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私は裁判員制度を憲法違反だと思っています。その最も大きい理由は、国民に対して憲法に謳われていない新たな義務を強いているからです。
私は憲法や法律に関しては素人ですので間違っているかもしれません。しかし、素人が憲法や他の法令を紐解くところがいいのだと思っています。憲法は国民みんなの財産です。裁判官や検察官、弁護士のような専門家はいますが、解釈の仕方はまちまちです。そして、彼らも同じ人間です。人間だからこそ間違いもあれば嘘をつくこともありえます。もちろん、大抵の専門家の方々は人一倍正義感の強い方々だと思いますし、そのようなことは最小限と思いますが、ゼロではないということです。
憲法第十二条にこうあります。
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
つまり、国民は権利の上に眠ってはだめですよ、と言っているのです。このことが私たち国民をして、専門家にまかせっきりではなく憲法を自ら紐解くことが必要とされるゆえんです。
さて、話を元に戻しましょう。国民に義務を強いているといっても、そのようなことはほかにいくらだってあるではないかと思われる方もあるかもしれません。たとえば安全運転をする義務だとか、公務員の職務上知りえた秘密を守る義務だとか、著作権を守る義務だとか‥‥。国民がこんな義務で統制されているから、社会が健全に動いているのではないか、義務のひとつやふたつ増えたからって反対ばかりしていては、世の中よくならない? なるほど。そういうお考えももっともです。
ですが、裁判員として裁判に参加する義務というのは、そのような義務とまったく違うという私の考え方を説明いたします。
憲法が規定する国民の義務というのは3つあって、納税の義務、教育を受けさせる義務、勤労の義務がそれです。
第二十六条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
② すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
このうち、違反者に対して国家権力が直接実力行使できるものは、納税の義務だけだと思います。教育を受けさせる義務と勤労の義務については、それが義務であると同時に権利であるため、国家権力による実力行使がなじまないからではないでしょうか。納税の義務は当人が望むと望むまいとにかかわらず義務が発生し、合理的な理由もなしにこれを拒否すると財産権の一部が差し押さえられ、虚偽の申し立てをしてこれを逃れようとしたならば刑事罰の対象ともなる厳しい定めです。かつての日本にはこれと同様の義務ががありました。兵役に服する義務です。どちらも当人が望まなくても一定の年齢に達した男性であれば義務が発生したわけです。
先に挙げた安全運転をする義務とかは、確かに星の数ほどありますが、いわゆる「国民の義務」ではありません。むしろ「義務」というよりも「制限」といったほうが分かりやすいと思います。なぜなら、自動車を運転したり所有したりするときにいろいろな義務が発生するのであって、運転するかどうかは個人の自由な選択に任されているからです。公務員の守秘義務も公務員という職業を選択した時に初めて生じるもので、著作権を守る義務でも、著作物を取り扱うに当たって制限があるということに過ぎないわけで、いずれも第一歩の行い自体は本人の自由意思で選択できるので、憲法第十三条と矛盾しないのです。
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
さて、ここで憲法第十三条を引用しました。これは、基本的人権に関するベーシックで包括的な考え方を示したもので、この条文があればこそ、同じ憲法の条文に別途うたわれているのでない限りは、国家が国民に義務を強いることはできないと解釈するのが、私の考え方です。
どうも、私の長ったらしい記事に付き合ってくださってありがとうございます。 |
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以前、長阿彌幹生(ちょうあみ・みきお)氏の講演を聞いた時の記憶がしばしば私を虜にしています。自分の個性を怪しんで、そこから自分の発想や論理展開の癖を知ることをベースにした同氏の「なかよし」志向。いま、私は好むと好まざるとにかかわらず、そのようながけっぷちに立たされていることを思い知らされています。嫌な奴、ろくでもない奴と思われているのだろうなぁ、きっと。目立ちがり屋の割には、自己矛盾がたくさんあって、それに気が付いてないのは本人だけだったりして。初老期というのは、このような時期なんだろうか。
いやいや、そんな捨てたものでもない(と思いたい!)。そのような自己点検をすればこそ、人間成長するのかもしれない、成長することは痛みを伴うもの。そして、人間成長し続けるもの。私の弱点は①面倒くさがり屋②うそつき③不誠実‥‥といったところです。
