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 日本の教育、とりわけ国家によりなされる教育は「尊敬」という概念が大好きです。しかし、そこで提唱される「尊敬」は「愛」とは一線を画した「尊敬」なのであります。私には尊敬という概念が、年齢を重ねるほどに分からなくなってきています。愛の極致を尊敬と呼ぶならばそれはそれで納得いくのですが、どうも国策として登場する「尊敬」は「愛」の入り込む余地もないほど、厳しさで敷き詰められているような気がします。愛の反対は憎しみではなく無関心であるといわれるほどに愛に対する理解は論理的にも深まりをみせているのに対して、尊敬の反対が不敬であるならばもともと深まりようのない押し付けがましい概念であります。
 一方、全国水平社設立の折の宣言文に登場する「尊敬」は「冒瀆」に対置する表現として用いられ、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と続く文脈のなかでも特に異彩を放っている「人間を尊敬する」という表現こそはまさしく人間愛そのものといえます。
 教育再生会議で一旦浮上した徳育のなかには「ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じ、他者や自然を尊ぶこと、芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したものが使用されるようにする」と指摘してありましたが、私の結論を先に言えば今の社会に欠落しているものは偶像化されたものへの尊敬などではなく、日常を共にする者への愛であり、人間であることへの尊敬でしかないということであります。
 ところで、私は天皇や皇室に対する尊敬も思想信条の自由ないしは良心の自由として尊重するものですが、そこに愛があり、人間であることに尊敬を寄せているのでなければ、天皇ご自身にとってありがたいものであるかどうか、はなはだ怪しいところであります。国民との間に距離を置かざるを得ないにしろ、天皇も皇室におられる方々も言うまでもなく生きた人間であります。「尊敬」を受けている代償として基本的人権を損なっているとしたら、その「尊敬」とは「差別」と同義語であります。天皇という存在が現在も国家権力そのものであるという考えに私は与しません。むしろ、国家権力から最も搾取を受け、社会構造的には「栽培」されているに等しい状態にあると思います。天皇は自らの意思で天皇であることを放棄できません。世襲制であることが現憲法に謳ってあるからです。これなどは、幸福追求の権利が完全に否定されており、差別そのものであります。
 故住井すゑ氏は「貴あれば賎あり」と天皇制の本質を部落差別と対極にありながら同根のものとして表現されましたが、制度的にも基本的人権を否定し差別を肯定するものであることは明らかであります。元号が昭和から平成に替わって20年になります。元号そのものを重視しようがしまいが個人の自由でありますが、戦争責任とは切り離した論議が一向に深まらないことが気にはなっているところです。

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