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よっしー詩集

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十数年前のことを私は忘れない


当時、私は職場でいわゆる“パワー・ハラスメント”の渦中にあった。
執拗に続く上司からの攻撃。
私は、課長席の前に立たされたまま、
3課が混在するフロアー全体に響き渡る大声で、
毎日毎日、2時間余に及ぶ罵倒を受け続けてきた。
罵倒している内容はあまりに抽象的で、
具体的に意味するところは皆目謎であった。
もう半年以上も続く攻撃は私から可能性のすべてを奪っていた。

同時にそれは単に課長と部下である私だけが当事者ではなかった。
長い長い攻撃が終わるや、
塊となって人の思考と動きとを封じ込めていた空気が対流を始める。
その場に居合わせた人たちは、良心との折り合いをつけたがった。
なかには、やり過ぎだと私の肩を持つ温情派もいた。
そういう声は隣の課から聞こえてきたが‥。

しかし、そのときの私に味方が百人いても同じことだった。
私は被害者意識からもっとも遠いところにいた。
構造的にそういう力が働いていたのだ。
人々が私に向ける表情は一様にこう語っていた。
「お前は未熟者だ。未熟者はがんばるしかない。
万が一にでも被害者だなどと言ってみろ。
そのときは、‥‥
お前を除く者全員で、大笑いしてやるぜ!」
私をもっとも苦しめていたものは罵倒そのものよりも、
もの言わぬかれらの圧力の方だった。

大衆は自分の良心と折り合いをつける術を知っている
それがいかに冷淡であれ偽善的であれ、
最終的に折り合いさえ付けばよいのだ、彼らにとっての「良心」と。
彼らが一様に望んでいたことは、
私に非があるということの決定的な証拠、
もしくは課長か私のいずれかが目の前から姿を消し、
自分の中途半端な関わりに終止符が打たれることだった。
このとき、私は断罪されるがままであった。


私が必要としていたのは、私自身に根を下ろし、
ぼろぼろの私を生き返させる「ことば」であり、
そしてエンパワメントに要する「時間」であり、
さらに、それらのメッセンジャーたる人との「出会い」であった。

ある夜、仕事帰りの電車の中で、
私は限界まで股関節を開きたくなった。
いや、私がそうしたいのではなくて、
私の股関節周辺の筋肉たちが、
逆に私に要求してきたのだ。
それは、生まれてはじめて私の脳以外の身体部分が,
独立した意思を持った瞬間だった。

「仕事帰りの電車の中で思い切り股関節を拡げたくて仕方がありません。
私自身は意識して股関節を閉じようと力を入れています。
だから、普通の状態になっているんです。
ところが筋肉を2倍使っているので、筋肉疲労で苦しいのです。」
いったい何十人の医師にこのことを訴えたことだろう。
医師たちは一様にこう応える。
「何の異常もありません」
この言葉がさらに倍の苦痛となって私を襲った。
現代医学は原告である私の訴えを聞いた挙句に、
事件は実在しない、全ては狂言だと言わんばかりだった。
このときも、私は断罪されるままだった。
彼らは、ふつうに仕事をしていた。
そう、ふつうに、だ。


私は信頼できる医師からパーキンソン病であることを告げられたとき、
解放への足がかりをやっとつかんだ悦びに身が震えた。
この先どれほど重い症状に見舞われようと、
この日が解放への第一歩だったという気持ちは変わるまい。


今度は、私の方が断罪してゆく番だ!
私は渾身の右ストレートが相手の顎を粉々にする瞬間を夢見た
私がこのラウンドまで立ち続けていたのは
このときを待っていたからであったような気がしていた。
だが、しかし‥‥
私はここにきて試合の意味が変わっていることに気がついた
ラウンドを通じて私はあまりに多くのことを学んでいた。


思えば、私は10年の歳月と身体をかけて、
人間の浅はかさを研究してきたようなものだった。
このまま病に倒れれば、人間の負の部分のみを捜し歩いてきたことになる。
人間の素晴らしさを証明していくことが私の歩こうとしている道だ。
今まで見てきた負の部分は、
人間の可能性を証明する貴重な材料として、
やがてオセロのように正へと反転していくだろう。

今の私に相手を一発でしとめるだけの右ストレートは備わっていない。
また必要でもない。
右は威嚇しておくだけでじゅうぶんなのだ。
それよりも、私はジャブを放ち続ける。
悪意の右ストレートが唸りを挙げて飛んでくるより一瞬はやく、
私の軽いジャブが相手のガードの間隙をついてねじ込まれる。
軽いからこそヒットする、軽いからこそ機を逸しない、
そして軽いからこそ善意であり続けるのだ。

私は自分の歩きが不恰好であることを知っている。
知っていながら、目的を持って私は歩く。
自分の歩きを恥じているとしたら、そこに目的がないからだ。
目的を持って歩いている私にとって、不恰好であることは勲章だ!
醜さをもって誇りとする思考回路を私は勝ち取った。

自分のなすべきことが曇りなく見える幸せ。
眼下に広がる海のように青く輝いている。

チャーリー・パーカーの頭はアイデアではち切れそうだった。
誰もやらずにいた世界を音で埋め尽くしていった。
彼はすでに完成されている世界には敬意を払い、あえて侵そうとしなかった。
だから、ホッジスも、ホーキンスも、レスターも、アイドルであり続けることができた。

1944年サヴォイに吹き込んだ「タイニーズ・テンポ」
彼の音色は、
湧き水のように澄んでいて、
彼自身の瞳のようにクールだった。

1947年ダイヤルに吹き込んだ「ボンゴ・ビープ」
彼の音楽はインプロヴィゼーションのアイデアを最大限活かすためにあった。
彼の音色は稲妻のように研ぎ澄まされていた。

