よっしー本店

ブログ名を再度変更しました。

よっしージャズ研究所

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 「佐賀県モダンジャズ研究所」としていたのを改名しました。初心者、大歓迎。ジャズに関する質問などでも結構です。分からないときは分かる人が応えるというのもいいかなと思っています。
 ジャズ・ファンのかたのコメントをお待ちしています。
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 アート・ブレイキーがもともとピアニストであったという話は有名です。エロール・ガーナーを聞いて、ピアノをあきらめたとか、ギャングからドラムに回るように命令されたからとかいわれています。ウィキペディアでアート・ブレイキーを調べてみると、最初はドラムが下手だったけれども、ディジー・ガレスピーのアドバイスを受けてからは、めきめき上達したという説があると書かれています。
 
 なるほど、言われてみれば、ケニー・クラークによって開拓されたモダン・ドラミングがマックス・ローチやシェリー・マンら、新進気鋭のドラマーによって受け継がれていったのと同じ時期のブレイキーの活動に関しては、ビリー・エクスタイン(vo, tp)のビッグ・バンドで活動していたとされておりますが、当時のエクスタインのバンドは、1920年代におけるフレッチャー・ヘンダーソン楽団にサッチモはじめホーキンスやチュー・ベリーら次代をになう演奏家が入れ替わり去来しスイング次代の幕開けとなったのと同じように、ガレスピーやチャーリー・パーカー、デクスター・ゴードン、ワーデル・グレイ、ファッツ・ナバロ、ケニー・ドーハム、ソニー・スティットらが腕を磨いた、いわばビバップ・スクールの役割を果たしており、ブレイキーもそこでモダン・ジャズ・ドラムの技術とビッグ・バンド特有の豪快さを併せ持ったブレイキーの個性豊かなドラミングを習得していったものと推察されます。
 
 さて、低迷期を迎えたジャズ・メッセンジャーズを再び第一選のバンドに導いたのは、1958年に参加したテナー奏者ベニー・ゴルソンのアレンジでした。ゴルソンのアレンジは親しみやすく、またリー・モーガンやボビー・ティモンズといった当時のソロイストたちにぴったりフィットしたものでした。この時期の代表的なアルバムとして、「モーニン」(ブルーノート)、「サンジェルマンのアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ」(RCA)などがあります。また、同時にティモンズの作曲家としての才能もバンドを盛り上げていった要因のひとつです。こうして、ジャズ界はジャズ・メッセンジャーズを中心としたファンキー全盛時代を迎えることになります。
 私が大好きなバンドのひとつにアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズがあります。
 ジャズ・メッセンジャーズをアレンジャーによって時代を区分けするのが一般的なので、私もその例に倣おうと思います。
 
 まず、最初のアレンジャーはホレス・シルバーです。まだ、ジャズ・メッセンジャーズを名乗る前のブレイキー・クインテットの有名なアルバムとして、1954年のバードランドでのライブ盤がありますが、ここでもホレス・シルバーが入っています。この二人はこののち、マイルス・デイビスのカルテットでも共演していて、このときのカルテットというのが、マイルス(tp)、シルバー(p)、パーシー・ヒース(b)、ブレイキー(ds)の4人であったわけですから、単なるリーダー格が4人集まった以上のバンドであったことは、その後の彼らの活躍ぶりを考えるとうなずけます。活動期間が短かったとはいえ歴史的な出来事であったといえるかもしれません。
 
 ホレス・シルバー時代の代表作として、「カフェ・ボヘミアのジャズ・メッセンジャーズ」(1955年)があります。メンバーはケニー・ドーハム(tp)、ハンク・モブレイ(ts)、シルバー(p)、ダグ・ワトキンス(b)、ブレイキー (ds)というもの。この時代のハンク・モブレイはリズムに対して遅れ目にフレーズを紡いでいきますが、デクスター・ゴードンの影響でしょうか。この時期のケニー・ドーハムも充実したプレイをしています。
 
 さて、ホレス・シルバーが自己のバンド結成のためにジャズ・メッセンジャーズを辞して、マクリーンやジョニー・グリフィンといった実力者をソロイストに迎えます。しかし、アレンジャー不在であったためにこの時期は低迷していたと言われています。私はこの時期の演奏をセロニアス・モンクとの共演盤しか聞いたことがないので何ともいえません。

