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中村與資平記念館別館
::2018年・平成30年・戌年

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「中村與資平」とは

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 浜松市出身の建築家中村與資平(1880−1963)は日本と海外、今の国別で言えば4ヶ国(日本、中国、韓国、北朝鮮)で30数年間、民間の建築設計事務所を主宰し、建築家として国内外に多数の建築作品を残しました。また教育者としても事務所所属の後輩建築家を育て独立を支援し、実践女子専門学校、日本大学等でも建築教育にあたり、晩年は故郷の静岡県教育委員会副委員長をつとめました。

 中村與資平は京都の三高時代に建築家を志し、東京帝大で学んだのち、師である辰野金吾の主宰する辰野葛西事務所に入所しました。その後朝鮮の京城(現ソウル)で民間の建築事務所を開き独立した後、中国東北部でも大連に事務所を設け活躍しました。さらに約1年間の米欧視察旅行をへて、東京に本拠を構え、東京と郷里の静岡県を中心に建築活動を行いました。

 ところが昭和10年代に戦時色が深まると共にその活動を終息し、戦後は建築家としては活動せず、公選の静岡県教育委員として晩年を送ったため、建築家としては長く半ば忘れられた存在になっていました。その再評価がなされるのは大正・昭和初期の近代建築の再評価が始まった1980年代以降のことで、その間にも建物の解体・撤去は進み、旧朝鮮銀行大阪支店、浜松市公会堂、旧遠州電気鉄道旭町駅(遠州鉄道旧新浜松駅)など中村與資平の日本における多くの主要作品が1980年代までに次々と撤去されました。

 しかし近年、代表的作品である静岡市役所庁舎や豊橋市公会堂が文化庁の登録有形文化財への登録などを契機に本格的に修復され、完成当初の風格を取り戻したほか、大阪の済生会中津病院本館は解体後、2002年春、同じ場所に再建され、病院のシンボルだった美しいドーム建築がよみがえっています。また日本、韓国、中国に現存する中村作品の多くも国または地方の文化財として登録され、保存・活用の措置が採られ始めています。さらに出身地浜松に残る旧遠州銀行本店(現静岡銀行浜松営業部本館)は2003(平成15)年度に浜松市都市景観賞を受賞したほか、旧浜松銀行集会所(銀行協会)の建物も2004年に市に譲渡され、その保存・活用方法が検討されています。(その後、2009年12月から映画監督の木下恵介記念館と中村與資平資料室として使われています)

 一方、火災や戦災で焼失したり、再開発のために撤去された建物は、しだいに忘れられ、その跡には別の新しい建物がずっと前からそこにあったかのような顔で建っています。形あるものの定めといってしまえばそれまでですが、わずか数10年前の建築作品がすざましいスピードで消費(破壊)されていくのには驚きを禁じえません。木造建築だけではなく、日本では鉄筋コンクリートの建物でも、利便性、経済性、耐震性等を理由に、半世紀も持たずに撤去されているのが現実です。また物によっては経済効率優先で、10年も持たずに壊されてしまうものもあるようです。
 
 中村與資平の手がけた建物の、竣工時に撮られたと思われる古い写真を見ていると、様々なことに思いが及びます。建物を作ることは条件さえ整えば比較的容易にできますが、残すことは数十年程度でも、予測不能なことが多く、容易なことではありません。こんな立派な建築が今あれば、あの街並みにもさぞや風格がでるに違いないと思うこともたびたびです。
 
 建物が現存し、実際に訪ねて撮影した写真以外にも、古い雑誌や書籍などから折々に集めた中村與資平建築の写真(コピー)もかなり集まってきましたが、放っておくと散逸しかねないので、判明しているものの一部を並べてみました。明治・大正・昭和を生きた建築家・中村與資平の全貌を知るには到底不十分なものですが、その業績を知る一助になれば幸いです。

                    ※

 なお、掲載した写真の多くは中村家などから寄贈された浜松市立中央図書館所蔵の中村與資平資料と当ブログ制作者の撮影によるものですが、古い写真には出所不明のものもあることをお断りします。

 建物の名称は原則として竣工当時のものを使用し、現名称がわかるものは併記しました。

 竣工年等のデータは既存の資料等によりましたが、必ずしも正確でない場合があります。

参考文献 
『中村與資平資料目録』(2001)
『浜松が生んだ名建築家 中村與資平』(1989)以上 浜松市立中央図書館
『海を渡った日本人建築家』西澤泰彦  彰国社 (1996)
『アジアの都市と建築』鹿島出版会 (1986)
『ドームを抜ける蒼い風』静岡県建築士会静岡支部 (1989)
『偽満洲国旧影』吉林美術出版社(2001) 
 ほか

          ◎ 中 村 與 資 平 年 譜 ◎
       http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/28157662.html

1880(明治13)年2月8日  静岡県長上郡天王新田村(現浜松市天王町)
                で生まれる
1905(明治38)年      東京帝国大学工科大学建築学科卒業(24期)、
                同時に大学院入学、辰野葛西建築事務所に入所
1907(明治40)年 秋    韓国へ渡航
1912(明治45)年1月    朝鮮銀行本店竣工、朝鮮銀行建築顧問就任、
 〃       4月    中村建築事務所開設
1917(大正6)年      中国大連市に出張所開設
1921(大正10)年3月25日 横浜から米欧視察旅行に出発
1922(大正11)年2月11日 神戸に帰国
 〃        4月    東京に中村工務所開設
1944(昭和19)年6月    事務所を閉鎖し、浜松に疎開
1947(昭和22)年      相坂建築事務所顧問に就任
1952(昭和27)年      静岡県教育委員に当選
1956(昭和31)年      静岡県教育委員会副委員長に就任(第2期)
1963(昭和38)年12月21日  浜松で死去 享年83歳 観月院誠実資公居士  

