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はじめまして。吉田神社です
つれづれな話
ただ、当時の記録一切は吉田神社に現存しておりませんのですべての記録を当社で把握をしてはおりません。
お答えとしてはわからない、としかお答えできません。
もし確認できうるとするなら、兼見卿記などに伊達公参詣の記録があるなら、ご指摘のとおり、山蔭卿を偲び伊達公が訪れたかもしれませんね。
江戸期になると、こういった記録が御広間雑記として現存しているようですが全ての記録の解読が進んでないと聞いております。それらも吉田神社に現存せず、奈良県の天理大学に吉田文庫として収蔵されております。
なお、山蔭卿をお祀りしております当社境内の山蔭神社は料理飲食業界の御要望を請け、昭和中期に招魂立社されました神社ですのでそれ以前に伊達公が山蔭卿に親しみ参詣ということが無いことは確かであります。
いつか、伊達公が御先祖を偲び、参詣した・・・そんな古記録が文書に発見されたら愉快なお話ですね。
はじめまして。吉田神社です
つれづれな話
その諸国大名ですが、朝廷との融和策を採っておりました豊臣政権は幕府を開かず関白におさまり太閤となりました。
ゆえに朝廷と諸国大名との交友は多く確認されております。安土桃山時代、吉田神社を中心に発展いたしました吉田家、この当主を務めました吉田兼右卿も公卿の一人でして朝廷で神事を、また大名に神事をアドバイスする役割を果たしておりました。
大名は叙位を果たすことで源平藤橘の姓をより強く意識し以後、正式な名をそのいずれかに求めます。
織田信長なら平朝臣上総介など、という形です。
伊達公も藤原の姓を朝廷向けに名乗りますし、系譜に山蔭卿を祖とする子孫なれば吉田神社を意識することは想像の難しい話ではありません。
はじめまして。吉田神社です
つれづれな話
はじめまして。吉田神社です
つれづれな話
はじめまして。吉田神社です
つれづれな話
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つれづれな話
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平成29年 吉田氏子講社大祭
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