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 カルロス・サラテというメキシコの怪物ボクサーがいました。怪物といっても、ピピノ・クエバスのようなタイプではなく、どちらかといえばじっくりと痛めつけてノックアウトするタイプで、そう言う意味ではアルゲリョに似てもいますが、個人的な印象としてはアルゲリョがヒーローとして受け入れられていたのに対して、サラテの場合はひょっとしたら母国メキシコでは悪役としてのし上がってきたのではないかという気もしています。なんせアラクラン・トーレスやロドルフォ・マルチネスら、メキシコの英雄たちをたっぷり痛めつけてチャンピオンになったからです。もっとも日本人としての感覚で想像しているので、メキシカンたちの感覚とは違うかもしれませんが‥‥。

 それはともかく、カルロス・サラテの試合を見ていて非情なイメージに囚われてしまうのは私だけでしょうか。ちょっと例えは違いますが、大相撲において舞の海という関取が人気を博したのは、体格的なハンディを相撲界の常識を覆すような作戦によって突破していくというところに爽快さを感じたファンが多かったからだと思います。そこには、ドラマがありましたし明るさと安堵感もありました。

 カルロス・サラテの場合には序盤の2〜3ラウンズを観ただけで、どうも勝敗の行方が予想されてしまい、実際その通りになってしまいます。サラテの強さの特徴は、まず膝の動きが柔らかでフットワークが自在にできるし体重の移動もスムーズです。そのため、一旦距離を置いても大きく踏み込むことによってスピーディに攻撃に移ることができますし、腰の回転を活かした強打を繰り出すことができるものと考えられます。それを可能にしているのは、バンタム級では珍しいほどの長身とリーチの長さ、もちろん目の良さやボクシングセンスも傑出しています。そして、身体全体が強靭なバネのようです。
 二つ目は、ガードが高いとはいえ試合を見ると結構被弾しています。カルロスの場合も他のメキシカン同様、非類のタフネスとカウンターを受けないカンの良さがあります。もっとも、そんなことはメキシコのリングで生き抜くには最低条件なのかもしれません。

 今の私にとっては、プロボクシングの選手にあそこまでの完璧さは期待してもいません。格闘技などのスポーツにおいては、ひたすら強さを求めて観る見方と、ドラマ的なものを期待して観る見方とがあると思います。言い換えると、完璧さに憧れる感覚と人間的な弱さを含めて応援したいという感覚との違いでしょうか。私は若い頃はどちらかといえば前者でありましたが、歳を重ねるに従って後者になってきました。もっとも、メディアによって作られる部分が多いのでしょうけれど。
 1975年10月11日に行われた、カルロス・サラテとアラクラン・トーレスとの試合で、善戦した老雄トーレスの健闘をいたわるかのように、会場を埋め尽くしたメキシカンたちが試合後起立していたことに感動を覚えました。

私の中の金子みすゞ

 母の四十九日が済んだのを機に、昨日から妻と大学生になったばかりの次男との3人で山口県湯本温泉に骨休めに行ってきました。27歳になる長男が下関市の物販店に勤めているため、電話してみたところ午後から休みが取れるとのこと。温泉が好きな長男は、明日が仕事なので一緒に泊まることはできないけれども、宿で一緒に飯を食うことならできるというわけで、昨日の夕刻まで久しぶりに家族4人揃ってのひとときを過ごしました。長男が帰ったあとはカラオケボックスに行ったりボーリングをしたりして、遊びました。

 さて、今日は近くにある金子みすゞ記念館に行ってきました。次男が文芸クラブに入ったと聞いていたので、何かの役に立てば幸いと思って、行ったわけです。それまでの私は金子みすゞに関して、命の捉え方が宮沢賢治に似ているような気がしていました。特に「大漁」や「お魚」に表されるように、命あるものに対する愛が宮沢賢治の父との確執にまで及んだという生命に対する尊敬――しばしばそれは魚の喩えで表現された――に似ているように思えたのです。

 しかし、金子みすゞ記念館に行って思ったことは、金子みすゞが宮沢賢治に似ていようがいまいが、どうだっていいじゃないかということでした。金子みすゞが、日本国憲法が生まれるよりもずっと前に、生命に対する尊厳と自由について、輝きに満ちた感性で、生活感のある平易な言葉を使って詠い続けてきた、その詩の一つ一つを愛しぬこうと思ったことでした。

 「鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。」
 これはまさしく、十数年を経て憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」として国民の全てに恵みの雨となって降り注ぐことを預言していたかのようです。

 金子みすゞが天才であったかどうか、それは私にとってイエスが神であったかどうかという問いかけと同じくらいどうでも良いことです。それよりも、彼らの言霊のほとばしりを全身で受け止めていきたいと思います。
 ある政党の改憲案に、憲法18条の前段にある「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」の一文が削除されているとの情報がありました。

 憲法には、法規として機能している側面があることはもちろんです。ただし、この場合は国民を国家権力の暴走から守ることが憲法の法規としての位置づけであるため、原則として民事間の争いに対しては、憲法を根拠にすることはできないといわれています。もっとも、民事間であっても、公序良俗の解釈上憲法が引き合いに出されることはありうるということのようです。

