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セルフエスティーム

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 自尊感情の高い子供にするにはどういう育て方をすればよいか。こういう疑問を持つ保護者が少なくない。私はこれに対して3通りの答え方を用意している。
 
 ひとつは個性とか長所とか、あるいはかけがえのなさといってみたり、人間としての尊厳といってみたり、とにかく「あなたという存在はそれだけ尊いものなのよ」と言わんがために言葉を重たく重たくしてしまいがちだ。しかし、それでは社会や集団のメカニズムについてはなんら説明になっていない。また、「誰一人として必要でない人などいない」という言葉は、子どもたちにとっては理念と現実との乖離を伴うから理解しにくいし、近寄りがたい。そもそも倫理臭い言葉のもつ押し付けがましさは、論理性のなさをカモフラージュするためのもので、思想の枯渇を招くと思う。むしろ「あなたには、こういう強みがある」といったほうが、ずっと通りがよいし、関心を引くのではないだろうか。
 誰でも何がしかの「強み」を持っているものだ。そして社会や集団がその特質を要求するときこそ、それは「強み」として輝くときなのだ。たとえば、いつもくだらない駄洒落ばかり飛ばしているA君だが、クラスにBさんという転入生があって本人も周囲のものも人見知りをしてまったく会話が成立しなかったとしよう。そんなとき、A君の駄洒落がお互いの緊張をほぐすのにすごく効果的だったりする。あるいは、クラスでも目立たないCさんはごく自然に対話のできる達人だったり、集団のシチュエーションが多彩である分、各人の「強み」はいろいろな形で要求されうる。このようなことを集団として学習していくうちに、いろんな人の持ついろんな「強み」に感謝するとともに、自分の「強み」をたとえ自覚していなくてもそういう集団に属していること自体、セルフエスティームは高くなっていくと思う。つまり、セルフエスティームが高くなるには「集団」または「人間関係」という要素が不可欠であって、そのためにおのずとその舞台は教室や家庭などになってくるのではないかということ。
 
 二つ目はレジリエンス・トレーニングとの区別をはっきりさせることだ。ポジティヴ心理学に実践的トレーニング法としてレジリエンス・トレーニングといわれるものがある。これは、困難さに打ち勝つトレーニングである。私自身はこのトレーニングについて学習したこともなかったのだが、人権というものを一生懸命考えた末に思いついたオリジナルトレーニングがあった。今から20余年まえ、長男が保育園に通っていたときのことである。仕事帰りに保育園によってみると、クラスでも乱暴もので通っているSちゃんという児童が長男のお尻を叩いていたのだ。長男の様子をしばらく観察していた私は、Sちゃんに叩かれてもなすすべもなくただ愛想笑いを繰り返していただけであることを知った。
 日常的な光景だと判断した私は、なんとか長男自身にこの状況を突破させて、彼が生きていく上での財産にしてやりたいと思った。自分の人権を守り、周囲も納得がいく方法はないものかと考えるうちに、あるトレーニング方法を思いついた。鉄は熱いうちに打てとはよくいったものだ。その夜、私は長男を椅子に座らせ、大声で「やめろーっ!」と怒鳴りつける練習をさせた。長男は当初なかなか大声が出せなかった。しかも「やめろ」ということができず「やめて」だった。自分の人権を侵害する相手に懇願していても始まらないと考えた私は決然として、「やめてじゃない、やめろだ。」「声が小さい、腹のそこから怒鳴ってみろ」と言って、次第に太い声を出すようになった息子に合格点を出した。次の朝、「よおし、やるぞ。」と気合十分で家を出た息子に、正直言って一抹の不安はあったがそれが親心というものであろう。昨夜はこの「親心」が前向きに作用していたのだ。
 夕刻、迎えに行ってみると、長男は階段のところでひとり泣いていた。「ちくしょう、ちくしょう」とつぶやきながら。Sちゃんと喧嘩して負けたのだなと直感した私は、「よくやった、よくやった」と長男を抱きしめながら、感動でいっぱいになっていた。以後、Sちゃんと長男とは大の仲良しになっていった。
 今となってみれば、自分の人生ならともかく、子育てに一か八かの賭けをしたようで冷や汗の出る思いだが、それでもあの晩、まったくためらいがなかったことに驚く。現在ではむしろ、私の思いに同意してくれた妻に感謝している。ひとくちに人権と言っても、法整備としての人権、教育としての人権、思想・良心としての人権などいろいろであるけれども、児童の権利に関する条約がなかったら私のぼんくらアタマで実行できたかどうか疑問である。なぜなら、権利の主体である息子自身に解決させよう、我々は親としてその支援をしていこうという発想そのものが、あの条約で学んだものにほかならなかったからだ。
 しかし、これなどは「セルフエスティーム(自尊感情)=ありのままの自分を肯定する感情」が大事という文脈で最初から行くと、何の行動もしないでおくことがよいのかという珍解釈を招き逆の結果となっていたかも知れず、とてもややこしいことになってくる。大阪教育大学の森 実 氏も「自尊感情が高けりゃ全てよいというわけではない」と警鐘を鳴らしていたが、私も同感で「自尊感情」という翻訳が独り歩きをしているような不安がある。
 
 三つ目は児童虐待防止法を逆説的に読むことで、セルフエスティームを高める方法が推察できる。虐待に会った児童のセルフエスティームが低くなることはよく知られている。であれば、その逆のことをすれば高くなる‥‥とはいえないまでも、低下するのを抑えることはできると考えた。
 児童虐待防止法によると、虐待の形態が4種類記されている。
 一 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。
 二 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。
 三 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前二号又は次号に掲げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。
 四 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。
 これらを逆読みすると、セルフエスティームを高めるには、
一 体罰によって指導することが厳禁なのはいうまでもないが、恐怖心をあおって教育しようとしないことなど。
二 わいせつ行為を求めるということは、相手を権利の主体とみなしていないことにほかならないから、相手が児童であっても権利の主体として尊重することなど。
三 食事を必ずさせること。保護者として児童を常に受け入れ、長時間放置しないこと。食事の準備や買い物、掃除など、家事の一部を手伝わせることなどあってもよいと思われる。
四 著しく拒絶的な態度を取らないということは、感情的にならず、つねに信頼されるパートナーとしての役割に徹すること。また、DVも子どもの心身に有害な影響を与えるためにそれ自体児童虐待に当たるという法の趣旨からすれば、保護者同士の良好な信頼関係が必要なことはいうまでもない。
 
 要するに、児童の権利に関する条約の趣旨をよく理解して、行動すればおのずとエンパワーされるし、セルフエスティームも高くなるということである。そして、子どもにとって自尊感情とは常に当人によって意識されるものとは限らないが、保護者をはじめとする周囲の者は子どもにとって自尊感情が高まるような環境で生活することは子どもの権利のひとつであって、闇雲にまたは直接に子どもに対する「助言や指導」に用いて効果が上がる筋合いのものではないということを整理しておいたほうがよさそうだ。

閉じる コメント(2)

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夏だけ遊ぶつもりだったのにッ!!
ハマっちゃったよ????ヮラ
ttp://www.bio-rizm.net/7iyswlc/

2011/9/10(土) 午前 2:06 [ ャバ ]

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アニメにしか興味なかった俺が廃人寸前から
現実に復帰できたキッカケ
ttp://w.h-anime.me/3xiwxw6/

2011/9/17(土) 午前 2:09 [ アニメにしか興味なかった俺が ]


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