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去る11月のある日、母が亡くなった。
満90歳だったが、70歳に見えた。
喪主だった私は、葬儀の日、花束を柩の中に入れるとき、眠ったままの母にこう告げた。
「さようなら」
なんの装いもなく口走ったその言葉は、私が発した言葉なのか、母が私に発した言葉なのか、
わからなくなっていた。
とにかく、この言葉とともに、母の亡骸は煙になって宙空に消えていった。
それは母との別れであると同時に、
母からの愛の大きさに初めて気づく瞬間であり、
そんな愛を一瞬のうちに失って、
真空状態に、
無重力状態に
なっていた私は年甲斐もなく、
ただべそをかき続けるしかなかった。
受ける愛と授ける愛。
受ける愛だけが大きくて、授ける愛のなんと貧弱だったことか。
私はいつの間にこんな冷たい人間になっていたのだろう。
私は、
何者にも手を差し伸べられることなく、
坂道を転げ落ちていくだけの
ひとつの塊に過ぎないような気がしていた。
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よっしー詩集
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はじめまして・・。私が発した言葉なのか、母が発した言葉なのか・・・。この一行に『よっしー本店』の万感の思いが込められていますね。私は今年70歳、二十代で姉を亡くし、四十代で父を亡くし、五十代で母を亡くし、六十代で兄を亡くしました。今は、次姉と次兄の三人となりました。命あるものは、いずれ終えるとは、自然の摂理ですが、この詩に込められている万感な思いは、亡くなるものと残された者の線上の叫びですね。
2013/1/10(木) 午前 11:09 [ kabanotakara ]
コメントありがとうございます。母が私に授けた愛の大きさにその時は気づかずにいて、こうして思い出の中の出来事になってみて初めてそれを知るとは。
「命あるものはいずれ終える」そうですね。やがて、この生をまっとうした後は、広大な宇宙の一要素として新たな始まりとなるのかもしれませんね。
2013/1/11(金) 午前 0:11