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人間の想像力の限界というのは少々オーバーな表現であったが、人間が陥りやすい錯覚というものがある。たとえば、宇宙の誕生したのはどれくらい前かとか宇宙の広さはどれくらいかという問いかけを我々素人は簡単に受け入れているけれども、宇宙という得体の知れないものを対象にするときにはそもそもその問いかけはそれ自体錯覚に陥っていないかという確認が必要ではないだろうか。
どういうことかというと、人間の発想は人間の肉体が体験したものを中心に組み立てられていて、一方で宇宙にあるものは人間の体験したものばかりではないということなのだ。たしかに、光といえども有限のスピードのなかでの世界であるということや、宇宙空間では重力から開放されるため方向の観念を同時に失うことまでならば私たちは疑似体験をしている。前者は、光でなく音が遅れて届いた体験を持っているし、後者は水中で浮力がかかった状態というのを知っている。 しかし、宇宙の「誕生」というとき、宇宙というものが「誕生」したものかどうかという疑問が私にはある。つまり、万物に始まりと終わりがあると考えるのは早計だということだ。
始まりや終わりという発想は人間に寿命がある=人間の生涯に始まり(誕生)と終わり(臨終)とがあるためにその体験と事実にひきずられている可能性があり、宇宙に大きさ(限界)があるというのも、人間の目に見えるものにはみんな大きさがあったという事実に影響されていると疑われる。 逆に言えば、もし原子がものを考えているとしたら、様々の分子化合物やその共同体組織としての生命体が「死」を迎えたならば、各々の原子は生命体としての体験(=思考的限界)から自由になり、宇宙へ帰っていくのである。時を経て原子のうちあるものは再び輪廻のごとく結合と分解を繰り返す。「死」を迎え宇宙へ帰る原子のさまは、あたかも「神の国」に霊魂が呼び戻されるかのような印象を持つのである。
大きな嘘ほどバレにくいという。さしずめ本文は、いくつかの思いつきを乱暴に縫い合わせただけの代物で、大ボラのたぐいである。このような無責任な文章はあまり人目にふれぬ所で一種のジョークとして物好きな人々の目に止まれば十分である。
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無題
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