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4月14日のNHK総合テレビで朝やっていた「週間ニュース深読み」という番組で、裁判員制度について3年後の見直し時期にあたるということで、ラサール石井氏をはじめ3人の聞き手が推進側の学者さんとNHK解説員、それに制度改善派の市民運動家にツッコミを入れるという結構みどころのある番組をやっていました。
国民にとっては、いつの間にか決まった印象が強いが、①この制度を導入するにあたって国民の側から要望があったのかという問いに対して、それは特になかったけれども、②三権のうち立法府・行政府には市民参加がシステムとして導入されているのに司法だけにそれがないというのはおかしいし、③国民にも一部参加してもらうことによって司法に関しても責任ある社会を実現していくという趣旨で設けられていると説明していました。
また、④裁判員体験者の多くの人たちが「体験してためになった」と応えているということを強調していました。
これらのことについて、私は次のように考えます。
①国民から要望もないのに、憲法に定めのない新たな義務を課したことに関して。 これは司法制度改革審議会の様子をマスメディアが積極的に報道してこなかったことも問題でありますが、マスメディアが申し合わせたように報道してこなかったと感じられるのは、むしろ法務省や最高裁が情報を積極的に提供しなかったためではないでしょうか。こんな憲法に疑義を生じるような制度改革について、国民に土壇場まで内容を知らせずにいて、国民にばかり「責任ある態度」を求めるというのは、どうなんでしょうね。国民主権というのをつまみ食いするような姿勢には納得ができません。
②は、司法に国民が参加できなかったのは、裁判所が無謬性を主張してきたからで、それは今でも変わっていないと思います。③のように、国民に主権者としての責任を持たせるなどと主権者を見下ろした見方をしているようでは、改革自体が抜本的に進むということは期待できません。
つまり、私が言いたいのは、司法のどこが弱点なのかを具体的にしないと国民参加で司法の何が改善されたかが明らかにならないということです。改善すべきところに国民参加の余地を検討するというスタンスでのぞまないと、国民に大きな負担を背負わせる以上、はじめに負担ありきでは、納得できないでしょう。
素人の私が思うに、日本の刑事司法の弱点のひとつとして、冤罪を生みやすいシステムと再審制度の立ち遅れがあると思います。まず、そこに風穴を開けるような国民参加であれば、国民の要望もあるわけです。裁判員のような人間の基本的人権と直接対峙せざるを得ないような役割を担わせるのは苦役そのもので、それを職業として自ら選択した職業裁判官といっしょくたにするのは乱暴といわざるを得ません。そもそも、「意に沿わない苦役」かどうかの判断を本人でなく裁判所が下すという、この傲慢さがある限り裁判所に基本的人権の理解を求めるのは無理と思いませんか。
④はどのようなアンケートをとったのか明らかにする必要がありますが、それはさておき、裁判員の人生にどう反映されるかというような、司法制度改革と直接には関係のない統計に最高裁がこだわる理由は、裁判員制度の目的が司法のシステムを変えるのではなく、「司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資する」(裁判員法第1条)ことにあるためで、いうなれば裁判所側の要望のみが目的化されています。
裁判員制度導入時の背景について、「規制緩和及び競争政策に関する強化されたイニシアチブ」が発端であるといわれておりますが、そういう情報を国民の前に明らかにしないと、裁判員制度について狐につままれたような印象がぬぐえないと思います。
最後に、裁判員をされた経験をより効果的に生かすうえで、裁判員経験者に対するアンケートの内容を充分工夫されたものにする必要があります。せっかくご苦労なさったのに、その経験が司法制度に反映されなかったら、大きな損失です。
何度もいいますが、職業裁判官が職業選択の自由に基づいてその仕事を選ばれたように、凡ての国民はほかの職業を持っておりそれぞれ責任がありますし、個別の事情もあるはずです。そういう人間関係を引き裂くような重圧を伴う制度は、いくら裁判所が考慮していくといったところでおのずと限界がありますから、当初の目的を達したならば、できるだけ速やかに制度を終結していただかねばなりません。ところが、今の制度では設置目的が非常に曖昧であるために、いわばエンドレスの義務と重圧を国民に強いる結果になっています。これでも「主権者の責任」とおっしゃるのでしょうか。結果だけ負わされる人々のことを「主権者」というのでしょうか。
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