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日本人に人気のあったボクサーといえば、たとえばシュガー・レイ・レナード、アレクシス・アルゲリョ、ドン・カリー、ウィルフレド・ゴメス、カルロス・サラテ、モハメド・アリ、ロベルト・デュラン、フリオ・セサール・チャベスなどなど、攻防の技術を兼ね備えたスタイリッシュなスラッガーか、もしくはマイク・タイソン、ピピノ・クエバス、ロッキー・マルシアノのような一発を持つファイターが多いような気がする。もっとも、一発を持つボクサーでも、マッチ・メイクの関係上、悪役に甘んじてきたボクサーもいる。カムバック前のジョージ・フォアマンやアーロン・プライアーのように強さも度を超していると、この選手がどういう負け方をするのか見極めたいとの思いから悪役人気とも言うべき人気(?)を博する者がそれだ。
ところで、同じく悪役でもなかなか一流の技術と認めてもらえない選手もいる。畑中清詞、辰吉丈一郎に完勝したのみならず、ポール・バンキ、ウェイン・マッカラー、カルロス・サラテというそうそうたるメンバーに土をつけてきた、ダニエル・サラゴサは従来の発想でいくと、決して優れた技術の持ち主とは言われたことのない選手であった。しかし、カルロス・サラテを一方的に責めあげレフェリー・ストップを呼び込んだ技術を「老獪」という者はあっても「優れた技術」と表現するものは少なかった。それは、冷静な見方であろうか。
実は、私自身、辰吉がサラゴサに連敗したときは、辰吉の若さが裏目に出たと安易に考えていたのだ。ダニエル・サラゴサは超一流のボクサーであったと今となって私は思う。そして、サラゴサのオリジナリティーに注目しサラゴサのどういうところを伸ばすべきか真剣に考えたトレーナーのイグナシオ・ナチョ・ベリスタインの指導のたまものであろう。サラゴサの技術がサラテのそれを上回ったという事実を真摯に受け止めることは、歴史から教訓を学ぶことの一例である。自分の主観が客観的な判断を見る目を曇らせ、せっかくのチャンスを生かせないでいると、未来は茫漠として闇に包まれたままである。情報は客観的な判断が伴って初めて価値が生まれる。主観で情報を取捨選択したり、情報に勝手な解釈を付け加えたりしてきた自分の保守性にようやく気がついた。 |
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2013年02月17日
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