ビリーとエラ ケータイ投稿記事

本来ならば、ビバップとボーカルとの関係とか、ボーカル界に与えたビバップの影響というようなテーマで臨むのがベストだとは知りつつも、いくら口から出任せの三流評論とはいえ、あまりにも荷が重すぎるテーマになす術も無いので、とりあえずビリー・ホリデーとエラ・フィッツジェラルドという二大シンガーにつぃて、私見を述べさせていただくことにいたします。
2人ともボーカル界の巨人であり、モダンジャズの構築に一役も二役も果たしたと思います。
ビリーの場合、まず原曲のメロディにとらわれることなく、全く新しいメロディにして、いわば即興で「作曲」しながら歌うという手法は初期のマイルス・デイビスに受け継がれました。また、レスター・ヤングにも共通する「あとヴィブラート」とよばれるアーティキュレーションなどは、ゴードンやマクリーンをはじめモダンジャズ期における殆どのサックス奏者によって取り入れられました。
エラの場合、ビバップのイディオムをいち早くスキャットに取り入れたこともさりながら、「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」から「煙が目にしみる」へとつながるれいのパターンによって代表されるように、曲によって仕掛けを施したり、ピアニストと掛け合いをやったりと、新境地を切り開いていきました。

スイング時代と異なるのは、それまでビッグバンドの専属として活躍の場が限られていたものが、ビバップの波のなかでスモールコンボによるジャムセッションの機会が多くなり、一方でエラ・フィッツジェラルドにより提示されたスキャット唱法はバースチェンジまでも可能であることが明らかになるなかで、ボーカルもジャムセッションの一員として迎えられるようになったのです。ボーカルのスタイルもミルドレッド・ベイリーやリー・ワイリーのような端正なものから、サラ・ヴォーン、アニタ・オデイ、カーメン・マクレイ、ダイナ・ワシントンらから、さらにアビー・リンカーン、カーリン・クロッグ、ベティ・カーターといった個性溢れるシンガーたちを輩出する環境が整っていったのです。
 パーカーとの共演歴があるピアニストにスポットを当ててみたいと思います。
 まずはVerveの「ナウズ・ザ・タイム」でパーカーと共演したハンク・ジョーンズです。サド、エルビンとの3人兄弟イメージ 1の長兄で、三者が三者ともパイオニアたる実力の持ち主であります。
 さてハンクのアルバムではVerveの「アーバニティ」がすばらしいと思います。とくに47年録音の6曲は溢れんばかりの詩情で曲に魂が吹き込まれている感じです。この人の場合、一聴してテディ・ウィルソンとアート・テイタムのスタイルに影響を受けているようですが、単なるイミテイターなどではもちろんなく、彼自身の個性の中に上手にブレンドされております。「イエスタデイズ」などは、バド・パウエルの演奏(「ジャズ・ジャイアント」に収録)と比較しても何ら遜色がありません。かとおもえば、53年録音の「オッド・ナンバー」という12小節ブルースでは、ミディアム・アップテンポにのって見事なバッパーぶりを披露するという器用さで、アート・テイタムとは別の意味で後年、「ピアノの神様」と人々の尊敬を集めたのも納得できます。
 
 次は、Verveの「スウェディッシュ・シイメージ 2ナプス」ほか、後期のレギュラー・バンドで豊富な共演経験を持つアル・ヘイグです。1954年にコロンビアに録音した「ジャズ・ウィル・オ・ザ・ウィスプ」が有名ですが、同年に全く同じパーソネル(ヘイグ:ピアノ。 ビル・クロウ:ベース。リー・アブラムス:ドラムスのトリオ)でプレスティッジに録音した「トリオ・アンド・クインテット!」もお薦めの1枚。49年にクインテット、54年にトリオ演奏がレコードの両面に分けられておりますが、これは輸入盤であるため国内版やCDでそのへんがどうなっているのか残念ながら分かりません。とくにB面に残された54年のトリオ演奏が見事です。選曲もよく、ほどよいロマンチシズムを感じさせてくれます。かつて、ジャズ評論家の粟村政昭氏はアル・ヘイグのピアノを小結か関脇級のピアノと表現しました。バド・パウエルを横綱とたとえた場合、そういう技術の持ち主であるという言い方は、面白い表現ではあります。
 
