点で注目に値する。これはとくに第8番について言え、この全集でもっとも成功している作品の1つである第8番は、第7番との関連をはっきり示すやり方で演奏されている。

 バランスについては、評価は「非常によい」から「傑出した」まであるが(第4番、8番、9番)、超越的なところまで近づくことはごくまれである。ベルリン・フィルハーモニーで行われたレコーディングではクローズマイクが使われ、かなり高レベルで原盤ディスクが作られ、サウンドは見事なほど堅牢である。(Ted Libbey, Amazon.com)

内容(「CDジャーナル」データベースより)
 カラヤンにとって3回目の録音だが,おそらく最高の出来といえば,この全集になるだろう。それに比べれば,80年代の全集ははるかに硬い表現で,オケの音質もシャープだが厚み不足。たとえば,「田園」の冒頭の軽やかさ,また木管を巧みにからませた表現が生み出す生命感…70年代版のほうがいい。とくに初期の作品にみせる躍動感が素晴らしい。この時期がカラヤンのピークだった。

●その他、ケンペで全集。単発でクライバー、バーンスタインを持っています。

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モーツァルトの交響曲は、以下の3曲と、最後の6大交響曲を聴けば十分でしょう。

1. 交響曲第25番ト短調K.183(173dB)
2. 交響曲第29番イ長調K.201(186A)
3. 交響曲第31番ニ長調K.297(300a)「パリ」

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮: レヴァイン(ジェイムズ)

40番のト短調交響曲に対して、小ト短調ともよばれる。なお、モーツァルトの交響曲のうちで、短調で書かれいるのは、この曲と40番のみです。劇的な悲壮感をもった冒頭部分は映画「アマデウス」で効果的に使用されたました。

レヴァインの指揮で、私は25番の速度設定に違和感を覚えます。豊かな情感をたたえる演奏が、悲壮感を邪魔します。


内容(「CDジャーナル」データベースより)
モーツァルト没後200年記念として企画され高い評価を受けた交響曲全集から、中期の代表作3作を収録。オーケストラの美しい響きを活かして、豊かな情感をたたえた秀演を繰り広げている。

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交響曲第35番「ハフナー」
交響曲第36番「リンツ」
交響曲第38番「プラーハ」
交響曲第39番
交響曲第40番
交響曲第41番「ジュピター」

ラファエル・クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団
録音:1980年6月〜10月
CBS/SONY(国内盤3枚組 75DC601-603)

モーツァルトの交響曲を選ぶとすれば最後の3曲になります。
しかし。38番「プラハ」は和声と対位法の「ジュピター」とはまた違った独創的な扱いが素晴らしく、これも外せません。私的には「プラハ」が一番好きです。

クーベリックの演奏は派手さはないが、気品高く、暖かみが感じられる典雅な演奏です。
これといった特徴の無いモーツァルトを、豊かなホールトーンで聴くと心地よい癒しに包まれます。

この曲集にたいする全体の方向性が、指揮者・オーケストラ・録音技師が三位一体となって、確固たる意志を感じます。三者が作り上げようとする方向性が、ものの見事に一致しているからこそ、この録音が名演奏であると評価される思われる。それ故、この曲集の最大の価値は、絶対に6曲をセットにして持っていることにあると言えよう。単独でももちろん優れた録音ばかりではあるが、一まとめにすると更に存在意義が大きくなる。セット物を購入する場合に最も大事な要素を、このクーベリック盤は見事に備えていると言えるだろう。

デジタル初期のこの録音は、ホールトーンとあいまって、実に耳に心地良い仕上がりである。うっとりと音楽に浸りきった経験は忘れがたい。柔らかいが、しっかりと芯のある音作りで、かつ細部の明晰さも失われていない。本当に良い音がする。

私にはオリジナル楽器による演奏は、マニアックな行為であると思っている。それを楽しむことが可能になったことは大きいが、私の趣味とは違っている。私は、古典音楽を研究し拝聴しようとは思わない。ただ単に、趣味として、また安らぎを求めて、音楽を聴きたいだけなのである。オーケストラが朗々と鳴り響くようなバッハやモーツァルトが好きで、一向構わないと信じる。私にとって良い音楽とは、学問的にどうであるかなどは、ほとんどどうでも良いことなのである。メンゲルベルクの『マタイ』に感動し、次の瞬間リヒターの『マタイ』に感動し、さらに次の瞬間ガーディナーの『マタイ』にも感動する。挙句の果てにはカラヤンの『マタイ』まで楽しんでしまう、このような聴き方で私は満足している。

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