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日本は冤罪の発生率が高い国だという思いを持っておられる方は、たくさんいらっしゃいますが、それに関して検察や法務省当局がどういう認識でいるかについて、私は自ら襟を正して改革を進めていくというような、そういうことが全く期待できない状況にあるということを健全な法治国家のために声を上げる市民の会が証明してくださったと思います。
まず、私自身の見解から。「陸山会事件」は検察が独自捜査で行った冤罪事件の典型であり、またメディアスクラムによって国益が損なわれ、国民の基本的人権に関わる事件であったにもかかわらず、民主党執行部並びに野党の多くが関心を示さず、国会の存在意義すら危ぶまれるという一大事件でありました。取り調べに関する虚偽の記録は冤罪に直結するものであり裁判員制度とは別次元の司法制度の改革がこれほど必要とされている時期はないにもかかわらず、他方、国会の法務委員会での滝法相はのらりくらりした答弁を繰り返すばかりで、聞くに絶えません。まあこれも第2時政権交代前のやがて切って落とされる光景といいますか、最後のあがきと認識しましょう。さて、当局は、表向きは楽観的立場をとりつつ、本音の部分ではむしろ冤罪に持ち込めることを検察の強みとして積極的に「評価」し、なおかつ場合によっては自ら冤罪を生み出してきたという、冤罪を社会悪であるとする基本的認識すら全く頼りにならない状態であると考えています。
その証拠としては、「陸山会事件」を例にとるならば、健全な法治国家のために声を上げる市民の会(八木啓代代表)がまとめた「田代報告書と石川議員反訳対照表」などを見れば一目瞭然であり、また①強力な利益誘導、②誤導、③強力な圧力、④調書の訂正の拒否等の手段を用いた、違法不当な取調べと東京地裁が厳しく指摘したにもかかわらず、「最高検報告書」(最高検察庁が被疑者らを不起訴処分とした理由の説明のために、記者会見説明で配布された「国会議員の資金管理団体に係る政治資金規正法違反事件に関する捜査及び調査について」と題する書面)の内容は田代報告書が録音された供述等と明らかに異なるうえに田代以外のものが書き込んだとみられる部分もあるなど、相当にでたらめなシロモノであるにもかかわらず田代検事の「記憶の混同」説を支持するという論理破綻も著しく、いわばバレバレの大嘘に嘘の上塗りをしている、いかがわしい限りのものであったからです。
検察が組織としてこの事件にどう関わっていたかという点について、「検察当局は、田代報告書が事実に反する内容であったことが石川氏が隠し録音した録音記録上否定できないものであることを、2011年1月に把握し、その際、事実に反する捜査報告書を作成した理由は『記憶の混同』によるものという判断が、最高検まで報告され、了承されている。まさに田代検事の『記憶の混同』の弁解は、供述調書に記載されたよりはるかに重い『検察の組織的な承認』を経たものになっているのである」(「最高検報告書の不当性と本件の明白性」健全な法治国家のために声を上げる市民の会)ということで、こんなバレバレの大嘘を繰り返すよりは、検察総長以下国民に詫びるということがなぜできないのか、不思議でなりません。デタラメもここに極まったというべきでしょう。少なくとも検察当局は自己保身のためならば、それが冤罪を構成しようが2の次であることを、組織の意思として持っているということになると思います。どこにでもありそうな話ではありますが、あえて確認できたことで、この組織も解体的出直しが少なくとも外部の人間を交えるなどして必要であるということになってきそうです。
また、田代検事ほかの処分に関して新聞各紙は「身内に甘い処分」という報道の仕方をしたところが多数ありましたが、検察の論理破綻にまで突っ込んで記事にしたところが少なかったのが私には驚きで、「検察に甘い報道」と皮肉りたくもなってきます。(「不起訴に関する各紙新聞報道、社説等」参照)
検察当局はもう負けです。そして、この敗北は、私見を言えば、現政権の無責任さや法務大臣の権限の無力さ、並びに国会議員の本件に対する関心の低さ、さらに国際世論に問う途、たとえば国連の自由権規約委員会との協調の必要性など、課題が明確になってきています。解体的出直しがどの程度のものになるかはわかりませんが、少なくとも検察庁法の改正に着手する必要があると考えるのが妥当ではないでしょうか。
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司法・冤罪等
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