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かつて同和対策審議会答申では同和問題の本質を次のように説明した。
・心理的差別と実態的差別とが相互に因果関係を保ち相互に作用しあっている
・この相関関係が差別を再生産する悪循環をくりかえす。
・近代社会における部落差別とは、ひとくちにいえば、市民的権利、自由の侵害にほかならない。市民的権利、自由とは、職業選択の自由、教育の機会均等を保障される権利、居住及び移転の自由、結婚の自由などであり、これらの権利と自由が同和地区住民にたいしては完全に保障されていないことが差別なのである。
関西を本拠地に全国的な活動を展開しておられる落語家の露の新治氏は差別の概念を被差別と加差別に分けて整理しているが、これらの因果関係を現実化する加差別的な修辞(レトリック)というものが存在する。たとえば「血筋が違う」「上見て暮らすな、下見て暮らせ」などという言い方で、自らの排他性を肯定し、被差別を追認することで加差別を加速させてきた。さらに身元調査という悪しき慣習は「差別が金になる」現実をうみ、差別を温存させんとする勢力の存在を暗示する。これらのこと全てが「そっとしておけば差別はなくなる」という仮説に対する私なりの答えである。
こういう構図はそのまますっぽり他の人権侵害にあてはまる。
女性の社会進出を拒んでいるのは、意識しようがしまいがほとんどの男性と少なくない数の女性である。
女性の社会進出を推し進める必要性は労働市場の国際競争力や年金の安定的供給という視点以外にも、女性に対する虐待的行為に対するエンパワーメントという視点が重要である。そのひとつとして経済的安定を図ることで自己実現の選択肢を増やすということがある。
女性への家庭内暴力は、女性の経済的基盤が脆弱であるがために配偶者との契約解消(離婚)を図る途が閉ざされていると感じている場合が少なくない。かつての奴隷制度を想起させ、「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」と謳った憲法の理念に反する。労働市場や家庭内における固定的な役割分担という幻想を抱く人が圧倒的少数になったときに初めて、女性がDVやセクハラの恐怖から解放される土壌が整うという前提に立てば、女性の社会進出を緊急の課題として認識せねばならない。それを現実の場面で阻害しているものが「男らしさ、女らしさ」という伝統的な修辞であり、これを突破しようとして学校等でも教育課題として重要視されているにもかかわらず、マス・メディア等で繰り返し刷り込まれているという現実がある。
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