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中村與資平記念館別館
::2019年・令和元年・猪年
浜松復興記念館で
『七科約説』と開明堂、浜松医学校の時代展 開催
浜松のオルガン展

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自 平成31月2日(
 令和元年6月28日(金)
  まで延長 休館日:月曜日
〔祝日と重なった場合は翌日〕

開館時間 午前午後

浜松市中区利町304-2
TEL&FAX053-455-0815

会場 浜松復興記念館
1階展示コーナー
入館無料



 開催にあたって


この度、明治初期に浜松で出版された翻訳医学全書『七科約説』のほか、出版に関わった浜松の印刷会社である開明堂、翻訳にあたった浜松病院と同付属浜松医学校についての関連資料を、昨年8月から10月まで浜松市立中央図書館で開催された「『七科約説』と開明堂、浜松医学校の時代展」に続いて、同展PARTⅡとして浜松復興記念館にて展示することになりました。


 今回は浜松病院院長兼浜松医学校校長の太田用成らにより翻訳された当時最先端の医学全書『七科約説』上下編、およびその原本である《A Conspectus ofthe Medical Sciences》を展示するほか、『七科約説』を出版した開明堂の創業者鞍智逸平(高義)の肖像や、翻訳にあたった太田用成らの肖像、山葉寅楠を支援した浜松病院の二代目院長福島豊策の肖像など、これまであまり見る機会のなかった関連資料も展示します。


更に明治初期に山葉寅楠によって浜松で始められたオルガン産業が、戦後の混乱の中、いち早く復活し、復興の先頭に立ち、後の電子楽器産業につながって行ったことを、山葉寅楠直系のタイガー楽器と全音楽器、ローランドを例に紹介するとともに、昭和初期のヤマハオルガンと戦後の河合オルガンなどを展示します。


これを機に、『七科約説』や開明堂、浜松病院・浜松医学校、楽器産業などのより詳しい調査や研究が行われることを期待します   

浜松復興記念館 館長 齋藤謙二


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ヤマハオルガン

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カワイオルガン と ヤマハオルガン(右)

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ブラザー電動オルガン











新元号は 令和

新元号発表! 令和 
れいわ REIWA
大 予 想
本命 和成 わせい
次点 陽和 ようわ
3枠 文成 ぶんせい
大穴 万徳 ばんとく
   
数十年に一度の改元を記念して
日本と中国の元号を一時間ほど研究した結果、以上のようになりましたので、ご参考に。
本当は和平が良いかと思ったが、中国ですでに3回も使われていたので、それに近いものにしました。
あと数時間で結果が分かるので楽しみです。

結果?
令和 でした。

典拠

「『万葉集』の「巻五 梅花の歌三十二首并せて序」にある
初春の月にして、気淑く風ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。 」
より引用された

令の字は令兄、巧言令色、令名、などにも使われる文字

和だけがちょっとかすった感じ?
平成よりも当初の違和感は少ないかも。
タレントのカズ・レーザーの本名は
令和をひっくり返した和令(かずのり)だそうです。
令和(のりかず)くんとか
令和(れいわ)(れいな)ちゃんが早速誕生したかも・・・

安久でなくてよかった!

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『月の沙漠』


『月の沙漠』

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『月の沙漠』(大正12年)(1923年)
作詞 加藤まさを(1897.4.8〜1977.11.1)
作曲 佐々木すぐる(1892.4.16〜1966.1.13)

加藤まさを 本名は正男静岡県藤枝市出身。立教大学英文科中退
学業の傍ら川端画学校で洋画を学ぶ。大正時代の代表的な抒情画家の一人で、少女に圧倒的な人気を得た。ファンとの交流をよくし、髪型や衣服など、女学生風俗を熟知していた。さらに、バラの栽培、ヴァイオリン演奏、テニスなど、少女好みの趣味を持っていた。1923年大正12年)に、童謡「月の沙漠」を発表。詩画集に『カナリヤの墓』、『合歓の揺籃』、少女小説に『遠い薔薇』(1926年、短編集)、『消えゆく虹』(1929年、長編小説)、『二つの虹』などがある。1929年から1930年にかけて平凡社から出版された『令女文学全集』全15巻の巻11が加藤まさを集だった。

