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憲法雑感

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 憲法というのは、武器や訓練された組織を持ちいつでも暴力装置として国民に攻撃をかけることが出来る国家権力に対して、その暴走を許さないために存在します。ですから基本的に憲法は民事間のことには不介入です。ここでは国民の権利に対峙する概念は国民の義務ではなくて、国家の権限であります。
 一方、国民同士の権利義務関係を示したものが民法です。ここでは個人の権利に対峙する概念は個人の義務であります。権利を主張する以上は義務を履行しなければならないという関係は、私人間の取り決めである民法に由来します。他人の我儘は自分との関係において個別に解決する以外方法がありません。
 憲法を活かすためには、個人が精神的に自律していくことを了解すると同時に、国民が個々のちがいを認め合うなかで連帯するという姿勢が不可欠だと思います。
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 裁判員制度の違憲解釈をめぐる論議で、憲法第18条の「意に反する苦役からの自由」を侵害するものであるという指摘はありますが、憲法第13条を侵害するものとしての意見はあまり聞かれません。このことに関しての私見を述べたいと思いますが、あくまでも私見に過ぎないので解釈の誤りとかがあれば指摘していただければ幸いです。
 結論から言えば、憲法第13条ではすでに例外規定が多々あり、収まりがつかなくなっているために、国会の法務委員会においては憲法第18条の「苦役からの自由」で反論を試みるしかなかったのかなと思っています。もともと「苦役からの自由」は第十三条から導き出される自己決定権に包含されるものとの見方もできますが、例えば児童が虐待を受けている場合で本人が虐待であると認識できないケースなど自己決定では基本的人権を護れないこともありえると思います。逆に苦役とは言えないけれども自己決定権がおかされる場合ももちろんあります。憲法十三条の例外を多く認めてしまったために今更ひきかえして論議しにくくなったというのはこのことです。

 自己決定権をみとめず法制化されたり判決が確定した例は思いのほかたくさん有ります(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E6%B1%BA%E5%AE%9A%E6%A8%A9 )が、自己決定権が侵害されると第12条の意味がなくなってきますから、表面的に便利な規定や制度に見えても基本的人権を護るためには回り道を余儀なくされる場合もあるのだと心得る必要があると思います。

第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

 自己決定権に反する規定で代表的なものにシートベルトの着用義務があります。これは飲酒運転などと異なり他者の人権侵害に結びつく可能性がきわめて低いため、一律に義務化したのは憲法違反であると私は思います。基本的に処罰をもって自分を律するという考え方には大きな落とし穴があると考えます。それは必ず国家によって増幅され、メディアによって追認されていきます。シートベルト着用義務についていえば、同乗者についても運転者にペナルティが課せられるようになりました。自己決定権からますます遠のいていきます。このさきどこまで国家に利用されるかわかりません。たとえば、このペナルティが在日外国人が「帰化」するための要件「素行が善良であること」の違反項目に入れられて在日外国人差別に利用されることはまちがいないと思います。他人のうっかりで生涯にわたり選挙権・被選挙権が得られないという皮肉な結果になる場合がありえるのです。自分で責任を持って管理できるのは自分の身体とせいぜい家族ぐらいのものではないでしょうか。
 もちろん、同乗者が児童の場合とかベビーシートの場合は、児童の生命を護る義務が国家にも国民にもあります(児童の権利に関する条約第6条)から、そういう例外的なところにだけ罰則規定を設け、あとは罰則化で対応するのではなく遠回りなようでも市民啓発という形で安全を確保していくしかないのだと思います。

児童の権利に関する条約 第6条
1 締約国は、すべての児童が生命に対する固有の権利を有することを認める。
2 締約国は、児童の生存及び発達を可能な最大限の範囲において確保する。

 こういう傾向が行政改革の流れに乗って拙速に進められているのではないかと私は危惧します。一方で行政改革は行政組織の透明化も進めました。要は行革にも功罪両面があることを認識すべきであると思います。

