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ある休日

午前10時に目が覚めた。
妻はすでに仕事に行っている。
早くも、一日を無為に過ごしてしまうのではないかという心配が頭をよぎる。
いつもならば、そうならないうちに焦って楽器の練習を始めたりするのだが、
今日はそれも虚しい気がしている。

机の上が散らかってるなあと、片付けるつもりで文庫本のいくつかを手に取ると、
その中の1冊、八木啓代の「危険な歌」を開いた。
既に読み終えていた本だが、「あとがき」にはどんなことが書かれていたか気になったのだ。

それを読んだあと、机の上に無造作に置かれた八木のCDを手に取ると、
久しぶりにかけてみた。
“LA LLORONA”
とてもとても当たり前のことだけれども、八木の歌は真剣だ。
歌手であれば真剣なのは当然なのかもしれない。
でも、八木の歌だけに真剣さを感じてしまうのはなぜだろう。
それは「歌う」ことの意味が、根本的に違っているからだろうと思う。

閉ざしかけていた私の心に一条の光が差し込んできた。

若いときから私が唯一こだわってきた価値観があった。
それは少数者の声を聞こうというものだった。
それは、かつての私が少数派として日常を送っていた名残でしかない。
だが、少数者たちは声をあげようと心に誓うまでに長い歴史を背負っている。
自己否定の壁を突破し、自己肯定を突き抜けて、他者肯定、人間肯定に至って、
小さな気づきや疑いは、確信という翼を身につけ、大空から地表を見下ろす眼差しには、
いつしか誇りに満ちた笑みを湛えているのだ。

しかし、時代もまた変わる、容赦なく変わっていく。
いつの間にか、世の中は私だけをおいてけぼりにして先に先に行ってしまう。
お前なんかいらない、お前なんかいらない‥‥
常に私はそういう残響に怯え、耳を塞いでいるうちに、
自分の歩むべき道すら見失っていたのだ。

閉ざしかけていた私の心に一条の光が差し込んできた。
その光は、私の見失っていた道を強く照らし出しているような気がした。
 またまた八木啓代さんの著書です。
 とにかく、文章がうまいっ! ジャズにはある程度通じているつもりの私ですがラテン音楽にはさっぱりで、知らない人の名前ばかり並んでいます。さぞかし、読んでてもつまらないだろうと思いきや、不思議と惹かれていくんですよねえ。それは彼女の生き方が痛快で、そしてそのことを表現する力も兼ね備えているからだろうと思います。
 何よりも音楽に対する関心の持ち方が、我々とは雲泥の差というか、日本の音楽評論家たちが真っ青になりそうなくらい、音楽評論に対する真摯な姿勢が脈打っています。こういうのを読まされると、音楽評論というものがいかに学術的であらねばならないか、そして本来はとてもとても大切な役割を果たすことが期待されている職業なのだなあと実感。
 八木氏は歴史的な考証を非常に重んじます。そのうえ、その土地その土地に出向くことを厭わず肌で感じたモノをミックスさせることで、立体感のあるアプローチになって、しかも八木氏自身の生活描写がほどよく絡んで面白おかしく描かれているのだから、とても読み応えのある作品になっています。
 これほど、音楽というものを大事にする人がいようとは、思いもよらなかったというのが正直な感想です。中南米がアメリカからの容赦のない介入にさらされながらも、人々が持ちこたえているのは、実に音楽などの誇るべき文化があるからなのか。
 それに比して、ジャズジャーナリズムが何か役割を果たしてきただろうか。あまりにも、アマチュアっぽいか、マニアックなだけのマスターベーションに過ぎなかったと私には思えてきました。

 水銀の使用や輸出入などを規制する新条約の内容を固める政府間交渉委員会第5回会合が1月13日、スイスのジュネーブで始まりました。一方、研究者や一般市民が「水俣病」をめぐる課題を報告し、意見を交わす水俣病事件研究交流集会も12日、水俣市公民館で開催され、ジュネーブにおける外交交渉もテーマとなっており、条約名を「水俣条約」としたい政府方針への反対意見が相次いだそうです。

 私はジュネーブでこのような会議が開かれているなどということ自体、今朝のテレビニュースで初めて知った次第ですが、そのような私でも「日本政府は条約名を『水俣条約』としたい考え」とのニュースに、地元の反発はないのだろうかと反射的に思ったほどです。

 そもそも、名誉なことであれば自治体の名称を使うことに意義はないのですが、たとえばこれを「日本条約」とか「九州条約」とかに置き換えてみれば、地元水俣市の苦悩が少しはわかると思います。「日本=水俣病」「九州=水俣病」でないのと同じように「水俣=水俣病」ではないのです。今回の議論を機に、「水俣病」という名称をも変更すべきかもしれません。