1950年ヴァーヴに吹き込んだ「時さえ忘れて」
ストリングスにのせて奏でるメロディは
まるでシンガーのようにエモーショナルだった。

1953年マッセイホールでの「ソルト・ピーナッツ」
この意味のないタイトルの曲でも、いや、だからこそ、
彼は音でいっぱいにしてみせた。

1954年彼はコール・ポーターの作品集を手がけた。
イージーな曲ばかりだったが、バードは慎重だった。

1955年、永眠。
それは、「サキソホン・コロッサス」や「直立猿人」の1年前。
オーネット・コールマンがレコーディング・デビューするわずか5年前だった。

帰りのない道

ほんのちょっとのあいだ、僕はふるさとを離れるつもりだった。
そして、あれから40年がたった。
今住んでいるところは私のふるさとではない。

ふるさとは昨日見た夢のように跡形もなく消えてゆく。
いくら愛していても消えていくのだ。
それが僕らの時代。

僕らはふるさとを失っていったい何を得たというのだ。
別に誰かにだまされたっていうわけではないけど、
僕は、ほんのちょっとのあいだ、ふるさとを離れるつもりだったんだ。

だけど今住んでいるところも、
離れてみればふるさとのひとつになっていくだろう。
すでに、子どもたちにとってはここがふるさとだ。

いろんな交わりが、いろんな匂いが、いろんな足跡が、
ふるさとを形づくっていく。
パソコンを打っているこのリビングの景色もやがて沈殿してゆき、
サックスを吹いているあの感触もやがて沈殿してゆき、
子どもたちと交わしたジョークのひとつもやがて沈殿してゆき
これからの僕を支えていくのだろう。

ありもしない「将来」なんて考えるから、ふるさとが消えていくんだ。
だから、「将来」よりも「いま」を大事にしよう。
準備ばかりをし続ける蟻よりも、今を生き続けるキリギリス。
蟻たちは落ちぶれたキリギリスが登場するから面目が保たれるんだ。
そんな恨みつらみの蟻よりも、ルサンチマンの蟻よりも、今を生き続けるキリギリス。

自由への細道

どこにも行き場が見出せないときがある。
人間が信じられないときがある。
いっそ死んじまおうか、そういう思いが駆け抜ける。
待てよ。
何が「いっそ」なんだ? どう「いっそ」なんだ?
いったい、何と較べて「いっそ」なんだ?

しようもない生き方をするくらいなら、「いっそ」死んでしまおうか
‥‥‥であることがわかった、私の場合‥‥。

私は自分の行き場を悟った。
まっすぐ前に進む、それが答だった。
結局、最初に歩いていた道を歩きなおすしかなかったのだ。
しかし、今度は歩き方が違っていた。

「人間が信じられない」から「人間を信じまい」に変わった。
同時に、私は、
自分を信じた。
くだらない奴らを、遠慮なく「くだらない奴ら」と呼ぼう。
言葉だけ美しい者どもを遠慮なく偽善者と呼ぼう。
私は、味方をつくることを拒否しよう。
その場だけで同盟を組むなど、
剥げ落ちるメッキは最初から塗るまい。
私は無言ながら悲しみを怒りに変えていた。
無言が却ってはまざまな言葉を活き活きとさせた。

いつかはそんな者どもを許すかもしれない。
いつまでも許さないかもしれない。
今は、私に必要なのだ、怒りが、生きていくために。

死んでしまうくらいなら、いっそしょうもない生き方をしよう。
しぶとく、しぶとく、しぶと――く。
私を縛っていたものは私の倫理だったのだ。
それは私が自分の人生で自ら勝ち取ったものばかりではない。
その倫理は日常という製品を大量生産する工場の煙突からモクモクと吐き出されていた。
そんな倫理なんか突破してしまえ。

この一年間、バイクが欲しいと思い続けてきた。
僕が欲しいのは、50ccのありふれたスクーター。

ある晴れた日に、僕はアルト・サックスを背負って出かける。
どこがいいかな、そうだ、川があるところに行こう。
川べりに立って、思いついたメロディを吹こう。
水辺に遊ぶ鳥たちに聞かせよう、始まりも終わりもないメロディの断片を。
鳥たちは上手いとも下手とも言わない。
あるものをただ受け入れるだけだ。
そう、あるものをただ受け入れるだけだ。

ある日曜日。僕はバイクに乗って買い物に出かける。
料理の材料を買いに行くのだ。
その日は友だちがやってくる日。
料理と言ったって僕にできるのはたかが知れている。
カレーかヤキメシ‥‥でも僕らしいカレーであり僕好みのヤキメシなのだ。
こんな持て成しにワクワクできるのも、バイクのお陰。

しかるべき場所に行き着けば、夢が現実になるんだよ。
問題はどこがしかるべき場所かってことだ。
自分のエネルギーを呼び覚ます場所を見つけに君も出かけないか。
新しい出会いや発見は、わざわざ向こうから君を訪ねてきてはくれないぜ。

無駄なことだって?  沢山の無駄が人間を大きくするんだぜ。
予定どおりのことがやれたって?  いったい、それの何が面白いんだい。

肝心なことは無駄の中に何を見出すか、だ。
君は見つけるだろう、小さな種粒を。
種粒は種粒のままであるために存在しているんじゃない。
種粒であることをみずから否定して、次の新しいものになるために存在するのだ。

僕のバイクは夢のバイク。
まだ見ぬバイクは自由のバイク。

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