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1970年代というとまだまだヘビー級を中心にビジネスが組み立てられ、さまざまなスタイルの持ち主が一攫千金を夢見ていた。事実、フレージャー〜フォアマン〜アリの3強がしのぎを削っていた時代は、J・クォーリーやK・ノートン、R・ライル、J・バグナー、A・シェバース、というランカーたちのどういう組み合わせでも好カードが期待できたし、さらにL・ヘビー級からボブ・フォスターが絡んでくるわ、アリにボクシングを学んだというラリー・ホームズが売り出してくるわで、層が厚かっただけでなく、キャラクター的に見ごたえ十分であった。
スモーキン・ジョーことジョー・フレイジャーが最高の仕上がりでリングに上がったのは、モハメド・アリとの第1戦で、15ラウンドを通してめまぐるしくウィービングとダッキングを繰り返し、しかもガードが下がることもなく、フェイントも交えたすばやい動きと集中力とはまさに圧巻であった。アリの左フックをときおり食うことはあっても、後続打を許さず、アリのワンツーをダッキングではずすと、バネの利いたおそるべき左のロングフックが面白いようにアリの顎を打ち抜いていった。フレイジャーがこれほど調子が良かった試合は、後にも先にもこれだけのように思う。確かに、B・フォスター戦やジミー・エリス戦でもフレイジャーの強さばかりが光ったが、アリとの第1戦ほどの磨かれ方ではなかった。まして、フォアマン戦のフレイジャーは動きが硬く、とても同じ人物とは思えなかった。
練習量にムラがあったのは、ミドル級のタイトルを14度防衛し、WBA・WBC両団体の統一王者のまま引退した、アルゼンチンの名チャンピオン、カルロス・モンソンだ。いま、名チャンピオンと書いたけれども、私にはなぜこの選手が強豪ひしめくミドル級で7年間も王座についていたのか、さっぱりわからない。M・ハグラーやロイ・ジョーンズ・ジュニアのようなスピードやテクニックがあったわけでもない。攻め口は、あまり伸びのないジャブと「ライフル」との異名をとったワンツーがあるばかりで、それも相手が格下と見るや、蝿が留まりそうなくらい緩慢なパンチとなって練習不足を露呈した。確かにそんなパンチでもいかにも重そうな気配はあったが、ぱっと見た目にはよくてアマチュアの試合並み、へたをすると素人のおっさん同士がドツキあっているだけにしか見えない有様だった。
そのモンソンにかつてないほど気合が入ったのは、フランスの俳優アラン・ドロンがプロモートした試合であった。1974年2月9日のウェルター級の名チャンプ、ホセ・ナポレスを迎え撃ったモンソンは、伸びのあるジャブとスピ−ド十分な右ストレートに磨き上げられた両の拳でナポレスから次第に攻撃の道を奪っていき、戦意を喪失させた。
さて、モンソンがナポレスを下した、わずか2年後の1976年、あらたな時代の到来を予感させるニューヒーローが誕生しようとしていた。この年に行われたモントリオール・オリンピックでシュガー・レイ・レナードがライト・ウェルター級で金メダルをとったが、そのスピードとテクニック、そしてそれ以上に相手を挑発する仕草がカリスマ性を持っていた。
アリのコピー・キャッツだらけとなってしまったヘビー級が魅力に欠ける存在となってしまい、オリンピック界ではキューバのテオフィロ・ステベンソンに歯が立たない状態が続くなど、人々の関心はヘビー級から離れ、レナードとハーンズ、クエバス、ベニテス、デュラン、セルバンテス、パロミノ、センサックとキャラクターがそろった中量級へと向かっていった。
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よっしー拳闘研究所
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その日のラリー・ホームズは上出来だった。
この前の試合は完敗だった。
マイケルのスピードについていけず、
肝心の右が出なかった。
だが、今度は違う。
ラリーは初回から飛ばしに飛ばした。
マイケルのコンビネーションを得意のボディーブロウで、
強烈なライトフックで、クレバーなクリンチワークで、封じ込めた。
マイケルのスピードには、左リードで対抗。
あれはステップ・インしているからジャブというより左ストレート。
マイケルはかつてジミー・ヤングがモハメド・アリやジョージ・フォアマンを翻弄した試合を参考にして、
試合のイメージを組み立てているようだった。
だが、ラリーは、アリやジョージのような追い方はしなかった。
彼らは追撃しようとしてジミー・ヤングのカウンターの餌食になった。
その日のラリーはあくまでも自分の距離をキープするために動いた。
ワンサイドでラリー・ホームズの手が挙がるものと思いきや、スピリット・デシジョンでマイケル・スピンクスの勝ちとなった。ラリー・ホームズの試合前の不用意な発言がジャッジを怒らせていたらしい。
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かつてバンタム級とフェザー級の2階級制覇を成し遂げた名ボクサーにルーベン・オリバレスがいる。メキシカンだが、風貌は東洋人のそれを思わせる。メキシカンには、スパニッシュ系のサルバドール・サンチェスやカルロス・サラテ、アルフォンソ・サモラといった名選手のほかに、先住民族の血を引く(と思われる)オリバレスや辰吉を苦しめたビクトル・ナバナレスがいる。前者はKOアーチストが多い割には、サラテやサモラのように1回負けると比較的脆くなるが、後者はおいそれとは負けてくれないタフガイぶりが目立つ。