 裁判員制度の国民の参加義務に話を戻しますと、憲法18条違反であると同時に13条違反であることをあわせて考えていかないと、18条だけでは苦役ではないとするキャンペーンに負けてしまうことが考えられます。同時に、拙速すぎる改憲論議に歯止めをかける意味でも第13条を基本に据えたいと考えるものです。そして、国籍法をめぐる今年6月4日の最高裁大法廷の判決文(http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20080604173431.pdf )の趣旨を以てすれば憲法解釈は時代に応じて変わりうるということでしょうから(それ自体問題があるのですが)13条解釈に関する論議を復活させることが不可能なわけではないと思います。要は立法に直接関わる国会議員には「自分たちに決して誤りはない」ではなく「自分たちは同じ誤りを繰り返さない」とする態度こそが大切であって、人間の組織である以上、誤りがあって当たり前。各党とも執行部の判断に誤りがあったなら党内部に対して弁明するのは自由ですが外部に対して「判断に誤りがありました」と表明する礼儀はないのですかね。これをやると政治がわかりやすくなるし、潔さが政治不信払拭に一役買うと思いませんか。むしろ、無謬性を主張することは二枚舌を宣言するに等しいと私は思うのですけど‥‥。

第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十八条【奴隷的拘束及び苦役からの自由】
 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

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第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 幸福追求権が侵害された状態というのはどのような状態を言うのでしょうか。ここで私が考えたいのは、ひとつは差別の問題です。部落差別を例に引きましょう。
 深刻な差別であるにもかかわらず、なかなか市民意識の中に浸透しにくい問題のひとつに身元調査というのがあります。結婚時や雇用する際に相手側の身元を調査するというものですが、調査を依頼する人と調査を依頼される人、そして調査をされる人という三者がかかわりを持つことになります。ひとまず、調査を依頼される人――すなわち興信所や探偵社などがそうですが、以下興信所等という表現をします――に焦点を絞ってみたいと思います。

 もちろん、興信所等が引き受ける仕事というのは身元調査が主ではありません。浮気調査やストーカー行為に対する調査、家出人等の所在を確認するなど社会正義の実現や警察捜査の補完的な役割を担っていることも事実です。しかしながら、なかには身元調査に走ってしまう業者があることもまた事実です。ことに部落差別というのは本来幻想にすぎないものが実態的差別を引き起こした典型でありますから、興信所等には部落差別を助長するような調査依頼にはなぜそれが反社会的かという説明をむしろサービス業務の一環として捉え、市民啓発の最前線として頑張っていただきたいし、また、そういう努力をされているところも少なからずあるものと推察いたしますが、業務上根源的に厄介な問題があります。それは、そのような意識に達していない業者にとっては、まさに部落差別は金のなる木であるという側面です。

 部落差別という幻想が市民をして不安に落としいれ、それがために身元調査に走ってしまう、そして業者さえその気になればその調査は会社に利益をもたらすという構造です。ですから、本質的に業界には部落差別を温存しておきたいという力が働くと思います。たとえば、それは個別の調査の中には出自に対する調査の項目が存在しなくても低料金のお任せコース的な総合調査の中に依頼者の意思とは無関係に盛り込まれるという形で、差別の温存が具現化されている可能性があります。これは部落差別だけでなく、民族差別、障がい者差別、被爆者に対する差別、様々な病気に対する偏見などをも助長する行為として理解される必要があります。

 さて、今度は調査をされる人にとってこの問題が何を意味するかということであります。差別の本質はレッテルであると思います。レッテルというのは、それを貼る方にとっては何の努力も要せず遊び半分でもできることです。しかし、貼られた方はそれをはがすのに人一倍苦労します。ましてやすでに社会問題化して久しい部落差別などの場合は、個人の力で剥がすことが無理といってよいほど重たいレッテルです。レッテルというのは、それを貼る人が貼るのをやめない限り解決はありえません。差別問題は差別される人たちがいるからあるのではなく、差別するひとたちがいるからあるということです。この点はしばしば研究者でもうっかりすると見失ってしまう理屈で、たとえば部落史の研究がさかんな割には差別史ともいうべき視点での考察はそれほど多くないような気がします。

