よっしー本店

ブログ名を再度変更しました。

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

 息子たちが我が家を離れてもうすぐ2年になります。家には夫婦ふたりだけになってしまいました。夫婦といっても違う人間同士です。いつも仲良くというわけには、なかなかいかないのが実情です。
 
 でも、夫婦生活30余年を経て、私はあることに気がつきました。それはお互いに何らかの努力を要するような目標を掲げるとなかなかうまくいかないということです。たとえば家事を分担するにしても、それが努力を必要とするものである限り、自分の努力ばかり評価してしまいます。一方、相手の行いには厳しくなりがちで、不満をためこみ新たな火種になるというのが、私たち夫婦の常でした。
 
 「○○すべき」というような倫理は一見もっともなようですが、自分に甘く他人に厳しくなるものです。ちょっと見方を変えて、お互いに義務を課するのではなく、今までうまくいかなかったことをできるだけ気楽に乗り越えられる道を探すことにしました。そんな方法があるのなら最初からやっていると思われるかもしれませんが、意外と解決の方法は足元に転がっているものです。
 
 私は、自分にできないことは無理をせず妻にお願いすることにしました。たとえば、車の運転とか電球の取替とか、男の役割として認識していたこともいちど見直すことにしました。それは私を楽にすると同時に、妻にとっては自信を深めることにつながりました。逆にお弁当作りに私がチャレンジしたりして、それが私にはすごく楽しかったりしています。そして、どちらが始めたというわけでもありませんがかならず「ありがとう」と口に出していうことにしました。それだけです。こんな簡単なことが以前はできていなかったのです。
 
 また、あさ起きたらかならず「おはよう」といいます。これは、前の晩に喧嘩していようが何があろうが、かならず自分の方から言うようにします。まったく幼稚園児に逆戻りしたような話ですが、それで万事が丸く収まるのであれば結構な話です。「押してもダメなら引いてみる」ことです。課題を共有するというのは、こういう日常の積み重ね(あるいみでトレーニング)ができていれば何でもないことなのですが、日常がギスギスしている中でいくら崇高な倫理観を求めたところで自分だけが高みに立っているも同然で、受け入れられるわけがなかったのです。以前の私はそうでした。「ちがいを認め合う」ということができていなかったんですね。

自己点検の日々

 以前、長阿彌幹生(ちょうあみ・みきお)氏の講演を聞いた時の記憶がしばしば私を虜にしています。自分の個性を怪しんで、そこから自分の発想や論理展開の癖を知ることをベースにした同氏の「なかよし」志向。いま、私は好むと好まざるとにかかわらず、そのようながけっぷちに立たされていることを思い知らされています。嫌な奴、ろくでもない奴と思われているのだろうなぁ、きっと。目立ちがり屋の割には、自己矛盾がたくさんあって、それに気が付いてないのは本人だけだったりして。初老期というのは、このような時期なんだろうか。
 いやいや、そんな捨てたものでもない(と思いたい!)。そのような自己点検をすればこそ、人間成長するのかもしれない、成長することは痛みを伴うもの。そして、人間成長し続けるもの。私の弱点は①面倒くさがり屋②うそつき③不誠実‥‥といったところです。
 
 ヤマハのアルトサックスが手元に届いた折も、なにこれ。まるでオモチャじゃん‥‥と、自分のへたくそを棚に上げて、ずいぶんと思い上がったことを考えていました。せっかく、新しい相棒が来たというのに、なかよしになるのをこちらから拒絶しておいて、すっごいわがままになっていたなぁ。行く道に迷ったこんな時は礼儀に立ち戻りこと。すなわち、リードの選び方一つにしても、マウスピースへの取り付け方にしても、とにかく相棒への礼儀と心得て、丁寧にやることですよね。
 
 人間って、気を抜くとわがままになる動物らしい。だからこそ、人間たちは倫理や神を必要としたのかもしれません。
 人間の想像力の限界というのは少々オーバーな表現であったが、人間が陥りやすい錯覚というものがある。たとえば、宇宙の誕生したのはどれくらい前かとか宇宙の広さはどれくらいかという問いかけを我々素人は簡単に受け入れているけれども、宇宙という得体の知れないものを対象にするときにはそもそもその問いかけはそれ自体錯覚に陥っていないかという確認が必要ではないだろうか。
 
 どういうことかというと、人間の発想は人間の肉体が体験したものを中心に組み立てられていて、一方で宇宙にあるものは人間の体験したものばかりではないということなのだ。たしかに、光といえども有限のスピードのなかでの世界であるということや、宇宙空間では重力から開放されるため方向の観念を同時に失うことまでならば私たちは疑似体験をしている。前者は、光でなく音が遅れて届いた体験を持っているし、後者は水中で浮力がかかった状態というのを知っている。 しかし、宇宙の「誕生」というとき、宇宙というものが「誕生」したものかどうかという疑問が私にはある。つまり、万物に始まりと終わりがあると考えるのは早計だということだ。
 