★★★決定!現存する中村與資平建築ベストテン!★★★(2005年9月11日選定)
 
順 位 名称(竣工時)  現所在地(現名称)            ひとこと
第一位 朝鮮銀行本店   ソウル市(韓国銀行本店)     入魂の第一作
 二位 李王家美術館   ソウル市(国立現代美術館別館) 最後の大建築
 三位 遠州銀行本店   浜松市(静岡銀行浜松営業部本館) 故郷に錦を飾る
 四位 静岡市役所    静岡市             中東風の青いドームが
 五位 豊橋市公会堂   豊橋市             軍都の象徴ワシが8羽
 六位 朝鮮銀行大連支店(中国人民銀行大連支店)  円形大広場の一角を飾る
 七位 湖西銀行本店  韓国忠清南道(ハナ銀行礼山支店) 鄙には稀な大建築
 八位 浜松銀行集会所  浜松市(旧浜松銀行協会) 浜松財界人の社交場
 九位 樋口病院     小諸市(小諸病院)  寅さん映画「サラダ記念日」の舞台  
 十位 天道教中央大教堂 ソウル市    現存する中村與資平唯一の教会建築
                              
次点順不同  済生会大阪府病院__(大阪市)(現・済生会中津病院)
        李王家大磯御別邸__(神奈川県大磯町)(現・プリンスホテル)
        東京帝大三鷹天文台_(東京都三鷹市)(国立天文台)
        平塚邸 ______ (東京都渋谷区) ※2005年に撤去
        旧竹山謙三・純平邸_(浜松市)(現・宗建寺)
        中村圓一郎邸____(静岡県吉田町)
        中央学校______(ソウル市)(現・中央高校)
        淑明女学校_____(ソウル市)(現・淑明女子高校)
        善隣商業学校____(ソウル市)(現・善隣インターネット高校)
        朝鮮銀行群山支店__(全羅北道)
        東洋拓殖木浦支店__(全羅南道)
        三越呉服店大連出張所(中国大連市)(大連市商業銀行中山支店)
        開原公会堂_____(中国遼寧省開原市)撤去
        横浜正金銀行長春支店(中国吉林省)
        三十五銀行本店___(静岡市葵区)(現・静岡銀行本店)
        窪町小学校_____(現・文京区立窪町小学校)※2006年に撤去
        静岡県庁______(静岡市葵区)
          

選定基準:建物のデザイン、規模、保存状態、利用状況等を勘案し、1998年から2004年にかけて随時行った現地調査時の印象等を加味して独自に決めさせていただきました。

★北朝鮮に建てられた次の5つの建物は存否を含めて現況が不明です。ご存知の方がおられましたらご教示いただければ幸いです。
1、漢城銀行開城支店 
2、漢城銀行平壌支店
3、平壌・平安南道物産陳列館 (衛星写真等よれば現存している模様)
  日本の国会議事堂のような四角錐の尖塔をもつ立派な建物です。
  今は朝鮮労働党の党創建事跡館という記念館として使われているようです。
4、新義州公会堂 (衛星写真によれば撤去されている模様) 
5、朝鮮銀行羅南出張所(朝鮮殖産銀行羅南支店)

2006年5月までに新たに判明した現存する建物は次の通り。
1. 小松ビル(東京都中央区日本橋横山町)
2.共同鉱山発電所(宮城県栗原市細倉鉱山)
3.天道教修道院(韓国ソウル市江北区)

開原公会堂は撤去されているのを2006年10月確認。

横浜正金銀行長春支店は正金洗浴が廃業して、廃屋状態になっているのを2006年10月確認したが、
2008年に周辺を含めて修復された模様。

2007年7月までに判明した現存する建物は次の通り。
1.K邸(豊島区駒込)
2.古河銀行元浜町支店(東京都中央区富沢町)
3.横山町ビル(東京都中央区日本橋横山町)

2008年11月までに判明した現存する建物は次の通り。
1.清州第一教会礼拝堂(韓国忠清北道清州市)(現地関係者による推定)

中村與資平が設計した朝鮮銀行奉天支店は1916年に竣工したものと判明。
現存する同支店は1931年竣工。
『日本植民地建築論』西澤泰彦著/2008年名古屋大学出版会刊より。

      

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    「漢城銀行平壌支店」
    すでにお気づきのこととは思いますが、
    1946米軍発行の軍用地図[注1]中、「Hangsongーbank」とある位置と現在の衛星写真を重ねてみると、もうなくなったものと思われます。
    位置的には、現在の金日成広場北側に面した建物のうち、真北「ロの字」形の建物のある辺りと見立てました。
    [注1]https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d5/Pyongyangarmymapservice1946.jpg

    [ mau*u*am*1 ]

    2017/5/22(月) 午前 0:04

    返信する
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    ご連絡下さりありがとうございます。
    漢城銀行平壌支店については数年前に別の地図で
    ずいぶん通りの幅が広くなっていたので
    無くなっているだろうと思っていましたが
    衛星写真で見れば一目瞭然ですね。
    あと、一縷の望みは曳家か移築されていれば
    と思いますが・・・ほぼ絶望的でしょう。

    [ yos**ei8jp ]

    2017/6/8(木) 午前 1:52

    返信する

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