佐々木すぐる 本名(佐々木 英)童謡をはじめとする2000曲もの楽曲を作曲し、中でも「月の沙漠」「お山の杉の子」が有名である。
兵庫県加古郡高砂町(現・高砂市)出身。元は士族であり、父親が郡役所に勤務する家庭に育つ。幼い頃に近所の住人から笛を貸してもらったことで、音楽に興味を抱く。しかし、家庭が貧しかったことから学費のことを考え、音楽学校ではなく姫路師範学校へと進学。在学中は生活費を得るためにボイラー技士として働きながら勉学に励む。卒業後しばらく郷里の小学校で教鞭をとるが、後に東京音楽学校に進学し、甲種師範科を卒業。
東京音楽学校卒業後は、浜松師範学校で教員として働く傍ら「青い鳥」や「じゃんけんぽん」などの童謡を発表する。1922年(大正11年)に浜松師範学校を退職し、上京。作曲家に専念する。1923年には「月の沙漠」を作曲。1924年(大正13年)には、自分の作品を掲載した「青い鳥楽譜」を発刊し、昭和初期まで自費で出版する。また、青い鳥児童合唱団を主宰し、精力的に全国を回った。1932年昭和7年)には日本コロムビアの専属作曲家となる。1930年代には唱歌や「兵隊さんよありがとう」のような愛国歌を数多く発表し、当時の子供たちの間に広く知れ渡った。後に音楽の教科書の編纂を行い、日本作曲家協会理事を務めるなど、子供のための音楽や歌曲の普及に貢献した。(以上ウィキペディアより、一部修正)
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1960年版のLP『日本童謡名曲全集⑵』
(コロンビア)のジャケットの裏
定価1000円

     ひくま の はぎふで
曳馬の萩筆(野口雨情)


石碑 浜松市中区成子町 法林寺境内
直筆 浜松市立中央図書館所蔵

曳馬の萩筆
スイッチョがいった
スイッチョがいった
曳馬の萩は
筆になっちゃった

スイッチョに聞いた
スイッチョに聞いた
曳馬の萩は 
野原の萩だ

(大正12年  野口雨情 作)
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浜松市立中央図書館所蔵


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浜松二中(現・浜松西高)の教師だった縣善三郎による楽譜

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石碑の後段は「スイッチョがきいた」になっているが雨情の直筆原稿によれば「スイッチョに聞いた」が正しく、意味も通る。

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最近オークションで落札したもの。この曲がり具合というか、反り具合からスイッチョを連想したのかも。

雨情にはスイッチョを歌った歌がもう一つある

スイッチョ
野口雨情
 
 スイッチョ スイッチョと
 大阪の
 街のはづれで 鳴くスイッチョ

 姉は筑紫の 長崎へ
 妹も筑紫の 長崎へ

 スイッチョ スイッチョと
 蔦の葉の
 上にとまって 鳴くスイッチョ







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『七科約説』と開明堂、浜松医学校の時代展

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解説小冊子の目次
『七科約説』浜松に誕生す 展示品:中央図書館所蔵本、5人の肖像   

『七科約説 』とは    展示品:浜北図書館所蔵本、原本

『七科約説』の概要    展示品:開明堂所蔵本、鞍智逸平肖像     

『七科約説』序      展示品:伊東氏所蔵本

『七科約説』翻訳者太田用成の経歴                  

『七科約説』翻訳者虎岩武の経歴                           

『七科約説』翻訳者柴田邵平の経歴               

⑧Ⅰ 静岡県の明治初期の病院                     

⑧Ⅱ 浜松に会社病院設立

浜松県立浜松病院    「浜松病院跡の全景」            

浜松病院附属浜松医学校 「浜松医学校跡(浜松町役場/市役所)」   

同時代の翻訳医学書                          
英学の時代の浜松県・静岡県 『衛生のうた』、紙面の例、奥付、願書  
附録:『七科約説 附・浜松医学校』内田六郎著 昭和44年 浜松市立図書館発行


中日新聞浜松版2018年9月8日付
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浜松市指定文化財第一号の『『七科約説』と浜松医学校校舎の写真など

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開明堂所蔵の『七科約説』と鞍智逸平の肖像写真など

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同時代の医学書『内科摘要』など
 
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浜松病院の二代目院長福島豊策の肖像画(浜松信行社所蔵)など

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伊東政好氏所蔵の『七科約説』上下+「同解剖科」ほか
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浜松市指定文化財の『七科約説』(市立中央図書館所蔵)
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『七科約説』の原本『Conspectus of the Medical Sciences』
第二版(1874) Henry Hartshorne著 (個人蔵)

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