 本人が気にしなければよいというような問題でもありません。人生における一過性の苦労とは本質的に違うのです。もともと原因が根拠のない幻想からスタートしている部落差別を解決し得ない社会というのは排他性を包含した社会であって、それは国民が自ら基本的人権のための連帯を放棄している社会である以上、国家権力にとってこれほどコントロールしやすい体制はないのであります。

 肝心なことは、上にあげた身元調査の構図にも見られるように、社会構造の中に深く根を下ろしているために被差別の当事者にとっては絶望的なくらい深刻かつ日常的な問題ということであり、この深刻さと日常性を当事者でないものが理解するには相当の努力を要します。差別するという形態は多様です。差別落書きのような攻撃性の強いものだけが差別にあたるのではなく、自らは差別認識がなくても社会的な差別構造の中にすでにあらゆる国民が巻き込まれているために、「差別をしない」というスタンスでは解消にほど遠く、「差別をなくす」という一歩踏み込んだスタンスが必要となります。一方、思想信条の自由や良心の自由との関係を私なりに整理しますと、憲法第十二条で謳われているごとく、国民の不断の努力によって支えられる筋合いのものであり、また同時にそれらの自由に優先するところの「公共の福祉」に該当するものであります。したがって、国家が中心となり差別撤廃に向けて責任を果たすと同時に、国民も差別構造の中にあることを自覚し撤廃に向けた努力を重ねる必要があると私は考えております。


 いささか回りくどい説明であったかもしれませんが、差別の本質に関しての私見でした。差別の問題は第十四条の平等原則から語られることが多いのですが、前述したとおり一過性の人生の苦労とは全く異質なものであって個人の力で「乗り越える」ことがほとんど絶望的ともいえる心理的差別については十三条に謳われた幸福追求の権利侵害として押さえていくことが、より重要と考えています。


※ 文中、差別の本質について「レッテル」という表現をつかっております。同和対策審議会答申では「予断と偏見」という言葉が用いられていたと記憶しておりますが、より身近で生活観のある表現として「レッテル」という表現をしました。実は、これは私のオリジナルではなく、大分県中津市に住みながら人権や環境問題のために闘っておられた作家の故松下竜一氏がさる講演の際に用いた表現で、差別の本質を見事に言い当てた素晴らしい表現だと感動し、以来私が好んで使っているものであります。

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第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 生命に対する国民の権利について、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする、とはいったいどういうことでしょうか。

 普段、私たちは生命の危険を感じずに生活できていますが、それは基本的にこの条文が効力を発揮し、いろいろの法律によって私たちの生命が護られているからです。また、あわせて第九十八条2項により日本国が締結した条約を遵守する義務が国にはあるために、個別の条約の要請によって法令化されたものもあります。ちなみに条約には、二国間条約と多国間条約とがあり、たとえば日米安保条約や日韓条約などは前者、国際人権規約や子どもの権利条約などは後者であり、後者の場合は国連総会で採択されたものが事実上対象となります。後者の場合、国連憲章が日本国憲法と相通じる点が多いためにほとんど憲法違反という問題は生じませんが、二国間条約の場合はそのような疑義が生ずる可能性があるほか、解釈や翻訳の問題が生ずることもあります。憲法13条を補完する機能があるのは、いうまでもなく国連総会で採択されたのちに日本が批准した多国間条約のことです。

 さて、生命に対する国民の権利もすごく当然の権利であるように思いがちですが、これも戦時体制の下では尊重されておりませんでした。特攻隊の例を出すまでもなく、開戦そのものが国民の生命を尊重していなかった結果であります。では、現在は完全に生命に対する国民の権利は護られているのでしょうか。

