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理念としての憲法

 私は日本国憲法には、法令としての側面と理念としての側面とがあると考えています。法令としての側面として、国を相手取って裁判を起こすときなどに根拠として憲法の条文が引用されます。これはもっぱら国家権力の暴走を防ぐために存在し、民事間同士の争いには基本的にノータッチだとされています。もっとも、まったく影響を与えないのかといえば、民法上の「公序良俗」などの概念に具体性を持たせるために憲法の理念が引用されることはありうるというのが、通説であります。
 
 さて、この理念としての憲法は国民生活のいたるところで活用され、また個人の生き方にも影響を与えています。私が最も好きな条文は、第13条です。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」
 
 「すべて国民は、個人として尊重される」とは、噂や思い込みによって十把ひとからげにされない自由とでもいうのでしょうか。私たちは勝手な思い込みによって、人を傷つけたり、逆に買いかぶったりすることが少なくありません。よく「〜気質」とか「国民性」「県民性」とか、「男らしさ」「女らしさ」「子どもらしさ」などのフィルターを通して人を判断したり、行動を予測したりすることがあります。そのこと自体は必ずしも悪いことではないかもしれませんが、いま自分はそういうフィルターを通してものを見ているという事実を客観的に見つめ、思い違いがありうるということを常に認識しておく必要があります。
 
 たとえば、冤罪という人権侵害が発生する裏には、検察官や裁判官に自分がそういう見方をしているということの事実認識が欠けていると捉えることもできると思います。人間誰しも、自分にとってすわりのよい状態が社会にとっても安定した状態であると勘違いする傾向があります。特に強い権限を持っている検察官や裁判官は、自分の価値観を正当化してはばからないという人間の業がより強く現れるのではないでしょうか。調書を「作文」する慣行が幅を利かせ証拠として採用されるというのは、いかに憲法の理念が検察や裁判所において風化しているのかを示しています。検察官や裁判官といえども同じ人間である以上は、間違うこともあるでしょう。釈迦に説法とお笑いになるかもしれませんが、憲法13条の理念がもう少し生かされるシステムづくり、組織づくりが必要だと私は思います。
 
 本来ならば、検察や裁判所では、そこに勤める一人ひとりに憲法の基本的人権の理念が息づいていなければ国民に範を垂れることはできないと私は思いますが、いまどきそのようなことを期待するほうがおかしいといわれそうです。かといって、それゆえに先般の司法制度改革が求められてきたというわけでもありません。検察改革に消極的な現状を見ていると、検察官がとりわけ憲法を理念として大切にしているふうにも思えず、単に自分たちの「業」を正当化しているだけであるように思えます。
 
 主権者である国民の側に立った真の司法制度改革がやっぱり必要ではないでしょうか。法曹三者のもたれあいで成立した裁判員制度や公判前整理手続等の総括ももちろんですが、それには当然ながら取り調べの全面的可視化が含まれるでしょう。また、国連が求めている諸条約の完全批准に応えていくことも必要で、本来それらは法務省や最高裁の側から提起されるべき事柄であるという風に思います。しかし、国民の支持が得やすいところから改革していくという常道に立つならば、江川紹子氏が主張するようにまずは全面的可視化からということになりましょう。

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