 さて、憲法には法規としての側面以外に、人の生き方を示す教典的な側面があります。たとえば、第12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」という条文は、「自由及び権利」は国民が努力することで、維持することができるし、外形上は権利の行使であるように見えても、他者の基本的人権を侵したり公序良俗に反したりするようなことがないように責任をもって「自由及び権利」を行うことが求められている。」ということを述べているのだろうと思います。

 ところで、奴隷的拘束とは一体何でしょう。たとえば、いじめはどうでしょう。自分の行おうとしていることを自分で決めるのは、第13条で「個人として尊重される」以上、当然のことかもしれませんが、いじめを受ける環境は自分で自分の行いを決めることができない、いわば奴隷的拘束を受けているということを自覚していることが前提となります。だから、彼らは「いじめられている」ことを告白しようとしないのです。それは、すなわち自分が奴隷であることを明らかにすることにほかならず、屈辱を伴うことであるからです。しかし、奴隷的拘束であることを直視して、憲法もそれを許していないのだ、社会全体が自分を支えるはずだ、と考えることができれば、現状を突破する第一段階にたつことができるかもしれません。

 DVでも同じことが言えるかもしれません。また、陸山会事件でも、行き過ぎた取り調べが問題になりました。取調室で行われていることは、たとえば任意の取り調べであれば、いつ帰ろうと自分が決めれば良いことであるはずなのに、それができない状態というのは奴隷的拘束にハメられているということで、明らかに憲法違反であるとうことを自覚して、次の一手が打てるということになります。
 このような状態に対して「奴隷的拘束」というショッキングな言葉をあえて使うことで、あらたな発見もあると思われます。言葉の魔力というものですかね。

 Yahoo! JAPAN政策企画によると「本日の公示から12月16日の投開票までの選挙期間中は、インターネット上で特定の候補者を当選させることや落選させることを目的とした書き込みをすることが禁止され」るそうなので、大事をとって、ジャズ・ボーカルの話題でも。

 ナンシー・ウィルソンという歌手のことを私は長い間詳しくは知らずにいたし、ジャズからポピュラーまで歌う姿勢に根拠のない違和感を覚え、自然と遠のいていたのかも知れません。しかし、この歳になって若い頃のナンシーの歌を聴くと、このあたりがジャズ・ボーカルのひとつの曲がり角だったのかなと思います。それまでのジャズ・シンガーといえば、ビリー・ホリデイやダイナ・ワシントンほど極端でないにしろ、アニタ・オデイにしろサラ・ボーンにしろ、クリス・コナー、カーメン・マクレイにしろ、それぞれにアクの強さがあり、それがまた魅力であったわけですが、ナンシー・ウィルソンから一種のアクのなさが個性となる時代へ入ったのかもしれません。

 こういうとナンシーのボーカルを否定的に聞いているように思われそうですが、ひとことで言って大好きです。ただ、ダイナ・ワシントンやビリーやアニタほど好きになるのに時間がかかったわけではない、聞いた瞬間、ああ、いいなと反射的に思えたというだけの話です。平たく言うと、色気にやられたということかね、やっぱし。

 続きまして、偉大なるエラ・フィッツジェラルドの話。
 この人の歌は、それこそジャズを聴き始めて間もない人から、何十年と聞いてきたうるさがたまで、ひろくアピールするところにあります。くわえて、チャレンジ精神が旺盛なのも持ち味の一つで、お馴染みとなった「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」が、得意のスキャットをはさんで、いつのまにか「煙が目にしみる」に変わって終わるという、一流のジャズでありながらエンターテイメントの極致を切り開いたところなどがそれです。トミー・フラナガンとの呼吸もばっちりでした。

 この人が、いかにすごいテクニックを持っていたかということは、かのチャーリー・パーカーをして「あんたがホーン奏者でなくてよかったよ」と言わしめたという逸話からも明らかですし、いかにアメリカ人から愛されていたかということは、モハメド・アリの誕生日(おそらく40歳の‥と思いますが)を祝うTVショーに、病身でありながらサプライズとして出演し、アリや司会を務めていたレナードはもとより、会場全体がスタンディングオペレーションで迎えたことからも分かります。偉大なシンガーでした。
 フリージャイナリストの上杉隆氏によると、海洋汚染に関して、今後日本に課せられる国際賠償額は相当な高額になる可能性があります。そういう借金を新たに背負い込むことになるのは、日本が、国境を越えた被害の損害賠償訴訟を事故発生国で行うことを定めた国際条約に加盟していないためだそうです。このため、福島第一原発の事故で海に流れた汚染水が他国の漁業に被害を与えたり、津波で流された大量のがれきに放射性物質が付着した状態で他国に流れついたりして被害者から提訴されれば、原告の国で裁判が行われます。賠償金の算定基準もその国の基準が採用され、賠償額が膨らむ可能性があるというわけです。
 原子力発電にはこのほか使用済み核燃料をどうするかという重大な問題が残っていますし、事故で被災した労働者や住民のケアの問題、がれき処理などによって日本全国に広がりかねない放射能汚染の除去や、汚染によって引き起こされる健康被害に要する医療費の増大など、コストだけを考えても膨大な額にのぼります。
 さらに原発は既に「安全神話」が完全に崩壊しました。この点を直視しない政治家はほかの政策でも全く信用することができません。国民の生命を軽んじているような人間に政治をさせてはいけないと思います。

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