 始まりや終わりという発想は人間に寿命がある=人間の生涯に始まり(誕生)と終わり(臨終)とがあるためにその体験と事実にひきずられている可能性があり、宇宙に大きさ(限界)があるというのも、人間の目に見えるものにはみんな大きさがあったという事実に影響されていると疑われる。                                                                       逆に言えば、もし原子がものを考えているとしたら、様々の分子化合物やその共同体組織としての生命体が「死」を迎えたならば、各々の原子は生命体としての体験(=思考的限界)から自由になり、宇宙へ帰っていくのである。時を経て原子のうちあるものは再び輪廻のごとく結合と分解を繰り返す。「死」を迎え宇宙へ帰る原子のさまは、あたかも「神の国」に霊魂が呼び戻されるかのような印象を持つのである。
 
 大きな嘘ほどバレにくいという。さしずめ本文は、いくつかの思いつきを乱暴に縫い合わせただけの代物で、大ボラのたぐいである。このような無責任な文章はあまり人目にふれぬ所で一種のジョークとして物好きな人々の目に止まれば十分である。
 夢野久作が考えたように、モノを考えているのが脳ではなく、個々の細胞であるとしたら、あるいは原子それ自体がモノを考えているとしたら、いったいどういうことになるのだろうか。細胞だとしたら、もし仮に片腕を切断した場合、片腕を失った肉体も、切断された片腕の方もそれぞれの細胞が生きている限りにおいてはそれぞれ独立してモノを考えているということになる。原子だとしたら、ある人が死亡して焼かれて灰になったとしても、原子それ自体は生きているから、死んだ後も生き続け、物事を考えることも可能である。しかし、その人の肉体からは自由になるから、考え方もずいぶん変わってくることになろう。

 どうして我々は脳がモノを考えると思い込むようになったのであろうか。それは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚が頭部に集中し、それらの情報収集器官の近くに思考器官があったほうが合理的であり、特に視覚は思考器官から見た外界の様子が見えることが思考器官を危険から守るうえで、重要だと考えられていたからではないだろうか。しかし、動物の中にはイカやタコ、ミミズのようにどこが頭でどこが目なのか判別しにくいものもいるが、そういう疑問に対しては人間は根拠もなく、それらに下等動物のレッテルを貼り付け、門前払いにすることで疑問の根を断ち切ったのである。

 しかし、私はそれに対して別の証人を用意した。それは植物である。植物は成長もするし進化もする。それは植物自身の「意思」によって行われると、私は考えたのだ。しかし、植物には脳そのものが存在しない。植物も成長している以上、また生命体である以上、「意思」や「意識」があって当然ではないか。すくなくとも、自分の存在を維持しようという最低限の意思を持っていることは、雑草がコンクリートの隙間から顔をのぞかせることでも分かる。(つづく)    
 前回までに動物でも信仰を持ちうると私は述べてきた。このあたりで、あまりのバカバカしさに読むのをやめた人もあるだろう。私が本気なのか、冗談で書いているのか、戸惑っている人もいるかもしれない。いつものような、人権分野の話でもなければ、ジャズの話でもボクシングの話でもないからだ。

 さて、夢野久作という作家がいたことをご存知だろうか。夢野久作の代表作に「ドグラマグラ」という作品がある。このなかで、彼は人間や動物が脳でものごとを考えているのではなく、実はそれぞれの細胞が物事を考えるのだ」という大胆な仮説を載せている。脳というのは各細胞間の調整機能があるだけで脳そのものがモノを考えたりするのではない、と登場人物に語らせている。

 最初にこの部分を読んだときには、なぜか気分が悪くなり、夜も熟睡できない日々が続いた。多分、小説だとはいえ、常識をはるかに超えた発想に、私が幼年期から慣れ親しんできた考え方がついていけず、まさに私の生死観すら危ぶまれるほどの衝撃を受けたのであった。解説を引き受けていた人は、夢野のこうした発想を荒唐無稽と一笑に付していたが、どういう理屈で荒唐無稽なのか丁寧に証明してくれないと夜もおちおち眠れない。

 それ以降、私は、さらに自己流の解釈を付け加えて、細胞よりもずっとこまかな単位である、原子そのものがモノを考えているのではないかと思い始めた。(つづく)

全13ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]


.
よっしー本店
よっしー本店
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事