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定年まであと3年。
定年後は、組織に縛られることなく、遠慮なく生きていこう。
私は組織の中ではあまり役にたててはいなかったかもしれない。
組織の前のめりの発想についていくことができなかった。
組織の合理性・生産性が社会に必要だったことはもちろん認めている。
それを認めないほど、私は独善家ではない。
だが、社会に貢献する価値観は一つではないはずだ。
社会の中でいろんなベクトルが交錯しあっているほうが、
それぞれ違うもの同士が違いを認め合っている方が、
いろんな考え方や生活習慣が入り混じっていたほうが、
いろんな出会いがあって面白いと思う。
人間的に懐の深い、情に厚く、想像力が豊かで‥‥
そんな感性が身に付いたらいいなあ。
それも必要なことだろう?
ふと、イエスのことを、イエスの孤独を思う。
それが愛の本質なのかもしれない。
しかし、私は耐え忍ぶことよりも、できるだけ楽しんで前へ進みたい。
定年まであと3年。
定年になったら、外国にひと月ほど出てみたい。
そのための準備を今からしておこう。
生命保険は解約しよう。保険料分を貯金しておこう。
楽器も持っていこう。そのために3年間練習をつもう。
語学も勉強しなおそう。特にヒヤリングがだめだから。
本を読もう。3年間を悔いなく過ごすために。
自分の長所を最大限発揮するつもりで、あとの3年の仕事をやりぬこう。
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よっしー詩集
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午前10時に目が覚めた。
妻はすでに仕事に行っている。
早くも、一日を無為に過ごしてしまうのではないかという心配が頭をよぎる。
いつもならば、そうならないうちに焦って楽器の練習を始めたりするのだが、
今日はそれも虚しい気がしている。
机の上が散らかってるなあと、片付けるつもりで文庫本のいくつかを手に取ると、
その中の1冊、八木啓代の「危険な歌」を開いた。
既に読み終えていた本だが、「あとがき」にはどんなことが書かれていたか気になったのだ。
それを読んだあと、机の上に無造作に置かれた八木のCDを手に取ると、
久しぶりにかけてみた。
“LA LLORONA”
とてもとても当たり前のことだけれども、八木の歌は真剣だ。
歌手であれば真剣なのは当然なのかもしれない。
でも、八木の歌だけに真剣さを感じてしまうのはなぜだろう。
それは「歌う」ことの意味が、根本的に違っているからだろうと思う。
閉ざしかけていた私の心に一条の光が差し込んできた。
若いときから私が唯一こだわってきた価値観があった。
それは少数者の声を聞こうというものだった。
それは、かつての私が少数派として日常を送っていた名残でしかない。
だが、少数者たちは声をあげようと心に誓うまでに長い歴史を背負っている。
自己否定の壁を突破し、自己肯定を突き抜けて、他者肯定、人間肯定に至って、
小さな気づきや疑いは、確信という翼を身につけ、大空から地表を見下ろす眼差しには、
いつしか誇りに満ちた笑みを湛えているのだ。
しかし、時代もまた変わる、容赦なく変わっていく。
いつの間にか、世の中は私だけをおいてけぼりにして先に先に行ってしまう。
お前なんかいらない、お前なんかいらない‥‥
常に私はそういう残響に怯え、耳を塞いでいるうちに、
自分の歩むべき道すら見失っていたのだ。
閉ざしかけていた私の心に一条の光が差し込んできた。
その光は、私の見失っていた道を強く照らし出しているような気がした。 |
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去る11月のある日、母が亡くなった。
満90歳だったが、70歳に見えた。
喪主だった私は、葬儀の日、花束を柩の中に入れるとき、眠ったままの母にこう告げた。
「さようなら」
なんの装いもなく口走ったその言葉は、私が発した言葉なのか、母が私に発した言葉なのか、
わからなくなっていた。
とにかく、この言葉とともに、母の亡骸は煙になって宙空に消えていった。
それは母との別れであると同時に、
母からの愛の大きさに初めて気づく瞬間であり、
そんな愛を一瞬のうちに失って、
真空状態に、
無重力状態に
なっていた私は年甲斐もなく、
ただべそをかき続けるしかなかった。
受ける愛と授ける愛。
受ける愛だけが大きくて、授ける愛のなんと貧弱だったことか。
私はいつの間にこんな冷たい人間になっていたのだろう。
私は、
何者にも手を差し伸べられることなく、
坂道を転げ落ちていくだけの
ひとつの塊に過ぎないような気がしていた。
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しばらくブログもおろそかになってました。
近頃は、楽器の方もうまく吹けなくて、なんというか‥‥タメが効かないんですわ。それに喉が鳴るんですわ。息が続かへんのですわ。楽器がやたらおもいんですわ。それでも山に行くんです。楽器を吹くために。
それにしてもフルートはむちゃくちゃ難しいな。音がでぇへん。
クラリネットの方が鳴らしやすい。フィンガリングもやけどタンギンングがあかんワ。
これひょっとするとパーキンソン病というよりも肥満が原因では?
本?よんでるよ。
ここんところ、ちょっとした読書ブームや。
「検察の罠。」(森ゆうこ)
「検察崩壊」(郷原信郎)
「ラテンに学ぶ幸せな生き方」(八木啓代)
「今を生きる幸せ」(河野義行)
「戦後史の正体」(孫崎享)
すごい偏り方。
孫崎さんの本も面白いけど、八木さんの「ラテンに学ぶ幸せな生き方」っていうのが、
面白かった。
ボクシング?相変わらず古いのばっかし見てるよ。
マイク・マッカラム対アユブ・カルレがみどころが多かった。
実現して欲しかったカード。
ピピノ・クエバスvsアーロン・プライヤー。アレクシス・アルゲリョvsエステバン・デ・ヘスス。ロベルト・デュランvsアーロン・プライヤー。アーニー・シェバースvsジョー・フレイジャー。ケン・ノートンvsジョー・バグナー。
オールタイムランキング
1.ジョー・ルイス 2.モハメド・アリ 3.ジョージ・フォアマン 4.ソニー・リストン 5.マイク・タイソン
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日常を突破することを恐れていたら、お前は突破できない現実を「辛抱が大切」だとかなんとかと、いつのまにか初めから自らに課した途だったがごとく、思い込むのだろう。
歳をとるとはそういうことかね。ふん。つまらんなぁ。歳をとることを面白くするのも、つまらなくするのも結局は自分自身じゃないか。そういう具合に何事にも面倒がっているだけで、社会がそれを望んでいるわけでもないし、誰かから頼まれてそうやってるわけでもないんだろうが。
誰かに背中を押してもらうことを期待するなんて、ずるいぞ。あらゆる責任を負わないようにするなんて、考えることが貧相だぜ。やるからには、もっと堂々とぎらぎら目を輝かせて、正面突破でいこうや。貧相な年寄りじゃなくて、誇り高き老人として生きていったらどうかね。
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