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ボクシングもヘビー級となるとアメリカ人が世界ランカーをほぼ独占しているが、白人ボクサーが前から少なかった。記憶に残っているところでは、ロッキー・マルシアノがチャンピオンとなって以来、王座にアメリカの白人がついたことはない。これには、アメリカの白人社会にジャブに対する根強い拒絶反応があるからかもしれない。
面白い話がある。
1897年9月7日、ジョン・L・サリバン対ジェームス・J・コーベット戦において、コーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく、相手から距離をとってパンチをかわし左の軽いジャブを当てるというフットワークのあるスタイルでサリバンを21回KOし勝利を収めた。しかし当時の民衆にこの戦法は受け入れられず、「卑怯者の戦法」と呼ばれたというのである。
ちなみに、ロッキー・マルシアノはほとんどジャブを使わなかった。ガードもどちらかと言えば甘いほうだった。そのため強打から顔面を保護する手段として、頭を相手の懐深くねじ込んで戦ったが、ジョー・ルイスとの試合ではジャブをかなり被弾しており、大きくはれた顔が印象的であった。
その後に現れた白人ボクサーたちは、さすがにジャブを用いるようになった。ジェリー・クォーリー、ゲリー・クーニー、デュアン・ボビックなどなど。これは、他の階級からの影響や、ジョー・バグナーら外国人ボクサーからの影響も考えられる。インゲマル・ヨハンソンやマックス・シュメリング、ゲリー・コーツィーなど、外国人の白人ボクサーは王座についている。
ところで余談であるが、マックス・シュメリングというドイツ人ボクサーについては、ジョー・ルイス側の演出もあって、敵役として定着してしまった感があるが、戦争中は数度に渡るナチス入党の誘いを断り、アメリカでマネージャーを勤めていたジョー・ジェイコブスがユダヤ人であることを理由にマネージャーを代えるようナチスから勧告されても変えなかった。そのため、徴兵され、落下傘兵として、最前線に送られるも、辛くも生き残るなど、辛酸をなめさせられたりもしたが、戦後ボクサーを辞めてからは、社会福祉に貢献したとされる。
一方、黒人ボクサーは、アウトボクサー、インファイターの別なくジャブを多用する選手が多い。「蝶のように舞う」フットワークと「蜂のように刺す」ジャブとで一世を風靡したモハメド・アリは、シュガーレイ・ロビンソンからの影響が指摘されているが、「鉢のように刺す」ジャブはロビンソン譲りであったにせよ、「蝶のように舞う」フットワークは、白人の名ボクサー、ジーン・タニーを思い起こさせる。アリがジーン・タニーのモダン化ならば、フレイジャーはヘンリー・アームストロングの、ジョージ・フォアマンはアーチー・ムーアの手法を取り入れている。
黒人が「真似る」ことから多くのオリジナリティを獲得してきたのは、ボクシングでもジャズでも、同じことだった。一方、アメリカの白人の一部が、「真似る」ことをかたくなに拒んでいるとすれば、低迷とストレスとの間で行きつ戻りつするだけだ。私は、この白人のごく一部に渦巻くストレスがなんとも不気味に感じてしまう。もう、ロッキー・マルシアノでは通用しないのに。
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