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4月 桜咲き、風薫る季節。 また、新たなスタートを切るに相応しい季節となりました。 この度、京都の吉田神社から新たな試みと致しまして ブログを開始することとなりました。 これから、このブログをご覧頂く皆様に 吉田神社の四季などを感じて頂ければ幸いかと存じます。 どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。 === さて、桜咲く・・・というように、吉田山にも沢山の桜があります。 ブログの初めを飾るに相応しい吉田山の桜をご覧下さい 丁度、山頂の竹中稲荷社参道に咲く桜が、 今満開の時期を迎えております 是非ご参拝頂き、咲き誇る桜と鳥居の参道を歩いてみてはいかがでしょうか?
はじめまして… 8月初旬に京都へ行く予定で、ただいま計画中です。 岡崎方面へも行きたいと思っています。時間があれば、 是非立ち寄りたいと思いますが、子の自由研究絡みなので、 どうなる事やら… 本当は桜の頃に行きたかったのですがね〜
2005/4/8(金) 午後 5:11
堅香子さん。ようこそお越し下さいました。 8月に京都にお越しとの事ですね。 是非お時間有りましたらお立ち寄り下さい。お待ちしております 確かに京都は今あちこちで桜が咲き誇り、観光の方が沢山お見えです 当社の桜はあまり知られておりませんが、隠れた名所であると思います 京都には、春には春の、また夏には夏の良いところがあると思います 是非いろいろな京都を楽しんで下さい(神職M)
2005/4/8(金) 午後 5:34
はじめまして。これからどんなブログになるのか楽しみです。交流出来たら嬉しいなあ〜。
2005/4/8(金) 午後 10:42
ちゃとこさん。ようこそお越し下さいました。私はブログ初心者ですので大きな目で見ていただければ幸いです。
2005/4/11(月) 午後 5:13
吉田に住んでいます。これからのブログを期待しています。
2005/4/12(火) 午前 0:13
ichinobaka2005さん。ようこそお越し下さいました。吉田にお住まいとの事で、これからも色んな行事などに関して神職の目から見たブログを続けていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。
2005/4/14(木) 午前 9:03
吉田神社は、神道の中興の重要な神社ですね。ここに目を付けられたのは素晴らしいです。明治維新の時や、神道復興の時など・・・
2017/6/21(水) 午後 0:25 [ 銀狼(URIEL) ]
> 銀狼(URIEL)さん 大変遅れましたがコメント頂戴いたしましてありがとうございました。 吉田神社の長い歴史において、いろいろな時代がありました。 新たに生まれたものや消えて無くなったものもあります。ただ、申し上げますことは、無関心というものの恐ろしさです。 有益無益拘わらず、これからも吉田神社について雑多のことをつれづれに書いて参りますので、よろしくお願い申し上げます。
2017/7/13(木) 午後 1:10
菅原さま お返事遅れ申し訳ございません。コメントありがとうございます。 お尋ねの件ですが、たしかに1500年代後半、秀吉の天下統一後の指月伏見城築城後、伊達公のみならず諸国大名が伏見に屋敷を構えました。ご存知かもしれませんが現在も伏見区に伊達家の屋敷跡が町名に遺っております。
2018/4/21(土) 午後 5:45
その諸国大名ですが、朝廷との融和策を採っておりました豊臣政権は幕府を開かず関白におさまり太閤となりました。 ゆえに朝廷と諸国大名との交友は多く確認されております。安土桃山時代、吉田神社を中心に発展いたしました吉田家、この当主を務めました吉田兼右卿も公卿の一人でして朝廷で神事を、また大名に神事をアドバイスする役割を果たしておりました。 大名は叙位を果たすことで源平藤橘の姓をより強く意識し以後、正式な名をそのいずれかに求めます。 織田信長なら平朝臣上総介など、という形です。 伊達公も藤原の姓を朝廷向けに名乗りますし、系譜に山蔭卿を祖とする子孫なれば吉田神社を意識することは想像の難しい話ではありません。
2018/4/21(土) 午後 5:48
ただ、当時の記録一切は吉田神社に現存しておりませんのですべての記録を当社で把握をしてはおりません。 お答えとしてはわからない、としかお答えできません。 もし確認できうるとするなら、兼見卿記などに伊達公参詣の記録があるなら、ご指摘のとおり、山蔭卿を偲び伊達公が訪れたかもしれませんね。 江戸期になると、こういった記録が御広間雑記として現存しているようですが全ての記録の解読が進んでないと聞いております。それらも吉田神社に現存せず、奈良県の天理大学に吉田文庫として収蔵されております。 なお、山蔭卿をお祀りしております当社境内の山蔭神社は料理飲食業界の御要望を請け、昭和中期に招魂立社されました神社ですのでそれ以前に伊達公が山蔭卿に親しみ参詣ということが無いことは確かであります。 いつか、伊達公が御先祖を偲び、参詣した・・・そんな古記録が文書に発見されたら愉快なお話ですね。
