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平成12 年12月6日に公布・施行された「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」は日本において人権教育や人権啓発を同和対策終了後も引き続き実施することの根拠となっている法律ですが、私なりに疑問に思う点がいくつかあるので、問題提起していきたいと思います。以下の法律条文の引用において、下線部分は筆者によるもの。
第一条 この法律は、人権の尊重の緊要性に関する認識の高まり、社会的身分、門地、人種、信条又は性別による不当な差別の発生等の人権侵害の現状その他人権の擁護に関する内外の情勢にかんがみ、人権教育及び人権啓発に関する施策の推進について、国、地方公共団体及び国民の責務を明らかにするとともに、必要な措置を定め、もって人権の擁護に資することを目的とする。
まず、第一条において、下記のとおり、国や自治体と国民とが「責務」という言葉で一律に論じられている点であります。「責務」という言葉は同和対策審議会答申でも使われており、耳新しい表現ではありませんが、国や自治体の義務と国民の権利とを区別せぬまま論じているために権利義務関係があいまいになり、ひいては内容が分かりにくくなっております。
第二条 この法律において、人権教育とは、人権尊重の精神の涵養を目的とする教育活動をいい、人権啓発とは、国民の間に人権尊重の理念を普及させ、及びそれに対する国民の理解を深めることを目的とする広報その他の啓発活動(人権教育を除く。)をいう。
たとえば、第二条の条文を読んで、何の抵抗もなく人権教育と人権啓発との違いが理解できる人は少ないのではないでしょうか。その原因は、国民の権利という概念があまりにも軽視されているということに尽きるような気がします。
もともと憲法は、国の最高法規である以上、行政や司法はもちろんのこと、国権の最高機関である立法府に対しても制限を強いることができ、その制限を国や自治体が侵したときいわゆる「違憲」という問題が生ずるということになろうかと思いますが、「違憲」というところまではいかなくても、立法行為は憲法に定めた基本的人権を軽視することなく進めてもらいたいものであります。えてして、国は違憲でさえなければ立法行為は自由とかんがえがちでありますから、国民の基本的人権も「尊重」されることはむしろ少ないようなkがします。
たとえば、この条文にせよ、人権教育を国民の権利という視点からとらえ、人権啓発を国や自治体の義務としてとらえたら、案外すっきりと理解できるのではないでしょうか。日本においては「教育」というと明治以来推し進められた富国強兵政策に代表されるように国策というものがまずあって、しかる後にそれが結果的に各個人を潤すものとしてイメージされがちですが、国際的にはeducationとは個人の幸福とよりストレートに結びついたものとして理解され、そこから学習権という権利の概念が生まれていったのではないかと思います。日本においては受験や将来のためとして、むしろ大人たちが子どもを追い込むイメージとして「教育」がとらえられているのに対して、諸外国では日常の生活に明日からでも役に立つものとしてEDUCATIONがとらえられている、そういう文化的な違いがあると思います。
話を元に戻しますと、「人権」という本来各人にとってかけがえのない、自分の幸福と切っても切れない概念が、この法律ではやたら国民に責任と義務とを押し付ける窮屈な概念として位置づけられ、広がりが持てないような気がいたします。
さらに悪いことには、これでは国家による個人への権利侵害、たとえば冤罪とか違法捜査、ひいては死刑制度や戦争などに対して全く無防備な「人権」へとコントロールされる可能性があり、まして裁判員制度や検察審査会、原発などで疑問点があらわになりながらも、そういうことに関して人権問題としてとらえない傾向があるのは残念というよりも恐ろしいことであるし、人権を身近なものとしてとらえる機会をみすみす逸しているといわねばなりません。
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