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2年経った今だからこそ、あえて当時を思い出してみよう! ドイツワールドカップでは観戦のため(ほぼ毎日)街から街へと移動をしていた私ですが、ベルリンでは数日間滞在することが出来ました。 1989年のベルリンの壁崩壊以後東西ベルリンが統一されたわけですが、何かベルリンで東西冷戦の名残(ベルリンの壁とか)を見たいというのがドイツ旅行のもう一つの目的でした。 この日はベルリンでのナイトゲームを観戦。 丸一日移動もなく自由時間が出来たので、朝一からベルリン市内観光を行いました。 クーダム通りのホテルからバスに乗ってBerlin Zoo駅前まで。 眼前に異様な形の尖塔が見えてきました。 カイザー・ウィルヘルム教会。1943年のベルリン大空襲で破壊されましたが、広島の原爆ドームと同様戦争の悲惨さを伝えるため建物をそのままの姿で残してあるとのことでした。 破壊されてギザギザの屋根、ポッカリ空いた空洞。その真下にワールドカップ関連のテント村が広がるという不思議な光景でした。 Berlin Zoo駅、従来は西ベルリンの玄関口でしたが、ワールドカップ開催にあわせて開業したベルリン中央駅に主役の座を譲り、幾分ひなびた雰囲気を醸し出していました。 「Zoo=動物園」駅、帝都でいえば上野駅みたいなポジションでしょうかね。 せっかくだからとベルリン動物園にも入ってみました。 昨年は白クマのクヌートが話題となりましたが、このときはまだ生まれてませんでしたね。 都心にある動物園なのに、とにかく広い。じっくり回ると丸一日はゆうにかかりそうな敷地。 オランウータンやパンダもいたので童心に返ってワクワクしながら見て回りましたよ。(^^; 時間を忘れて長居した後は、またバスに乗り、ブランデンブルク門方面へ。 手前で戦勝記念塔(ジーゲスゾイレ)が見えたので途中下車。 塔の頂上に立つ黄金の女神像をパチリ。 テクテクと徒歩でブランデンブルク門へ。 ベルリンの壁が崩壊した時、TVで東側から人々が西側にどんどん入ってくる光景を見て感動したのですが、自分がその歴史的な場所に立ってるというのは非常に感慨深かったですね。 通り抜けできたらいいなぁと期待してたんですが、この時期はワールドカップ向け施設が建っていたため見るだけでした。……残念。仕方ないので門脇のスターバックスで(こんなところにもスタバがあるんだとびっくり)、門を眺めつつ一服したなぁ。 その後も徒歩で町並みを見たり、バスを乗り継いだりして、ベルリンTV塔まで向かいました。 東ベルリンのシンボルであるこの塔、ワールドカップにちなんで展望台の部分がサッカーボールになってました。 展望台から望むベルリン市街、高層ビルが多く建ち発展している西側に対し、東側は高層建築物が少ないのが対照的でした。 とはいえ「森の中の大都市」と言っていいほど緑が多いのが印象的でしたね。 ブランデンブルク門の両脇も大きな森が残っていました。 展望台から降りた後はベルリンの壁の跡地めぐり。地図を片手にバス・徒歩で探し回りました。 さすがに崩壊後20年近く経っていたので多くは取り除かれていましたが、展示館などには当時のままの姿で残っているものもありました。 記念館では様々な大きさの壁の欠片が記念品として売られてました。 (大きいものや、きれいな色がついてるのは結構イイお値段でした…) あと、路上で壁の欠片を売るお爺さんに「お前は日本人か?」と問われて「壁の跡を見に来た」と答えるとそこから何故か第二次大戦話で盛り上がったりもしましたね。 ……『今度戦争やる時もまた同盟組もう!』とか『(写真見せられながら)オレが一番最初にあの壁に穴を開けたんだ!』とか『もう東の奴らに馬鹿げた壁など作らせん!』とか息巻いてましたが(^^; ネタかと思ったらホントにああいう事言うんだなぁ。 あのお爺さん、お元気だろうか(しみじみ) そんなこんなで一日たっぷりとベルリン観光したのでした。 ドイツ人って「厳格でお堅いイメージ」で見られてますが、確かに普通に接する場合はそうかも。 でも困った人を見た時なんか「自分の信念に合えば」とにかくお節介なくらい世話を焼いてくれたように思いますね。道を尋ねてもお店で何か探してても「むこうが納得するまで」(こちらがもういいって言っても)対応をしてくれましたね。 ……これってツンデレじゃないか(笑)? でもそんなドイツの方々の優しさのおかげで道中何度もピンチ(幸い命の危険ではない)を助けてもらいました(^^; (ホント今から考えると良くあれだけのハプニングをくぐり抜けて日本に帰ってきたわ、と感心する) そうそう海外に出ることも無いですが、またいつかじっくりと訪れてみたいですね。
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2006ドイツの思い出