ヤマハのアルトサックスが手元に届いた折も、なにこれ。まるでオモチャじゃん‥‥と、自分のへたくそを棚に上げて、ずいぶんと思い上がったことを考えていました。せっかく、新しい相棒が来たというのに、なかよしになるのをこちらから拒絶しておいて、すっごいわがままになっていたなぁ。行く道に迷ったこんな時は礼儀に立ち戻りこと。すなわち、リードの選び方一つにしても、マウスピースへの取り付け方にしても、とにかく相棒への礼儀と心得て、丁寧にやることですよね。
人間って、気を抜くとわがままになる動物らしい。だからこそ、人間たちは倫理や神を必要としたのかもしれません。
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クィンシー・ジョーンズの若かりしころの傑作「私の考えるジャズ」は、クィンシーの傑作であると同時に、フィル・ウッズの名演でも知られるアルバムです。ビッグ・バンドの経験がある方なら、ああ、「スリーピン・ビ
ほかには、デューク・ジョーダンのアルバムとして有名になってしまった「シグナル」にホール・オーバートン・カルテットの演奏が4曲入っていますが、メロディアスで親しみ深いフィル・ウッズのアドリブが楽しめます。しかも、4曲というのが「ペニーズ・フロム・ヘヴン」「イエスタデイズ」「イッツ・オンリー・ア・ペーパー・ムーン」「ユード・ビー・ソー・ナイス・カム・ホーム・トゥー」とスタンダード・ナンバーがずらり。
1950年代の彼の演奏は音がクリアーな分、比較的コピーしやすく、アマチュアのアルト走者に人気があるのもうなずけます。その点、コピーしづらかったのがジャッキー・マクリーンで、何の音を出しているのか分からなくなる瞬間が多々ありました。
フィル・ウッズとチームを組んでいたジーン・クイルもすごくウッズに似ていて、ちょっと聴いただけではどちらがどちらか区別がつきません。しいて言えば、クイルのほうはいくぶん音が細いような気がします。でも、ほんとにそっくりでした。
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アメリカの「ダウンビート」誌の人気投票のアルト・サックス部門でチャーリー・パーカーを抜いて首位に輝き、以後11回もポール・ウィナーに選ばれたポール・デスモンドは、決して人気だけのミュージシャンだったわけではありません。
なぜ、このような回りくどいことから書き始めたかというと、世の中にはコマーシャリズム(商売優先主義)に堕した作品もないわけではありません。あるミュージシャンの持ち味を活かしきれずに流行のみを追いかけていく企画
ポール・デスモンドが人気でチャーリー・パーカーを追い越したから? デスモンドが白人だったから? デイヴ・ブルーベック・カルテットが保守路線を選択していたから? 高収入を上げていたから? どれもポール・デスモンドの高い音楽性を否定する理由にはなりません。私もパーカーは大好きです。でも、パーカー・スタイルだけがいい訳ではないし、そんなのってとても窮屈な発想だと思います。
さて、それはそれとして、かのデイヴ・ブルーベック・カルテットの演奏よりも、RCAにおけるジム・ホールとのカルテット演奏のほうが私は好きです。デスモンドの魅力を引き出すのにはシンプル・イズ・ベスト。ジョー・モレロという名人の存在がむしろ仇(あだ)になっているのでは‥‥というのが私の意見。その点、地味なコニー・ケイのほうがぴったしというワケ。
1曲目の「ホエン・ジョアナ・ラブド・ミー」でのデスモンドのせつなさ、ホールのあたたかさ。まいった!
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私事でr恐縮ですが、もう18年たとうとしています。私が職場の上司から、パワー・ハラスメントを受けて、実につらい日々を送っていた時期がありました。死ぬよりほかに脱出の方法がわからずにいたところを、妻をはじめいろんな人たちに支えていただき、何とか職場復帰を果たし、それから6年という長い時間をかけてやっと精神を安定させることができました。その傷心の日々に、私を励ましてくれたレコー ドを私は一生忘れないでしょう。それはジョン・コルトレーンでもなければエリック・ドルフィー
さて、「レスター・ヤング・アンド・カンサス・シティ・シックス」というこのアルバムは、「はるかなるニュー・オリンズ」という、サッチモやビックスの名演でも知られるデキシーのスタンダード・ナンバーで始まりますが、私はそのころまでレスターがクラリネットを吹くということを知らず、このテーマ部分も誰かほかの人が吹いているか、それともレスターのテナーが高音を出していてそれがまるでクラリネットのように聞こえてしまうのか、そのいずれかとばかり思っていました。
チャーリー・クリスチャンに先立つ電気ギターの先駆者として知られるエディー・ダーハムは、「黄金時代のカウント・ベイシー」でも聴くことができましたが、あれ? この人、トロンボーンも吹くんだったってけ? え?フレディー・グリーンがボーカルやってんの?‥‥的なサプライズの要素も含んだ、平時(?)に聴いてもゴキゲンなアルバムであることに間違いありません。
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