 最後は、パーカーのオリジナルクインテットでピアニストをつとめたデューク・ジイメージ 3ョーダンです。このシグナルのアルバムはとくに有名です。彼の特徴は、シングルトーンの美しさにあります。同じシングルトーンを強調するのでもペダルを巧みに使うジョン・ルイスなどと異なり、この人のタッチは硬質そのもので力強さを感じさせます。アクセントがしっかりしていて、ひとつひとつの音に表情があり主張があるところは、ハンク・ジョーンズとは違った意味でトミー・フラナガンなどに影響を与えているのかもしれません。
 デューク・ジョーダンのもうひとつの才能として、作曲家として非凡なものを持っております。ブラウン=ローチ・クインテットが何度も演奏しておなじみの「ジョードゥ」やジャズ・メッセンジャーズでも知られた「ノー・プロブレム(危険な関係のブルース)」が有名ですが、ここでも「フォアキャスト」「サルトリー・イヴ」「フライ・トゥ・ジョーダン」「スコッチ・ブルース」の4曲を提供しています。
 今回はチャーリー・クリスチャン。時代的にはスイングの人だし、実際、ベニー・グッドマンのコンボにいましたが、ビバップのきっかけのひとつとして重要な功績を残していますので、取り上げることにしました。チャーリー・クリスチャンの入っているアルバムはいろいろあると思いますが、私に把握できた4つのアルバムについてご紹介いたします。。
(1)“Charlie Christian Memorial Album”CBS SONY 3枚組) 1939.10.2.1941.3.27.
  クリスチャンのソロはもちろん、ベニー・グッドマン、クーティー・ウィリアムス、ジョージ・オールド、ライイメージ 1オネル・ハンプトン‥‥いずれ劣らぬ名手たちのワザが聞きものです。なかでも、“Blues in B”とそれにつづく“Waitin' For Benny”、“A Smo-o-o-oth  One”は異名同曲で、メンバーがリーダーであるベニー・グッドマンがスタジオに現れるのを待つ間に、録音技師の要請に応じてクリスチャンがBのキーでブルースを弾き出したところ、次々にメンバーがそれに反応してジャムセッションの様相を呈してきたもので、結局ベニーが到着した時点で、正式のナンバーとして録音されることになったものです。
 
(2)“From Spirituals To Swing” 1939.12.24VANGUARD 2枚組)
  ジャズ評論家のジョン・ハモンド氏が、主催したコンサート。レスター・ヤングをはじめとするカウント・イメージ 2ベイシー楽団にフレッチャー・ヘンダーソンを含むベニー・グッドマン楽団、ジェームス・ピート・ジョンソンと出演者の豪華さに目を見晴らされますが、これらの人たちが大ジャムセッションを繰り広げます。メンバーが多いため、かえってひとりひとりのソロが短くなっています。チャーリー・クリスチャンはグッドマン楽団での「ハニーサックル・ローズ」で長めのソロをとります。
 
イメージ 3(3)“Edmond Hall Celedte Quartet”(「メモラブル・セッシヨン」 1941.2.5,
  エドモンドのクラに、ミード・“ルクス”・ルイスのチェレスタ、イスラエル・クロスビーのベースに、チャーリー・クリスチャンが、な、なんとアコースティック・ギターでソロをとるという、ユニークなアルバムです。チェレスタを弾いていたミード・ルクス・ルイスという人のことはぜんぜん知りませんでしたが、エドモンド・ホール、クリスチャン、イスラエル・クロスビーという名人がそろうと、チェレスタを弾こうが、ドラムがいまいが、音楽になるのはさすが。
 
()“Jazz immotal ”(「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」) 1941.5
  これが日本のジャズファンにクリスチャンの魅力を知らしめた傑作アルバム。特に「トプシー」のコードイメージ 4進行を使った「スイング・トゥ・バップ」におけるロングソロは落涙もの。ほかにセロニアス・モンクがまだスイング・スタイルで弾いていたときの演奏などもあって話題性に富んでいますが、なんといってもチャーリー・クリスチャンです。
 チャーリー・クリスチャンのこれらのソロ以前には、もっぱらギターはリズム楽器として存在し、例外としてベルギーのジャンゴ・ラインハルトが存在していました。ジャンゴも偉大でしたが、クリスチャンのアドリブはまるでレスター・ヤングかワーデル・グレイのサキソホンのソロのように聞こえます。
 ビバップの少し前には、いろんな楽器のパイオニアが数多くいました。ベースのジミー・ブラントン、ピアノのアート・テイタム、ビブラホンのライオネル・ハンプトンというぐあいです。どのような楽器でも、アドリブを可能とするだけの技術が磨かれていました。それだけ、インプロビゼーションがプレイヤーたちの関心をひきつけていたのかもしれません。
   

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