2018/4/21(土) 午後 5:49
吉田神社|祭神=健御賀豆智命伊波比主命天之子八根命比売神|社格=二十二社・官幣中社・別表神社|創建=貞観 (日本)|貞観元年(859年)|本殿=春日造|例祭=4月18日|神事=節分祭|画像=斎場所大元宮}}吉田神社(よしだじんじゃ)は、京都市左京区吉田神楽岡町の吉田山にある神社。.wikilis{f
2007/2/15(木) 午後 9:00 [ 京都の宴 ]
2007/2/18(日) 午後 9:40 [ 京都の宴 ]
2007/2/22(木) 午前 3:15 [ 京都の宴 ]
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はじめまして… 8月初旬に京都へ行く予定で、ただいま計画中です。 岡崎方面へも行きたいと思っています。時間があれば、 是非立ち寄りたいと思いますが、子の自由研究絡みなので、 どうなる事やら… 本当は桜の頃に行きたかったのですがね〜
2005/4/8(金) 午後 5:11
堅香子さん。ようこそお越し下さいました。 8月に京都にお越しとの事ですね。 是非お時間有りましたらお立ち寄り下さい。お待ちしております 確かに京都は今あちこちで桜が咲き誇り、観光の方が沢山お見えです 当社の桜はあまり知られておりませんが、隠れた名所であると思います 京都には、春には春の、また夏には夏の良いところがあると思います 是非いろいろな京都を楽しんで下さい(神職M)
2005/4/8(金) 午後 5:34
はじめまして。これからどんなブログになるのか楽しみです。交流出来たら嬉しいなあ〜。
2005/4/8(金) 午後 10:42
ちゃとこさん。ようこそお越し下さいました。私はブログ初心者ですので大きな目で見ていただければ幸いです。
2005/4/11(月) 午後 5:13
吉田に住んでいます。これからのブログを期待しています。
2005/4/12(火) 午前 0:13
ichinobaka2005さん。ようこそお越し下さいました。吉田にお住まいとの事で、これからも色んな行事などに関して神職の目から見たブログを続けていきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。
2005/4/14(木) 午前 9:03
吉田神社は、神道の中興の重要な神社ですね。ここに目を付けられたのは素晴らしいです。明治維新の時や、神道復興の時など・・・
2017/6/21(水) 午後 0:25 [ 銀狼(URIEL) ]
> 銀狼(URIEL)さん
大変遅れましたがコメント頂戴いたしましてありがとうございました。
吉田神社の長い歴史において、いろいろな時代がありました。
新たに生まれたものや消えて無くなったものもあります。ただ、申し上げますことは、無関心というものの恐ろしさです。
有益無益拘わらず、これからも吉田神社について雑多のことをつれづれに書いて参りますので、よろしくお願い申し上げます。
2017/7/13(木) 午後 1:10
菅原さま
お返事遅れ申し訳ございません。コメントありがとうございます。
お尋ねの件ですが、たしかに1500年代後半、秀吉の天下統一後の指月伏見城築城後、伊達公のみならず諸国大名が伏見に屋敷を構えました。ご存知かもしれませんが現在も伏見区に伊達家の屋敷跡が町名に遺っております。
2018/4/21(土) 午後 5:45
その諸国大名ですが、朝廷との融和策を採っておりました豊臣政権は幕府を開かず関白におさまり太閤となりました。
ゆえに朝廷と諸国大名との交友は多く確認されております。安土桃山時代、吉田神社を中心に発展いたしました吉田家、この当主を務めました吉田兼右卿も公卿の一人でして朝廷で神事を、また大名に神事をアドバイスする役割を果たしておりました。
大名は叙位を果たすことで源平藤橘の姓をより強く意識し以後、正式な名をそのいずれかに求めます。
織田信長なら平朝臣上総介など、という形です。
伊達公も藤原の姓を朝廷向けに名乗りますし、系譜に山蔭卿を祖とする子孫なれば吉田神社を意識することは想像の難しい話ではありません。
2018/4/21(土) 午後 5:48
ただ、当時の記録一切は吉田神社に現存しておりませんのですべての記録を当社で把握をしてはおりません。
お答えとしてはわからない、としかお答えできません。
もし確認できうるとするなら、兼見卿記などに伊達公参詣の記録があるなら、ご指摘のとおり、山蔭卿を偲び伊達公が訪れたかもしれませんね。
江戸期になると、こういった記録が御広間雑記として現存しているようですが全ての記録の解読が進んでないと聞いております。それらも吉田神社に現存せず、奈良県の天理大学に吉田文庫として収蔵されております。
なお、山蔭卿をお祀りしております当社境内の山蔭神社は料理飲食業界の御要望を請け、昭和中期に招魂立社されました神社ですのでそれ以前に伊達公が山蔭卿に親しみ参詣ということが無いことは確かであります。
いつか、伊達公が御先祖を偲び、参詣した・・・そんな古記録が文書に発見されたら愉快なお話ですね。
2018/4/21(土) 午後 5:49