とくに、ナバナレスのファイトぶりはお世辞にもスマートとはいえなかったが、あのしつこさはハイエナを思わせた。オリバレスのファイトはナバナレスに比較するとはるかに洗練されているが、決して試合を諦めない精神力と自分のペースに持ち込むしつこさは共通のものだった。しかし、攻撃は常に理詰めであったために、KO率が高い割にはスラッガーという印象はあまりない。
バンタム級時代にはチューチョ・カスティーヨに苦杯をなめさせられてはいるものの、文字どおりKOの山を築いていった。問題はフェザー級に転向してからだが、長身のスラッガーたちに苦戦を強いられた。アレクシス・アルゲリョ、ダニー・ロペス、デビッド・コティ、エウセビオ・ペドロサ。相手が悪かったといえばそれまでだが、これらの強豪を相手によくがんばったなあと、むしろ私はこのころの負け試合に感動してしまう。
この当時のフェザー級には、体躯に恵まれないにもかかわらず、がんばっていた選手がもう一人いた。ボビー・チャコンだ。オリバレスとは2戦して2敗。チャコンにとってオリバレスは天敵だったかもしれない。しかし、オリバレスが勝てなかったダニー・ロペスに対して、ボビー・チャコンは1勝1敗だ。勝っても負けても派手なKOだったチャコンは、カウンターを打たれ過ぎたのか、かわいそうにパンチ・ドランカーになっているようだ。ダニー・ロペスもよくカウンターをもらっていた。オリバレスはその点、強打は受けていたけれども、カウンターはあまりもらっていなかったような気がする。
ルーベン・オリバレス、ボビー・チャコン、ダニー・ロペス。このフェザー級を大いに盛り上げてくれたナイス・ガイたちに幸運を‥‥。
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ボクシングもヘビー級となるとアメリカ人が世界ランカーをほぼ独占しているが、白人ボクサーが前から少なかった。記憶に残っているところでは、ロッキー・マルシアノがチャンピオンとなって以来、王座にアメリカの白人がついたことはない。これには、アメリカの白人社会にジャブに対する根強い拒絶反応があるからかもしれない。
面白い話がある。
1897年9月7日、ジョン・L・サリバン対ジェームス・J・コーベット戦において、コーベットは当時のスタイル「スタンド・アンド・ファイト」ではなく、相手から距離をとってパンチをかわし左の軽いジャブを当てるというフットワークのあるスタイルでサリバンを21回KOし勝利を収めた。しかし当時の民衆にこの戦法は受け入れられず、「卑怯者の戦法」と呼ばれたというのである。
ちなみに、ロッキー・マルシアノはほとんどジャブを使わなかった。ガードもどちらかと言えば甘いほうだった。そのため強打から顔面を保護する手段として、頭を相手の懐深くねじ込んで戦ったが、ジョー・ルイスとの試合ではジャブをかなり被弾しており、大きくはれた顔が印象的であった。
その後に現れた白人ボクサーたちは、さすがにジャブを用いるようになった。ジェリー・クォーリー、ゲリー・クーニー、デュアン・ボビックなどなど。これは、他の階級からの影響や、ジョー・バグナーら外国人ボクサーからの影響も考えられる。インゲマル・ヨハンソンやマックス・シュメリング、ゲリー・コーツィーなど、外国人の白人ボクサーは王座についている。
ところで余談であるが、マックス・シュメリングというドイツ人ボクサーについては、ジョー・ルイス側の演出もあって、敵役として定着してしまった感があるが、戦争中は数度に渡るナチス入党の誘いを断り、アメリカでマネージャーを勤めていたジョー・ジェイコブスがユダヤ人であることを理由にマネージャーを代えるようナチスから勧告されても変えなかった。そのため、徴兵され、落下傘兵として、最前線に送られるも、辛くも生き残るなど、辛酸をなめさせられたりもしたが、戦後ボクサーを辞めてからは、社会福祉に貢献したとされる。
一方、黒人ボクサーは、アウトボクサー、インファイターの別なくジャブを多用する選手が多い。「蝶のように舞う」フットワークと「蜂のように刺す」ジャブとで一世を風靡したモハメド・アリは、シュガーレイ・ロビンソンからの影響が指摘されているが、「鉢のように刺す」ジャブはロビンソン譲りであったにせよ、「蝶のように舞う」フットワークは、白人の名ボクサー、ジーン・タニーを思い起こさせる。アリがジーン・タニーのモダン化ならば、フレイジャーはヘンリー・アームストロングの、ジョージ・フォアマンはアーチー・ムーアの手法を取り入れている。
黒人が「真似る」ことから多くのオリジナリティを獲得してきたのは、ボクシングでもジャズでも、同じことだった。一方、アメリカの白人の一部が、「真似る」ことをかたくなに拒んでいるとすれば、低迷とストレスとの間で行きつ戻りつするだけだ。私は、この白人のごく一部に渦巻くストレスがなんとも不気味に感じてしまう。もう、ロッキー・マルシアノでは通用しないのに。
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ロン・ライル vs アーニー・シェバース戦(http://www.youtube.com/watch_popup?v=8fOg-s8whtI#t=196 ) |

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