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「昔の人はいいことを言っていた」とよく言われます。本当でしょうか? というと、私が昔の人たちを軽く考えているように聞こえたかもしれませんが、全くその逆です。昔の人たちは、凄かった‥‥そのことをいちばんよく知っているのは国家権力の中枢にいる人たちだとおもいます。
ところで、狩猟生活から農耕生活に移り変わって次第に富が蓄積されるようになった、そして貧富の差が生じた、そんなことが国家権力誕生の由来であるように私ら学校で習いました。しかし、ありきたりで面白くない。長年自分でものを考えるうちに面白い仮説を立てて、ひとり楽しむという不健康な特技が身についてしまいました。国家権力の誕生は、実は中国から伝来した文字を一部の人たちが独占することから始まったのでした(と、私は何の証拠もなく決め付けるのでした!)。
文字を読み書きすることにより、人間は自分が学んだことや覚えたことを記録することが可能になります。そして、文字によって人に伝えることができます。さらには、文字によって自分が体験したことがない世界にまで、踏み込むことができます。こういう新しい能力を手にした人々が、この恩恵をほかの人々には知らせずに何世代かにわたって能力を独占していたとしたら、階級の差が歴然となるのは必至だったのです。しかも、文字は新しい文明とともにやって来たのです。
これらの人たちは「天皇」という存在を創り上げました。天皇制というシステムが実に旨みのあるシステムであるということに早くから気がついたのです。権力者たちは天皇を神格化し、ありとあらゆる演出を施して民衆に畏れを抱かせる一方で、生かさず殺さずまるで植物のように栽培することでコントロールできる存在として完成させたのでした。
ありとあらゆる演出とは、ひとつには「祟(たた)り」の思想です。人々が皆、仲良く平和に暮らしていたなら、すなわちすでにパラダイスであったのなら神が必要とされないのと同様に、不安な要素がなければ天皇もまた有難がられません。祟り信仰で不安をあおることにより、はじめて民衆が心の平安をもとめようとします。
もうひとつは「穢(けが)れ」の思想です。「祟り」だけでは不十分と考えた権力者たちは、けがれの思想をばら撒くことで、言い換えると被差別階層を設けることで、天皇を「清い」存在として対極に位置づけることに成功しました。人々はこの幻想にすっぽり嵌まってしまい、少しでも清さに近づこうとします。しかし、もともと人間に清いも穢れたもあろうはずがないので、努力のしようがありません。
権力者たちがこの矛盾を何とかしようとして考えたのは、お祓いというケッタイな儀式でした。この非生産的な儀式は、それでも人々をコントロールするには十分効果がありました。ある者は祟りを恐れて、そしてある者は穢れを恐れて、お祓いという実に仰々しい演出だけの空虚な儀式に縋るようになったのです。
次に天皇が本当に権力を持ってしまうと大変面倒なことになると考えた権力者たちは、天皇を常にコントロールしておく必要があると考えました。まず、天皇家と親戚関係になることで天皇または天皇候補者を常に監視・教育し、マインドコントロールできるように計らいました。さらに天皇から剣を奪いました。天皇を教育と暴力の両面から操ることで、ここに天皇制は初期段階から高度に発展した形でスタートを切ったのです。
そして天皇を操ると同じ方法で、民衆を支配しました。こうして権力者たちは、文字文明を外国から独占的に吸収することで権力者としての礎を築いたのです。この構図は、一千年以上も変わっていないのです。だから、私は昔の人は凄かったと言ったのです。
え? 「昔の人はいいことを言った」かどうかですか? まだ、そんな呑気なことを‥‥。権力者の方々がばら撒いた情報のひとつにすぎないのでありましょうて。
関連 http://www.geocities.jp/yossie_70/yj_kokkakenryoku.htm (よっしー館)
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