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私は、自宅のあるH市の中学ではなく、
M市にある私立中学校へ進んだ。
その学校には、寄宿舎があった。
カトリック系の受験校で中学・高校とも同じ敷地内にあった。
そんな月謝の高い学校に入れてくれた両親に、いま感謝している。
そんな学校でWという、一風変わった苗字の同級生と出会った。
中学の3年間は同じクラスだった。
高校に入ってクラスが変わった。
あるとき、私はWが学校を中退したことを知った。
Wの家庭は父子家庭であった、しかもお父さんは視覚障害者でマッサージ業を営んでいた。
そんな話をWから直接聞いたわけではない。
Wとは特に仲がよかったわけではなかったし、
実を言うと、まったく自分の弱みを見せようとしないWに、
中学2年生まで、私は少々手こずっていたのだ。
そんなWが3年生になると寄宿舎に入ってきた。
Wはあいかわらず気が強く、弱みを見せない割には、妙に私を慕ってくるようになった。
しかし、Wが寄宿舎にいた期間は短かく、高校進学とともに再び自宅から通学するようになった。
私はWの姿を隣のクラスでしばらく見かけていたが、
学校を辞めたといううわさを聞いたときは、
さすがに気の毒に思い、
学校で他愛もない冗談を言い合っている自分たちの境遇が子どもっぽく思えてならなかった。
しばらくして、私はWが焼死したことを知った。
私はTという友人とWが住んでいたという地域に行くことにした。
沖縄からの移住者が多いというその集落はなかなか分からなかった。
途中でその場所を人に聞いたところ、怪訝な顔をされたのを覚えている。
私たちはWの家のあった場所に来た。
家一軒が消失していた。
新聞にも載ったその事故が事実であることをもはや疑う余地はなかった。
近所の人にどんな様子だったか聞いてみた。
Wは当時かなり荒んでいたらしかった。
その日も酔って帰ってきて父親と口論になり、
灯油をかぶって父親を脅かすつもりが引火してしまったらしい。
そして、私たちはその地域が被差別の地域であることを知った。
私たちは瓦礫と化したWの家に花を添えた。
何日かたって、私はWの夢を見た。
私は元気そうなWの姿を見て喜びのあまり駆け寄った。
「なあんだ。生きていたのか。みんな、お前のことを死んだと思ってるぞ。」
私は安堵して、冗談とも本気ともつかぬような調子でそう言った。
Wは、機嫌悪そうだった。
そして、ひとこと、こう言ったのだ。
「お前、卑怯やぞ。」
54歳になって、私はその言葉が神からの贈り物であったような気がしている。
所詮、夢は夢に過ぎないし、もとより彼がそう言った真意など推し量るだけ無駄に違いない。
しかし、彼が社会の不平等を、そして安穏とそれに身をゆだねて暮らす私たちを、
「卑怯」という言葉で断罪しているような気がした。
以後、私は考える人に変わっていった。
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