 現在「復興」が進む水俣市においてもっとも恐れているのは、風説被害であろうと思われます。特に、水俣問題では裁判への影響を考慮しすぎたためか企業側と行政の対応が大幅に遅れました。その結果、地元では「水俣病」患者に対する差別や住民同士の分裂を招き、しかも裁判の結果は国や県、そして企業に非常に厳しいものでした。

 地元にも国側にも自殺者が出ました。忌まわしい歴史は教訓として整理しながら未来と国際社会に向けて発信すると同時に、実生活の上では希望に満ちたまちおこし、まちづくりが求められてくるでしょう。そういうなかで、地元と国や県との信頼回復が模索されていたに違いありません。

 もっとも、理想的なことを言うならば、日本国民に人権という普遍的な文化が根付いておりさえすれば条約の命名に一喜一憂することでもないのかもしれません。しかし、現実問題として風説の被害が絶えない日本という国にまだまだ人権文化と呼べるものは少ないといわねばなりません。
 そして、水俣市民の意見を聴き政策に反映させるという、当然ともいえる政策決定の筋道がどの程度、大切にされていたのでしょうか。

 沖縄、福島、水俣‥‥どこか似ていると感じるのは私だけでしょうか。

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 かつて私は、バド・パウエルのノン・ペダル奏法が、ジョン・ルイスやセロニアス・モンクのペダルを駆使してシングルトーンに表情を持たせるやりかたと好対照をなしていると書いたことがあった。その考えは今でも変わっていないが、時代的要請によって多少同じような傾向を持つこともある。例えばバド・パウエルのフェバリット・ナンバーである「アイ・シュッド・ケア」におけるアプローチの変化を47年のルースト盤と56年のヴァーヴにおける演奏とで聴き比べてみた時に、後者が前者ほどの健康状態と勢いを保持できなかったことを割り引いてみても、56年の演奏が名演であると認識されるためには56年まで待たねばならなかった。同じことはモンクの「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」についても言える。54年のヴォーグ盤の演奏と57年のリヴァーサイドの傑作「セロニアス・ヒムセルフ」における同曲とではアプローチが全く違うし、後者の演奏が聴衆に受け入れられるためにはいくつかの段階を踏んでもらう必要があった。

 話が思いもよらぬ方向へ進んでしまって、このあたりで急ブレーキが必要になってきているが、ビバップの特徴的スタイルであったノンペダル奏法はかくしてジャズシーンから姿を消していった。バド自身はもとよりソニー・クラークやバリー・ハリスらのパウエル直系のピアニストたちは、リズムに対して遅れ目に乗るというやり方で個性を維持し、あるいはデューク・ジョーダンのようにタッチの強弱が生み出すダイナミズムに活路を見出すもの、ケニー・ドリューのようにオスカー・ピーターソンのようなスタイルに次第に変わっていくものもあった。

 そんななか、私が注目したのはウィントン・ケリーだった。ケリーといえば、「ケリー・ブルー」の印象が強く、とくに「朝日のようにさわやかに」のイメージが強烈で、ファンキーなピアニストの代表みたいに思われている。しかし、私が注目したのは彼の微妙なタッチであった。指が鍵盤を抑えている時間がわずかに長いため、とても人間的な温もりを感じさせるということに気がついた。
 そのルーツを、私はカウント・ベイシーにみる。もちろん、ピアノスタイルそのものは全く異なっている。あくまで、鍵盤と指との関係、鍵盤にからまる指の状態である。といってもピアノが弾けない私が言っているだけであるから、たかだか知れている。1967年録音のマイルストーン盤「フル・ヴュー」を聞いてそう思った。ちなみに、カウント・ベイシーの方は「カウント・ベイシー1942」というフィリップス盤を参考にした。

母との別れ

去る11月のある日、母が亡くなった。
満90歳だったが、70歳に見えた。
喪主だった私は、葬儀の日、花束を柩の中に入れるとき、眠ったままの母にこう告げた。
「さようなら」
なんの装いもなく口走ったその言葉は、私が発した言葉なのか、母が私に発した言葉なのか、
わからなくなっていた。
とにかく、この言葉とともに、母の亡骸は煙になって宙空に消えていった。
それは母との別れであると同時に、
母からの愛の大きさに初めて気づく瞬間であり、
そんな愛を一瞬のうちに失って、
真空状態に、
無重力状態に
なっていた私は年甲斐もなく、
ただべそをかき続けるしかなかった。
受ける愛と授ける愛。
受ける愛だけが大きくて、授ける愛のなんと貧弱だったことか。
私はいつの間にこんな冷たい人間になっていたのだろう。
私は、
何者にも手を差し伸べられることなく、
坂道を転げ落ちていくだけの
ひとつの塊に過ぎないような気がしていた。

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