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 かつて私は、バド・パウエルのノン・ペダル奏法が、ジョン・ルイスやセロニアス・モンクのペダルを駆使してシングルトーンに表情を持たせるやりかたと好対照をなしていると書いたことがあった。その考えは今でも変わっていないが、時代的要請によって多少同じような傾向を持つこともある。例えばバド・パウエルのフェバリット・ナンバーである「アイ・シュッド・ケア」におけるアプローチの変化を47年のルースト盤と56年のヴァーヴにおける演奏とで聴き比べてみた時に、後者が前者ほどの健康状態と勢いを保持できなかったことを割り引いてみても、56年の演奏が名演であると認識されるためには56年まで待たねばならなかった。同じことはモンクの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」についても言える。54年のヴォーグ盤の演奏と57年のリヴァーサイドの傑作「セロニアス・ヒムセルフ」における同曲とではアプローチが全く違うし、後者の演奏が聴衆に受け入れられるためにはいくつかの段階を踏んでもらう必要があった。

 話が思いもよらぬ方向へ進んでしまって、このあたりで急ブレーキが必要になってきているが、ビバップの特徴的スタイルであったノンペダル奏法はかくしてジャズシーンから姿を消していった。バド自身はもとよりソニー・クラークやバリー・ハリスらのパウエル直系のピアニストたちは、リズムに対して遅れ目に乗るというやり方で個性を維持し、あるいはデューク・ジョーダンのようにタッチの強弱が生み出すダイナミズムに活路を見出すもの、ケニー・ドリューのようにオスカー・ピーターソンのようなスタイルに次第に変わっていくものもあった。

 そんななか、私が注目したのはウィントン・ケリーだった。ケリーといえば、「ケリー・ブルー」の印象が強く、とくに「朝日のようにさわやかに」のイメージが強烈で、ファンキーなピアニストの代表みたいに思われている。しかし、私が注目したのは彼の微妙なタッチであった。指が鍵盤を抑えている時間がわずかに長いため、とても人間的な温もりを感じさせるということに気がついた。
 そのルーツを、私はカウント・ベイシーにみる。もちろん、ピアノスタイルそのものは全く異なっている。あくまで、鍵盤と指との関係、鍵盤にからまる指の状態である。といってもピアノが弾けない私が言っているだけであるから、たかだか知れている。1967年録音のマイルストーン盤「フル・ヴュー」を聞いてそう思った。ちなみに、カウント・ベイシーの方は「カウント・ベイシー1942」というフィリップス盤を参考にした。

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