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ボクシングでの不思議の一つに、キンシャサでのモハメド・アリがジョージ・フォアマンの猛攻を防げたのはなぜだったかということがある。アリはまず、フォアマンのジャブに脅威を感じていたと思う。フォアマンといえば、フレイジャーやノートンを倒した左右のフックやアッパーカットが印象に残りがちであるが、フォアマンの攻撃はそれほどシンプルではない。フォアマンにしろ、ノートンにしろ、もっともっと攻撃が多彩で、ち密な計算に基づいている。
さて、両手を交互にパリーしながら相手のジャブを打たせないフォアマン得意のディフェンスで試合は始まった。このディフェンスは、瞬時にしてオフェンスに姿を変え、目の前でパリーに徹していた左手が至近距離から手首のスナップを十分に利かせた恐るべきジャブへと豹変する恐怖のディフェンスなのだ。かの、ゲリー・クーニーはこのジャブをまともに食ってしまい、あとはフォアマンのスケジュールに基づいてナックアウトされてしまうのであった。
さて、流石にアリはその手には乗ってこず、パリーイングにはパリーイングでとばかりに応じ、リング内では、二人の大男がともにジャブを放つでもなく、本来ディフェンス技術であるパリ−をやり合うという奇妙な光景が続いた。これで、ジャブとストレートの心配から自由になった。
このあとはフォアマンがスタミナをなくすまで、とにかくロープ際で相手に打たれ続けるのみだ。ロープ・ア・ドープと呼ばれるこの作戦は、ロープがパンチの威力を吸収するなどと言われ、定説化していった。しかし、私はもともと打たれることを前提に歯をくいしばって耐えようとしたとき、案外強打にも耐え得るものかも知れないと思っている。ひとつひとつのパンチを予期できていれば、ダメージを最低に抑えようとする無意識の防御態勢ができているのではないか。これとは逆に、防御体制もとれないままに攻撃を受ける場合、―いわゆるカウンターがそれだ―、軽いパンチで倒されてしまうのだ。
アリは、ガードを固めつつも、できるだけ上半身を起こして、あらゆるフォアマンのパンチが視野に入るように心がけた。アリにとっては、極論すればパンチが見えさえすればよかった。見えるパンチは怖くない。たとえ、避け損なったにせよ、深刻なダメージは受けなくて済むのだ。
いわゆる、「小沢事件」でも、これくらいの抵抗はありうるという予測を立てていた小沢一郎サイドとしては、意外とダメージは少なくて、逆に突然降ってきたように問題となってきた検察省や最高裁事務総局の方が、防御体制がとれていなかったためダメージが大きかったとはいえないだろうか。
最高裁や検察省を倒すには、強いパンチはいらない。予測のできないパンチ、これだ。 |
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2012年07月24日
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