 この点で、最も憲法違反の可能性が強いのは死刑制度です。しかし、国内世論は死刑制度を肯定する人が8割に及びます。被害者の遺族のことを考えると同じ報いを受けるのは当然であるという論調がほとんどであろうと思います。この感情が理解できない人というのは、ほとんどいないのではないでしょうか。あとはそれを結論にするか否かというところで見解が分かれるのだと思います。

 ところで、死刑の適用があるのは殺人罪に限りません。刑法上は、外患誘致罪が最も重く、これに該当するとされた場合は人命が失われてなくても例外なく死刑です。そのほか、死刑になる可能性があるものに、内乱罪、外患援助罪、現住建造物等放火罪、激発物破裂罪、現住建造物等浸害罪、汽車転覆等致死罪、水道毒物等混入致死罪などがあります。

 これに冤罪がつくられる(!)という現実があわさると、死刑制度は私たちの善良な日常を護ってくれる制度と思っていたけれども、実は私たちの日常に牙をむいて襲い掛かってくる制度であるかもしれません。冤罪は「つくられる」と書きましたが、松本サリン事件で二重の被害に遭われた河野義行さんの著書や佐賀市農協事件の冤罪を告発した副島健一郎さんの著作「いつか春が」などを読むと、まさに犯人が「つくられ」、冤罪が「つくられる」ということが実感されます。司法当局にとって真犯人であるかどうかということはそれほど重要でなく、とにもかくにも事件が決着し、仕事が片付いていくことが先決であるとしたら、私たちが冤罪に巻き込まれる確率は思っていた以上に高いということができます。これは、国家権力が恣意的に誰かを死に至らしめようと思えばできるシステムが日本に存在するということです。

 前回述べましたように、現在国家の権限が非常に強くなってきています。たったひとりの独裁者が登場するだけで、私たちは生命さえ落としかねないという危険な時代を生きていると思います。国民が考えるのをやめたとき、事態は急速に悪化していきます。

 これに対抗するためには、私たちは憲法13条を理解し、活用し、護っていく必要があります。

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第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 私は憲法第13条にはたいへん多くのことが盛り込まれていると思います。
 まず、「個人として尊重される」とは何を意味するのでしょう。これと正反対の考え方は、個人の事情を全く考慮しないということ、すなわち例外をなるべく認めず十把ひとからげを基本に据えた国家のスタンスです。個人的事情をなるべく斟酌しないで、行政の効率化を図り、支出も抑えようという考え方です。この考え方は、憲法の定めには存在しません。むしろ、13条は逆の考え方をしていると私は思います。
 さて、平成10年の中央省庁等改革基本法(http://law.e-gov.go.jp/cgi-bin/idxselect.cgi?IDX_OPT=1&H_NAME=%92%86%89%9b%8f%c8%92%a1%93%99%89%fc%8a%76%8a%ee%96%7b%96%40&H_NAME_YOMI=%82%a0&H_NO_GENGO=H&H_NO_YEAR=&H_NO_TYPE=2&H_NO_NO=&H_FILE_NAME=H10HO103&H_RYAKU=1&H_CTG=1&H_YOMI_GUN=1&H_CTG_GUN=1 )は行政改革の名の下にこうした内閣の相対的な権限強化によって効率化が進み、それは国民に利益として還元されることを狙って制定されたと多くの国民は信じました。さらに、平成18年6月に制定された「簡素で効率的な政府を実現するための行政改革の推進に関する法律 」( 行政改革推進法、行革法 ) によって、その方向は強化されました。