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2006年にドイツで開催されたワールドカップ。
2年経った今、当時の思い出を振り返ってみます。
2年経った今、当時の思い出を振り返ってみます。
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2年経った今だからこそ、あえて当時を思い出してみよう! 現在開催されているEURO2008で好調ぶりを示している"無敵艦隊"スペイン。 2年前のドイツワールドカップでも、初戦の戦いぶりはまさに"無敵艦隊"にふさわしい絶好調っぷりをみせてくれました。 2006年6月14日、ライプチヒで行われたスペインvsウクライナ。 ベルリンからDBでライプチヒまで移動。車内はサポーターやマスコミで満員でしたね。 ライプチヒに到着後、スタジアムまではトラムで移動。 スペインはフェルナンド・トーレスやビジャが先発、ラウルは控えでした。 またこの試合はセスク・ファブレガスもまだベンチ。 ウクライナはシェフチェンコを中心としたチームですね。 バックスタンド中央の前列、高さはありましたがかなり見やすい良席でした。 開始早々、スペインがボールを支配し、次々にゴールを脅かします。 前半13分にシャビ・アロンソのゴールで先制。 立て続けに前半17分にビジャがFKを決めて2点目。前半を2-0で折り返し。 ハーフタイムにグッズショップで並んでいるうちに後半開始。 開始早々スペインのゴールが決まった模様。慌てて席まで戻りました(^^; 控えに甘んじていたラウルがビジャと交代。 後半終了間際にはフェルナンド・トーレスが4点目を決めました。 終わってみれば結果は4-0でスペインの大勝。FW陣の大爆発でした。 ウクライナはエース・シェフチェンコが押さえられてしまいいいところ無く終わってしまいました。 とはいえ、決勝トーナメントに残った両チーム、スペインがフランスに競り負けて初戦で姿を消したのに対してウクライナはスイスにPK勝ちして準々決勝まで進んでるんですよね。(イタリアに3-0で負け) スイスが無失点で大会を去った試合でしたか…。 2年経って、EURO2008ではセスクが10番を背負い、ラウルがつけていた7番をビジャが引き継ぐなどの変化はありましたが、当時から決定力のあるFW陣は健在ですね。 |
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2年経った今だからこそ、あえて当時を思い出してみよう! 2006年6月12日。ドイツワールドカップでの日本の初戦。 カラッと晴れた青空の下、数多くのサポーター達に交じって私もスタジアムに向かいました。 フランクフルト(の郊外)のホテルから、道中知り合った日本サポーター達とタクシー相乗り・DB乗り継ぎで会場のカイザースラウテルンまで。 道中日本人だけでなくメキシコやブラジルの人とも身振り交えてコミュニケーションしたりして、サッカーってホント共通言語だなと実感したの思い出します。 現地には日本のマスコミも大挙していました。フジテレビの大塚アナ(めざましTVの取材?)とエール交換したり、大盛り上がりでしたね。 対するオージーサポーターも頭にカンガルーのビニール人形付けてたりして、体格良い分かなり迫力がありました。 日本からもたくさんのサポーターが駆けつけましたが、チケットの座席がかなり散らばっていたためにひとまとまりでの応援という形にはならなかったのが残念でした。 でも「オーストラリア相手に日本が負ける訳ない」という意識を持って試合に臨んだのは確かでした。 スタジアムの外観は独特のデザインで、さながら要塞のような雰囲気を醸し出していました。 スタンドの傾斜もかなりきつく、もの凄い高さまで椅子が並んでいたので上の方だとピッチに落ちそうな錯覚がするほどの迫力を味わえましたね。 試合結果はご存じの通り、後半終了間際に立て続けに得点されて3-1の敗戦。 周りで「サッカルーズ」サポーター達が歓喜する様子を尻目に、声を枯らした日本人サポーター達は言いようのない悔しさと屈辱感にまみれながらスタジアムを後にしたのでした。 後半30分あたりからの無策ぶりに、スタジアムからは時折ブーイングも起こる有様。 わずか10分足らずで3点取られるという屈辱的な幕切れ。 ……これ以降、日本代表のユニを着た我々日本サポーター達はドイツの街角で子供達から「ルーザー、ヤパン!(Loser Japan!)」と有り難くないかけ声をかけられる羽目になるのでした。 う〜ん、2年経ってもアノ悔シサハ忘レラレナイ!! あれから2年。さすがに「日本は強い」という楽観的な考え方する人は減ったようですが、当時と比べてどれだけ進化したのか? オーストラリアがアジアの一員となって予選を戦い、アジア諸国も飛躍的に実力を付けつつある今、2年間でどれだけ伸びたのかを魅せて欲しい。
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