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私はベートーヴェンの交響曲は5番『運命』、6番『田園』の2曲を除き、全て好きです。最近よく聴くのは1番、2番、4番、7番、8番といったマイナーな名前の付かないシンフォニー。
あまりに聴かれれ飽食きみの曲、形式的な描写音楽は敬遠してしまいます。
●演奏家の中でも、指揮者はちょっと不思議な仕事である。音を作り出すれっきとした音楽家でありながら、例外的に自分では音を出さず、指揮棒といういとも素朴な棒きれでオーケストラを操って演奏を成り立たせる。しかも名だたる名手たちよりも高い地位にあり、もっとも尊敬される職業というのだから、考えてみれば妙なものである。
第二次大戦後に彗星のように登場したのが、ヘルベルト・フォン・カラヤンであった。1908年、モーッァルトの生誕地として知られるオーストリアの小さな町ザルツブルクに生まれたカラヤンは、大戦中はウルムやアーヘンなどドイツ国内の地方都市の指揮者に甘んじていた。しかし第二次大戦が終結し、新しい時代への期待感が高まってくると、カラヤンの若々しい演奏ぶりは、輝かしい未来を象徴するかのように聴衆を魅了し始め、カラヤンの名声は急速に広まっていった。
世界のオーケストラ界の頂点に立つ名門ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団には、当時まだフルトヴェングラーが君臨していた。1954年にフルトヴェングラーが亡くなると、カラヤンはすぐに常任指揮者に就任し、世界のオーケストラ活動をリードする存在となったのである
●現在のCD(コンパクトデスク)が、何故75分前後の大きさに決められたかと言えば、70年代から90年代においてクラッシック界の帝王と呼ばれたヘルベルト・フォン・カラヤンが、「第九が収まるサイズ」ということをソニーに進言して決まったと言われている。そこにカラヤンの君臨ぶり、交響曲第九番の意義を感じる。
●私の最初のベートヴェン交響曲全集。(LP7枚組のアルバムです−結構重い)
中学生で、タイムライフ社の通販で購入。
カラヤン&BPOの1961〜2年の録音でした。
(カラヤン2度目の録音)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ)
ヒルデガルト・レッセル=マイダン(アルト)
ヴァルデマール・クメント(テノール)
ヴァルター・ベリー(バス)
ウィーン楽友協会合唱団
●CDではカラヤン3回目の録音を持っています。
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団
ソプラノ アンナ・トモワ=シントウ
アルト アグネス・バルツァ
テノール ペーター・シュライアー
バリトン ホセ・ファン・ダム
ディスク:1
1. 交響曲第1番ハ長調op.21
2. 同第4番変ロ長調op.60
3. 「エグモント」序曲op.84
ディスク:2
1. 交響曲第2番ニ長調op.36
2. 同第7番イ長調op.92
ディスク:3
1. 同第3番変ホ長調op.55「英雄」
2. 「レオノーレ」序曲第3番op.72a
ディスク:4
1. 交響曲第5番ハ短調op.67「運命」
2. 同第8番ヘ長調op.93
3. 歌劇「フィデリオ」序曲op.72b
ディスク:5
1. 交響曲第6番ヘ長調op.68「田園」
2. 序曲「コリオラン」op.62
3. 「プロメテウスの創造物」序曲op.43
4. 「アテネの廃墟」序曲op.113
ディスク:6
1. 交響曲第9番ニ短調op.125「合唱」
第7番終楽章の・アッチェレランドが無くなり、安定しました。
カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集を4回録音しています。
50年代にフィルハーモニア管と、
60年代、70年代、80年代にベルリン・フィルと。
※80年代はデジタル録音
カラヤンとベルリン・フィルの記念碑的全集、美音と合奏力の頂点、完璧主義的演奏の模範、カラヤン芸術の集大成だと思います。これはベートーヴェンの明快さとか歓喜とかエネルギッシュなところを存分に味わえる演奏だと思います。大管弦楽の大合奏でベートーヴェンの華麗な演奏を聴きたい!という人にはお勧めです。
<<Web検索情報>>
Amazon.co.jp
これは快楽主義的なベートーヴェンである。もっとも、これらの演奏を聴いていると、ヘルベルト・フォン・カラヤンはセックスと愛を、体つきと感情を混同していないかどうか、ときに疑わしく思われる。少なくとも彼は、心理学や実体よりも、音の豊かさやテクスチュアの重みにより多く関心があるように見える。彼の解釈には大いなる感情も、葛藤も、精神的解放感もないけれども、大いなる美しさと気分を浮き立たせるものがあることは確かである。
演奏法はカラヤンが1970年代にベルリンで修めた“マッサージ”スタイルの典型で、“マッサージ”スタイルとは、よく知られているように、アンドルー・ポーターが演奏の成果を批評して神戸牛にたとえたものである。筋骨隆々の下にはある種の柔らかさがあるが、大部分においてカラヤンは例の強烈な統率力を発揮し、抒情的な要素と動的な要素のバランスを維持している。
これらのレコーディングを行ったときピークを迎えていたベルリン・フィルハーモニー・オーケストラは、まさに驚きである。その演奏が熱情的であったり、あるいは自発的であったりすることはほとんどないとはいえ、そのサウンドは豪奢で、生気に富み、気分を浮き立たせるほど豊かである。
カラヤンは終始、ビッグ・オーケストラを使い続ける。交響曲第1番でもそうで、そのため音が、重々しくはないが、大きく聞こえる(第4楽章冒頭でのヴァイオリン群のきびきびした音階は、心地よいほど軽やかである)。オーケストラの滑らかさに加えて、カラヤンの解釈もエネルギーが高レベルにある点で注目に値する。これはとくに第8番について言え、この全集でもっとも成功している作品の1つである第8番は、第7番との関連をはっきり示すやり方で演奏されている。
バランスについては、評価は「非常によい」から「傑出した」まであるが(第4番、8番、9番)、超越的なところまで近づくことはごくまれである。ベルリン・フィルハーモニーで行われたレコーディングではクローズマイクが使われ、かなり高レベルで原盤ディスクが作られ、サウンドは見事なほど堅牢である。(Ted Libbey, Amazon.com)
内容(「CDジャーナル」データベースより)
カラヤンにとって3回目の録音だが,おそらく最高の出来といえば,この全集になるだろう。それに比べれば,80年代の全集ははるかに硬い表現で,オケの音質もシャープだが厚み不足。たとえば,「田園」の冒頭の軽やかさ,また木管を巧みにからませた表現が生み出す生命感…70年代版のほうがいい。とくに初期の作品にみせる躍動感が素晴らしい。この時期がカラヤンのピークだった。
●その他、ケンペで全集。単発でクライバー、バーンスタインを持っています。
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