 前回も述べたとおり、国家の権限が強まれば相対的に国民の権利は弱くなります。個人の事情が斟酌されない十把ひとからげの政策からは、まず社会的弱者が犠牲となります。自殺者が10年連続して3万人を超えている現実と10年前に制定された中央省庁等改革基本法とは無関係ではないと思います。少なくとも、行政改革の名の下に内閣の権限を強力にしたことは、弱者にとって恩恵よりも犠牲の方が大きかったようです。それは、現在の格差社会にも現れています。結局、効率化で利益を受けた国民は、私たちの周りにはほとんどいませんでした。そのかわり、私たちには憲法によって護られていた領域がせばまったという修正の難しい課題が残されました。私は、行政改革へのうねりの中で、憲法第13条に定める個人としての尊重が理念として軽視され、必然的に社会的弱者の生活基盤を直撃し、あるいはメディアによって排他性の論理が強調されていく中で、国民の基本的人権が急速に先細りしていったと見ています。

 今度は、司法の効率化が当局によって、メディアによって推進されようとしていることは、多言を要しません。


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第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第二十七条【労働の権利・義務、労働条件の基準、児童酷使の禁止】
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律(労働基準法)でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

 「権利」の反対語は何でしょう。大抵の人は、それは「義務」です、と答えるかもしれません。それは、間違いとは言い切れません。ただし、それは民法上のハナシ。いわゆる債権債務関係の場合です。立場が替われば、債権と債務が入れ替わるからです。ところが憲法上の「権利」では事情が違います。

 ちょっと遠回りしますが、国民の自由・権利は国家に対して効力を発揮するのであって、民事間で多かれ少なかれ制限を受けるのは当然です。それを規定したのが第十二条です。ここで謳われている濫用の禁止の濫用とは「一定の基準や限度を越えてむやみに使うこと」であって、多用とは意味が違います。たとえば、表現の自由が謳われているからといって、事実に反することや差別発言、人を傷つけることなどを言ったとしたら相手方から批判されるのは当然で、それは民事間で調整されねばならず、これが「公共の福祉」といわれるもので、そのような民事間の我儘まで憲法は保障しておりません。

 また、第十二条には、自由と権利は国民の努力によって保持しなければならないとあり、権利を護ること自体が義務として捉えられていることでも分かるとおり、憲法上は権利と義務とは相反する概念ではないのです。それは、第27条一項で勤労が権利であり義務でもあるという条文でも明らかです。

 前回も触れましたが、国民の権利の対極に位置するのは国家の権限です。したがって、反対語というのは言い過ぎかもしれませんが、権利と権限とはそっくりの概念のようで、その実、全く相反する力なのです。

 なかなか、本題の13条に入らず恐縮ですが、第27条1項の勤労が義務であるというのは理解されやすいのですが、権利であるとはどういうことをいうのでしょう。それは、働きたい人は、働くことができることを意味します。高齢者であっても、未成年であっても、障がい者であっても、外国人であっても、刑に服した人であっても、読み書きができない人であっても、いかなる思想の持ち主であっても、働きたいときに働けることを指すと思います。少なくとも、国はそのために全力を尽くす必要があると思います。

 改憲の論議が強まる中、私たちは現憲法がどのようなスタンスで制定されているか、それぞれが十分に理解し、冷静に意見を交し合うことが緊急の課題となっていると思います。何度も言いますが、私は憲法や法律の専門家でも何でもありません。ただ、国民の一人として自分の憲法観を展開しているに過ぎないのです。しかし、たとえ自己流の解釈とそしられようとも私は持論を展開し、必要があれば修正し、ということを続けるつもりでおります。それは国民として当り前の態度であると同時に、政治家や最高裁判事に100%任せておいたらとんでもないことになると実感したからであります。
 私たちは改憲論議を自分たちの問題として捉えると同時に、九条のみの議論としてではなく、私たちの基本的人権――今まで多くの人にとっては、空気のように当然過ぎたもの――が侵される危険というものを十分に斟酌する必要があります。そして、私たちは今国政に参加できない児童のことも十分考慮に入れた上で、選挙権・被選挙権その他の国政に参加する権利を行使する責任があります。「お上に騙された、メディアにのせられた」とあとで言い訳がましいことを言い立てようと子の世代、孫の世代にとって取り返しのつくことならまだしも、そんな悠長な問題ではないと私には思えます。

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